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第五話 第一の魔導書

「その慎重さはきっとあなたの美徳なのでしょうね。でも私は、どちらかといえば感情に任せて行動するほうなの」

「え……そ、それは……」


 価値観が合わないと思われてしまっただろうか。俺は彼女の弟子にしてもらえるのなら、何でもするというくらいには思っているのに。


「ぼ、僕は……魔女の眷属としてふさわしくなれるよう、あなたが望むように……」

「……本当に可愛らしいわね。赤ん坊からやり直せば、前世から精神の年齢を積み上げるのではなく、子供に戻るということかしら。とても興味深いわ」

「わっ……」


 また正面から抱きしめられる――包帯を巻いただけの胸に顔を押し付けられてしまって、甘くて良い匂いしかしない。


「……友達のところに行ってあげるには、どうすればいいか。そう、あの女……レイシェンを排除するか、無力化してしまえばいい。あなたにはどんな方法が思いつく?」

「そ、それは……ふむっ……ええと……あ、あの、このままだと喋れません」

「いいから、そのまま喋りなさい」


 これはもしかして、愛でられているというやつだろうか――髪に手櫛を通され、傷のあったはずの場所がじわじわと温かくなり、さらに治癒が進んでいるようだ。


 同時に、俺は気がつく。彼女に触れているうちに、自分の中に彼女と同質の力が宿り、全身に散在して存在を主張していることに。


「そう……それが魔力。あなたの魔力は封じ込められていたけれど、私が扉を一つ開いてあげた。急に開きすぎると暴走してしまうから、七つの扉を順に開いていくことにしましょう」

「七つの、扉……僕の魔力は、そんなに厳重に……」

「すべてが人の手によって封印されたわけではないわ。詳しい説明は、おいおい修練の中でしていくとして……一つ目の扉を開けてもたらされる力は、今の状況を打開するために適している。さあ、試してごらんなさい」


 試す――それは、どうすればいいのか。


 尋ねる前に、俺は羽織っていたガウンを肩まではだけられ、そこにある印に魔女が顔を近づける。


 もう傷ではなくなった、魔女に血を捧げた、契約の証。そこに魔女が唇を触れさせたとき――血を吸われるのではなく、何か膨大な熱が、そこから入り込んでくるのがわかった。


「あ、頭が……うぅ……っ」

「……すぐに落ち着くわ。魔法の使い方を、言葉や書物で伝えるのは時間がかかる。けれど魔女は、眷属に知識を貸し与えることができるのよ。あなたの頭の中にある書庫に、『私の本』を加えてあげたの。慣れないうちは、あなたの小さな書架には分厚すぎる本でしょうけれど」


 見たこともない膨大な量の図形と文字列が、俺の視界に映し出され、記憶に銘記されていく――上書きではない、これは『追加』だ。


 自分の記憶容量を明確に消費しているという、味わったことのない感覚。だが、言われた通りにじっと耐えていると、記憶の流入はやがて止まる。


「はぁっ、はぁっ……す、凄いですね……こんなことが……」

「これでも、『第一書架』に収まる本一冊分の知識を貸し出しただけよ。けれどあなたの場合は、基礎となる魔法ですら……それはあなたの魂が持つ資質なのかしら。それとも……」


 何から何まで手引きをしてくれるわけではない。彼女は俺から離れると、窓際に近づき――そして、すっと姿を消してしまった。


 夢を見ていたのかとも思う光景。しかし、違う。俺の目は開いていて、現実は続いている。

 

 俺は、試されているのだ。魔女の眷属として修練を積む資格があるのかどうかを。


(俺の中に加わった、本……これは……『魔女と眷属、その(いしずえ)』……)


 頭の中にある書庫。そこに加えられた本の内容を具体的に引き出すには、コツが必要だった――だが、一度開いてしまえば。


 ――固有領域黒魔法 『魂の秤』


 ――固有領域黒魔法 『罪の秤』


 ――第一領域獣魔法 『狼の感覚』


(固有領域……これが基礎となる魔法? それにしては、この内容は……)


 魔女に力を与えられた眷属は、配下を増やすための魔法を最初に身につける。それは個体それぞれに差があり、俺の場合は『魂の秤』と『罪の秤』という、対になった魔法ということらしい。


 そして『狼の感覚』は、どうやら特別に書き加えてもらった魔法のようだ。いずれの魔法も、与えられた知識の通りの効果を持っているなら、使い方次第では非常に有用なものだと考えられる。


 しかし本当に有効なのかを実証するためには、実際に使って試すことが不可欠だ。


「これだけの魔法があれば、きっと十分です。あの……まだ、そこにいてくれていますか?」


 返事は帰ってこない。だが、姿は見えなくても、俺のことを見ているという感覚だけはある。


「僕が無事に目的を果たすことができたら、そのときは、一つお願いをしてもいいですか」


 やはり返事はない。大それたことを頼みたいわけではない、それでも俺にとっては、最初の試練を超えることができた褒美としては価値のあるものだ。


 何を願いたいのかなんて伝わってしまっているだろうが、その話は後だ。


 俺は部屋を出るために、ドアノブに手をかける。そして発動するのは、接近されるとリスクが大きい魔女たちが、身を守るために研究した魔法の一つ。


 『狼の感覚』――人間より感覚の鋭い獣の感覚を模倣する。そうすれば、聴覚で辺りに潜んでいる者の気配を感じ取ることができる。


「――『湖畔に潜む狼の如く、その瞳は闇を見通し、耳は獲物の鼓動をとらえる』」


 与えられた本――魔女と、その眷属が行使できる魔法が記された魔導書。そこに記載された『魔女文字』で記された文章は、一字一句間違えず唱えることで『魔法』となり、効力を発揮する。


(こんな魔法が基礎の基礎なんて……魔女という人たちは、長い年月の間飽くことなく、ひたすら魔法を研究し続けていたのか。その中で、有用でない魔法は切り捨てられ、基礎魔法ですら洗練されていった……眷属になったばかりの俺でも、狼の感覚を得られるほどに)


 狼が見ている世界は、想像するよりも騒がしく――しかし、聞こえすぎる音の中から、必要な音を瞬時に判断することができる。


 この時間ならレイシェンがもう眠っているはずと思っていたのは、全くもって甘かった。 

 彼女は階段に続く角に身を潜めて、俺が部屋から出てくるのを今か今かと待っていた。焦がれるほどに鼓動を高め、俺をさらに追い詰めることをこれ以上なく待ち望みながら。


『早く出てきなさい……哀れな、一人ぼっちのリュカ……』


 自分に酔っているとしか言いようのない、そんな独り言。彼女にとっては、望まずしてこの屋敷に来たことは必ずしも不幸ではなかった。


 俺に悪意を向けることで、彼女が自分を保っているのだとしても。それを甘んじて受け入れることは、もう続けられない。


(俺だけならまだいいが、ユークを貶めることだけは許さない。レイシェンは、決して言ってはいけないことを言ったんだ)


 これ以上考える必要もない。狼の感覚を利用してレイシェンを避けることは、不可能ではないかもしれない――しかし、それは逃げでしかないと思った。


(『(しつけ)』……そんなことを、俺の年齢でしていいのか分からないけど。このまま俺を哀れむことでレイシェンが自分を守ろうって言うなら、それはただのエゴだから)


 俺に今までしたことの分だけ、彼女に罰を与える。『魂の秤』そして『罪の秤』で。


 レイシェンを相手に、今覚えたばかりの魔法を試させてもらう。扉を開けて廊下に出ると、彼女は溢れ出しそうな歓喜を抑えながら、姿を見せて俺の行く手に立ちふさがった。


「坊っちゃん、どこに行こうというのですか? こんな夜更けに」


 何をそんなに期待しているのか。俺はそう思いながらも、まだ『哀れな一人ぼっちのリュカ』を演じておく。


「どうかご遠慮なさらずにお答えください。まさか、私どもの目の届かぬ時間に、離れを訪問なさろうとしていたのですか?」


 その期待が反転したとき、彼女は果たして笑ったままでいられるのかどうか。


 これからそれを確かめることを楽しみだと思っている俺は、もはやベッドの上で、自分の無力さに葛藤していた子供ではなくなっていた。

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