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今夜、十六夜の見える丘の上で  作者: 書常 時雨
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満月の暗雲

午前6時、十六夜の今日の空は雪国には珍しい青空だった。東側の空からは朝日が昇り、声を張って朝を伝えているようだった。この日を何度待ち焦がれただろうか。十六夜に聞きたいことは沢山あったし喋りたいことも沢山ある。早く会いたい。逸る気持ちを抑えて窓を開ける。目も覚めるような冷たい空気が一面の銀世界と共に部屋中に流れ込んだ。そして今日の準備を始めた。


その朝の出来事だった。俊はいつものように小学校からの友達と学校へ向かい、いつもの4階まで階段をゆっくりと怠そうに上った。うちの学校は冬になると結露で廊下が滑りやすくなっていた。学校側も結露に悩んでいたが問題を解決し切れずに生徒に注意を呼びかけるだけだった。そんな廊下で滑る人も少なくなく、噂によると朝練をしていた陸上部のある生徒が滑って防火扉の角に脛をぶつけて皮膚が裂けて病院送りになったそうだ。だから一層注意しなければ自分もその人と同じ目に遭ってしまう危険がある。廊下を歩く人は皆慎重になっていた。階段を上り切り教室へ向かおうと教室の方角へつま先を向けた時、ドテッと鈍い音が響き渡った。俊の目の前で漢文をギュウギュウのロッカーから落としたあの人が転んでいた。「痛った……」と呟いて尻もちをついていた。俊は思わず「大丈夫ですか?」と咄嗟に手を差し出した。その人は俊の手をギュッと握って起き上がった。「ありがとう、ございます」その人は俯いて俊の顔を見ずに目的地へと急ぎ足で向かっていった。

「お前、凄いな。なんでそんな勇気が出たん」

「いや、何となく」

本当に何となくだ。どうして手を差し出したか自分でもよく分からなかった。しかしとてもいい匂いだった。

「あの人知ってる?」

と、恐らく文系のあの人の事を友達に聞いた。

「うん、朝岡さんっていう文系の男子の中で密かに美人って囁かれてる人」

「確かに」

「けど、人と話すのがあまり得意じゃないらしいし友達はある日突然不登校になっちゃって教室ではぼっちみたいだよ」

「なるほどね」

「お、狙っちゃうんすか?いんじゃね。顔も良いし英語が得意らしくて毎回学年1桁らしいから何かのきっかけで話して仲良くなれば」

「そんな出会いは理系男子にはありませーん。あーあ、そんな華はないようちのクラスには」

「だから文系の方が良いって言っただろ。文転しちゃえば。大学生活に華がなきゃ面白くないっしょ」

「まあ、今回の件で考えさせてもらう」

いつもの話をしながらお互い別々の自クラスに向かっていった。


そしてその夜、待ち焦がれていたあの丘で天真爛漫で少し身勝手な心が読めない十六夜と再会する日が来た。夜の7時に彼女は待っているらしいから10分前に着いて待ってようかと思い6時半になる前に家を出た。母親は8時半くらいまで仕事だったので特に何も言わなくても良かった。帰ってきたのが9時くらいになったらなんて言い訳をするかは丘に向かいながら考えることにした。

外は放射冷却によっていつも以上に冷めていた。道路にあった温度計には数字の隣に横棒が入っていた。地面は凍っていたが心は春。いや、夏かもしれない。日が差してとても温かい所にいるような気分だった。家から東高の近くにあるあの丘まで近くはなかった。しかし何故か十六夜と会う時はコンビニへ行くぐらいの距離しか感じなかった。あの丘へ向かう前にある坂ですら平坦な道にも感じられて経験したことないが麻薬を服用したらこんな気分になるんだろうな。と、背徳感を感じながらあの丘を目指した。

「おーい、遅いよ〜」

十六夜はあの丘から俊を見ると夜にも関わらず大声を出して俊の足を止めた。「あ!十六夜だ!」小さい体に肩ぐらいの長い髪、そしてアーモンドアイ!その姿を確認すると俊の身体はフワッと軽くなって凍りついた地面を滑るように走り、丘を目指した。

「遅いって〜。待ちくたびれたよ」

「ごめんごめん」

スマートフォンの時刻を確認すると7時になる10分前だった。

「約束の時間よりも早くない?そんな暇なん?」

「暇だもん!こうして月を眺めていたいから早く来ちゃったの!」

「待たせて申し訳なかったね」

「けど来てくれたから良しとしよう」

小さな顔いっぱいにクシャッとした笑顔と白い歯を俊に見せた。

「そういえばまだ部活やってるんだ」

まだ北の方角にある東高からは部活であろう声が聞こえてきた。

「そうそう、うちの高校サッカー部が最近強くなってるらしくて打倒西高って盛り上がっちゃってね」

この地域にある西高は推薦も取る程で特に陸上部はインターハイに出場する選手も輩出するスポーツ高だった。

「ストロベリームーンっていいよね」

ん?ストロベリームーン?

「それってスタバの新作?」

「違うわバカ」

やっぱ違ったか。十六夜が話すことだしこれは月の事だな。

「6月に月が北半球に最も接近する赤い月のこと。俊は食いしん坊でもあったのか。少食の私には付き合い切れないなあ」

「スタバは飲み物です〜」

「それでも食いしん坊は覆らないな」

「口が達者ですね〜」

これぐらいが俺の中では心地よい会話のテンポで十六夜と話していて安心感が得られるような気がした。

「ストロベリームーンってね、好きな人と見ると結ばれるらしいよ。6月になったら女の子誘いな。そして告白してみなよ。ストロベリームーンに恋愛成就なんてロマンチック」

「残念ながらこれといって好きな人がいないんですよ〜。もう何年恋愛してないことだろうか」

「まあ、女子とは私としか喋られないし、無理か」

「黙れ」

十六夜は嬉しそうに俊の隣で満面の笑みを見せながら月の方向を見ていた。その顔はどこか嬉しそうでどこか寂しそうな横顔だった。

「6月もこうして月を見てられるかな」

「多分見れるだろ」

話題が尽きてそう言ったのかと思ったが何故かどこか哀愁感じられる一言だった。

「俊って大学考えているの?」

十六夜がそう言うと

「まあ、一応ね。どこかは決まってないけど」

「じゃあ、この街から出て行くんだね」

「そうだね〜。できれば近くの大学がいいけどね」

「そうだよね、なんせ、北高通ってるもんね」

そこまで差がなくね?と疑問に思ったが東高からしたら北高はとても尊く見えるらしいです。風が穏やかだったが身体の芯から冷えるような寒さに2人は襲われて身を縮こませた。

「寒いんでしょ?歯がガクガク音立ててるよ」

「……うん、ちょっとだけ。まだ大丈夫」

「いや、鼻水ダラダラ出てるよ。風邪引いたら何も出来なくなるから今日は帰ろう」

「……うん」

あれ?もう手遅れだったかな?十六夜のいつもの元気がなくて熱でも出したのではないかと心配になった。

「そういや、結局身長越せなかったね」

十六夜の身体が寒さからなのかビクンと背筋が伸びた。

「……え?」

「ほら、先月ここで会った時に来月には身長越してやる〜とか言ってたじゃん」

「そうだっけ?多分言ってなかったよ。2ヶ月後じゃないの?」

あ、絶対覚えていたやつだな。

「はいはい。じゃあ来月ね。無理だろうけど」

「諦めちゃダメだよ!まだ可能性はあるんだから」

十六夜は「戦闘態勢」と言って拳を身体の前に出して構えた。

「はいはい。じゃあ風邪引くなよ。ちゃんと暖かくしてな」

「私の心配するんじゃなくて自分の進学の心配をしなさい」

「はいはーい。ほら、歩くよ」

綺麗な円を描いた満月と劣らないくらい周りの星達を置き去りにして目立とうとしていた空の上にある十六夜が健気に見えた。


次の朝、十六夜はいつものように好意を持たれている奴から話しかけられた。

「おはよ〜!あれ?マスクなんかしちゃって、風邪でも引いちゃったの?」

「………」

「昨日の夜は冷えていたからね〜。俺も寒くて少しだけ喉が痛いよ」

「………」

「まあ、あんな所に居たら風邪引いちゃうよね」

「………」

「誰だよ。昨日の夜に月岡の隣にいた男は」

「……なんで知ってるの」

唾でさえ喉を通すのがやっとの口で声を出した。

「昨日の帰りに見ちゃったんだ。止めときな。あんな寒空の下で女の子を晒すような男なんてロクな奴じゃないよ」

「朝岡には関係ないから」

満点の星空にうっすらと雪を降らす暗雲が差し込んだ気がした。

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