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プロローグ 森の魔物

 村外れの森には、人喰いの魔物が出ることがある。


 屋敷に仕える侍女からそうやって口酸っぱく聞かされていても、俺は息苦しい屋敷に閉じ込められて過ごすのはうんざりしていて、魔物の恐ろしさなんて理解しようとしていなかった。


 前世において、俺はどうやら風邪をこじらせて肺炎で死んだらしい。いつも病気は気合で治るとばかり思っていたが、長いこと健康診断も無いようなブラック会社で働いていた俺は、徐々に身体がまずい方向に向かっていたのだと思われる。


 しかし、こうして異世界に転生したのだから、そういう人生からは脱却できたのかと言われれば――全くそうではなかった。


 十歳まで友達の一人もなく、生まれた屋敷の庭に出ることすら許されなかった俺だが、新しく来た奉公人の少年と親しくなり、彼の力を借りて初めて外に出ることができた。


 ――そして、やっと外の空気を吸った矢先に、最悪の窮地に追い込まれている。


「ギギッ、ギィギィ!」

「……化け物……リュカ、さまに、近づくな……っ」


 子供の頃からわけもわからず、山奥の山村には見合わないような屋敷に閉じ込められ、やっと外に出て屋敷裏の森の中を進んでいたところ、俺たちより少し小さいくらいの背丈をした人型の化け物二匹に襲われた。


 そいつは緑色の肌をして、赤い帽子を被り、毛物の皮で作った腰巻きを身につけている。

ファンタジーものの雑魚敵としてよく出てくるゴブリンに似ているが、その強さは子供の俺たちにとっては雑魚とはいかなかった。


 後ろから頭のあたりを殴られ、倒れ込み、身体はほとんど言うことを聞かず、ただ焼けるような痛みが心臓の鼓動に合わせて広がる。初めは燃えるような苦痛だと感じたが、今は逆に身体が冷えてきた。


(……死ぬのか、ここで。転生しても、何もできないままで……)


 自分の命も惜しくはあったが、それよりも申し訳ないのは、屋敷の裏口の鍵を取ってきてまで俺を外に連れ出してくれて、今もゴブリンに痛めつけられながら、俺を守ってくれている少年のことだった。


 ユーク・フィオニス。母さんの親戚筋で、幼い頃に親を失い、親族の間をたらい回しにされたあと、うちに引き取られて奉公することになった。


 燃えるような赤髪を持つが、その瞳はいつも少し弱気で、何かに怯えているようにも見えた――だが幼い頃から父親に教えられたという剣の腕は、剣を習ったことのない素人の俺でも分かるほど優れたものだった。


 だが、そのユークでも、二匹のゴブリンに完全に翻弄されていた――一方を攻撃しても盾で受けられ、その間にもう一匹が攻撃してくる。致命的な一撃は避けられても、徐々に受ける傷は増えて、ユークの動きが鈍くなっていくのが分かる。


「……逃げろ……ユーク、だけでも……」

「嫌です! 僕は絶対に逃げない!」

「っ……」


 まだ一緒にいたのは一ヶ月ほど。彼が俺に恩義を感じることも、命を賭けて守るほどの関係も築いていない――そうやって、どこか斜めに構えて見ていた自分がいた。


「ギィィッ!」

「あっ……!」


 ゴブリンの振るった棍棒が、ガツン、とユークの持つ木剣に当たる。消耗したユークはいつもなら受け流せるはずが、当たりどころが悪く木剣が手を離れ、回転して宙を舞う。


「キキッ!」


 もう一匹のゴブリンは気味の悪い笑い声を上げて、草むらに落ちて転がった棍棒に駆け寄ると、遠くまで蹴り転がす。


 それを見てユークが身体を震わせ、後ずさりをするのを、俺は後ろから見ていることしかできない。


「……お父さま、お母さま……助けて……」


 そのとき初めて、ユークは弱音を口にした。亡くした両親のことを呼んだのだ。


 ゴブリンと対峙したときからずっと、怖かったはずだった。それでも逃げなかった――そんな彼が、恐怖を声に出している。


「――逃げろっ! ユーク、立って逃げろぉぉぉぉっ!」


 最後の力で叫んだ時には、遅かった。素手のユークにゴブリンが飛びかかる――受けているうちに、もう一匹が、錆びた短剣を振りかざして襲いかかる。


 牙だらけの口から涎を撒き散らす鬼たち――決まっている。彼らにとって、人間の子供は格好の食料だということだ。


 滅多打ちにされるユーク。彼が倒れれば、次は俺だ。


 せめて一矢報いようと、右手を伸ばした先にある石を掴み、投げようとする。しかしなけなしの力を込めて握ったところで手を踏みつけられ、鈍い痛みが走る。


 おぼろげな視界に、短剣を振りかざすゴブリンの姿が見えた。


 外に出たいと思わなければ、死ぬことは無かった。まして、ユークを巻き込むことも。


「キシャァァァッ!」


 ゴブリンが短剣を振り下ろす。ユークが叫んでいるのが分かるが、もはや声として俺の耳には届かない。


 俺に止めを刺すだろうゴブリンの一撃は、走馬灯というやつか、やけにゆっくりと見える。


 その短剣が、振り下ろされようとしたところで止まって。


 どこからか、頭の中に響くようにして声が聞こえてくる。それは氷のように冷たく、けれど生まれて初めて聞くほどに美しい声だった。




 ――あなたが望むなら、あなたを傷つける全てのものから守ってあげる。

 

 ――そのために必要なものは、あなたの身体に流れている血。


 ――どうせ失われる命なら、私に委ねる方が有益でしょう?




 一番無念だと思うことは、このままユークを死なせてしまうこと。


 彼のおかげで、俺は孤独を忘れられた。そのことに礼も言えないまま死ぬのは――あまりにも。


「……全部……やる……血でも、何でも……っ」

「そう、今はそれでいい。安心しなさい、坊や」


 頭に響いていたはずの声は、現実のものとして、すぐ近くから聞こえてきた。


 この世界には魔法が存在すると聞いてはいた。しかし実際に見たことはなかった。


「――黒き魔女の名において、その少年の流した純血をもって報復する。『真紅の棘ブラッドソーン』」


 『彼女』が呪文らしきものを詠唱し、俺の身体から溢れていた血が、鋭利な刃となって雷鳴のような速さで動き、ゴブリンたちを貫くまでは。


「グギャッ……!」

「ギヒィッ……!」


 悲鳴と共に、ゴブリンたちは一瞬にしてその生命を終わらせた。俺の血から作られた無数の槍が、彼らの全身を貫いたのだ。


「……ユー……ク……」


 殴られた部位に激痛が走って、声が出ない。ユークは生きている――辛うじて、息をしているのが分かる。


 血でも痛みでもなく、別のものが視界を歪ませた。もうこれで終わってもいいという安堵の中で、森に差し込む陽の光が、黒い姿で遮られる。


「こんな目に遭っても、笑っているなんて……なんて愚かで、愛おしい生き物なのかしら」


 流れるような黒髪を持つ少女。声から想像していたよりも、随分と若く見えた。


 そして俺は、この森にまつわるもう一つの話を思い出した。


 森には人喰いの魔物と、人を惑わす魔女が住んでいる。


 だから、子供は決して足を踏み入れてはいけない――。

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