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第七話 灯下の夜話

 屋敷の一階に降りると、夜の見回りをしているノーマン爺の姿が見えたが、物陰でやり過ごした。彼はロウソクを立てた手燭しゅしょくを持ったまま欠伸を噛み殺すと、自分の寝室である一階の居室に戻っていく。


 俺の母、そして他のメイドの部屋も一階にある。俺の部屋は二階で、普通に暮らしていれば母と顔を合わせることが全くない位置に配されている。


 そしてレイシェンもまた、俺と同じ階の部屋を使っている。他のメイドが屋根裏部屋を使用しているのに、彼女だけが特別待遇であることも、彼女の家格が他のメイドより高いことを示していた。


 この間取りのおかげで、俺は母やノーマン爺に、レイシェンとのいさかいを悟られずに済んだ。


 ノーマン爺の足音も消え、ドアが閉まる音が聞こえたところで、俺は足音を忍ばせ、廊下を壁沿いに滑るようにして進み、扉を開けて裏庭に出た。


 元は、庭や屋敷全体の手入れをする職人が、泊まり込みをするときに座っていた建物。そこが、俺の屋敷では『離れ』と呼ばれていた。


 老朽化が進み、今では誰かに罰を与えるときにしか使われない――そんなところに怪我をしたユークを運び込んだのは、それも彼に対する処罰の意味が含まれているのだろう。


 そんな罰なら、俺も一緒に受けたい。ぬくぬくと屋敷のベッドの上に寝ていた自分を恥じながら、真の闇に近い裏庭の林を抜けて、離れに向かう。


 扉の前に立つ――下側が破損して、貼られていた樹の皮が剥がれ、穴が開いている。建物自体の石壁も崩れ落ちた箇所があり、そこから虫が入り込んでいた。


(……気味が悪いと思っていたが。魔女の眷属にとっては、意のままに従う存在なのか)


 ユークを静かに寝かせてやってほしい。そう願うだけで、辺りにざわめいていた無数の生命の気配が、波が引くようにして静かになった。


 後に残ったのは建物の中にいる、ユークの気配。


 無理に外に出たいと頼んだ俺を、本当は、恨んでいるんじゃないのか。そんな思いがよぎり、扉を開けることが躊躇われた。

 

(そうだとしても……謝らないと。それで許されないのかもしれなくても)


 ノックをしても返事はない。鍵を持っていなかったが、俺は偶然、レイシェンが鍵を石の下に隠すところを見たことがあった。


 石を動かすと、記憶通りに鍵が見つかる。錠前に差し込んで外し、俺は離れに入っていく――ぼろぼろになった床は、慎重に歩いても、時おり軋んで音を立てる。


 ベッドの置かれた部屋に入る前から、明かりが見えていた。ユークは窓際に置かれた蝋燭の光を受けて、眠っていた――一度は眠れず、虫除けの足しになるかと考えて、明かりをつけたのだろうか。


「……ユーク」


 呼びかけると、ユークはしばらく反応しなかった――しかし、声は届いていて、やがて薄っすらと目が開く。


 全身に包帯を巻かれ、あちこちに血が滲んでいる。俺だけが魔女の力で癒やされ、ユークは十分な手当ても受けられていなかった。


 俺はまだ、人を癒やす魔法を使うことができない。ただ、自分の復讐を果たすために、最初の魔法を使っただけだ。


「……リュカ……さま……良かった、無事で……」

「っ……良くない……全然だめだ。僕は、自分だけが不幸だと思って……君なら僕の言うことを聞いてくれるって、無理に連れ出して……っ」

「……違います……ぼくが、自分で……リュカ様と一緒に、行きたかったから……そと、に……」


 俺より数ヶ月先に生まれただけの少年。それなのに、彼は自分の傷の痛みよりも、俺のことを考えてくれている。


 ――なぜ、そんなふうに笑えるのか。あんなに怯えて、絶望しきって、こんなところに一人で寝かされて。


「……ぼくは……強くならなきゃ……いけない……リュカ様の、お役に立ちたい、から……召使い、だから……」

「違う……強くならなきゃいけないのは、僕のほうだ。僕が弱かったから、ユークをこんな目に……」

「……でも……ぼくが、強かったら……お父様に、教えてもらったとおりに、剣を使えたら……きっと、もっと、遠くまで……」


 自由が欲しかった。自分の足で屋敷の外に出て、どこまで行けるのか試したかった。


 ユークはそんな俺の我がままを聞いてくれただけだと思っていた――しかし、それさえも、俺の思い込みに過ぎなかった。


「……ユークにも、どこか行きたいところがある……そうなんだね」


 それを、俺は一度も尋ねていなかった。もしユークも外に行くことを望んでいたなら、そこには理由があるはずだと思い当たる。


「……はい。妹が……ひとりいて……離れ、ばなれに……無事でいるか、心配で……でも、それは、ぼくの……我がまま、だから……」


 言えなかった。それでも彼は、俺を置いて逃げたりはせず、戦ってくれた。妹に会いたくて、屋敷を出たのに。


「……君は、ばかだ。まだ会ったばかりの僕のことなんて、置いていけばよかった……そうしたら、きっと……」

「……はい……僕は……ばかでもいいんです……リュカさまと、外に出たのが……楽し、かったから……っ」

「――ユーク!」


 急にユークが咳き込む――ベッドに駆け寄るが、彼の呼吸はすぐに落ち着きを取り戻した。ぐるぐる巻きになったままで、俺を見て笑う。


「……ずっと……一緒に……だれかと、遊んだり……でき、なくて……」


 彼がここに来るまでのことを考えれば、友達がいて、ただ平穏な日々を送っていたなんて、考えがたいことだとは分かっていた。


 ――それなのに、孤独なのは俺だけで。ユークはいつか自由を手に入れて、優しい人に囲まれて、楽しくやっていくんだと勝手に想像して羨んでいた。


「さっきのは、違う……君は、馬鹿じゃない。一番馬鹿なのは、僕だ」

「……リュカ、さま……」

「こんな僕で良かったら……こんな、どうしようもない僕でも、まだ一緒に外に出たいと思ってくれるのなら……」


 魔女はユークのことを、俺の友達だと言った。


 それを受け入れていい資格なんて、俺にはなかった。その言葉の響きに憧れ、甘えていた――魔女がそう言ってくれるのなら、俺とユークは友達なのだと。


「……僕は君の勇敢さを何より誇りに思う。ユーク……君と、友達になりたい」


 ユークは何も答えなかった。ただ俺を、包帯から片方だけ見えている目で、まっすぐに見ていた。


「……リュカ、さま……僕は……召使いです……本当は……」

「僕が誰であろうと関係ない。誰にも、文句は言わせない……母上にも、レイシェンにも、決して否定はさせない。だから……」


 不可能だと思われても無理はなかった。これまでの俺は、周囲に流されて状況を受け入れるだけで、何の抵抗もできなかったのだから。


 しかし、ユークは首を振らなかった。その頬に涙が一筋伝っていく。


「……ぼくは……強くなります……リュカさまを……ぼくの友達を、守れるように……」


 蝋燭が揺らめいて、視界が歪んだ。そうでも言い訳をしなければ、魔女に笑われてしまいそうだった。


 俺はユークと握手を交わす。ユークは笑い、目を閉じる――その寝息が、すぐに安らかなものに変わる。


 誰かが、ユークに対して癒やしの魔法を使った。それが誰なのかなど、考えるまでもなかった。


 魔女が、すぐ近くで見ている。俺は彼女の気配に導かれるように、蝋燭の明かりを消し、離れをあとにした。




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