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第9話 弟子の証(活字)を断る

順調に前進していたとしても突然立ち止まらざるを得ない状況に陥ることがある。

自分の油断で転んでしまった時。

誰かに足を引っ張られてしまった時。

そして、自分たちの存在を快く思っていないものに道をふさがれた時。


天井から何かが落ち、ゴトッと鈍い音が響いた。

小屋で密かに事業の研究をしていた職人たちが手を止めて床に転がった石を眺めた。

外から換気用の窓を通って投げこまれたのだ。

石には手紙が括りつけられていた。

最初に反応したのはシュネードだ。

机から柱を数度蹴って天井近くの窓にのぼり、外へと身を乗り出した。


「だれの仕業だ!?」


シュネードはしばらく窓の外を確認したが、やがて舌打ちと共に戻ってきた。


「だめだ。逃げられた」


治人を含む残りの者たちは石についていた紙をのぞき込んだ。

荒い文字が書きなぐってあったが誰も読める者がいない。

この時代、文字を読めるのは高等な教育を受けた一部の者だけだ。

そして治人と陽次も同様だった。

『そこにいるものとしての殻』は、話し言葉を理解できても文章の読解には役立たない。

どうせなら文字も自動的に翻訳してくれたらよかったのにと治人は思う。


「待っていろ。読める人を呼んでくる」


職人の1人が地下へ降りていき、やがてグーテンベルクとメンテリンが顔を出した。

グーテンベルクは詩を朗読するように読み上げた。


「『神を冒涜し人を惑わす悪魔のごとき試みを直ちに止めよ。

 さもなくば災いが降りかかるであろう』」


それはつまり。全員の頭に浮かんだことを陽次が代弁した。


「つまり、脅迫状っすか?」


グーテンベルクは苦笑し、無言で紙を破いた。

戸惑う職人たちの前に紙の破片をばらまいてみせる。


「事業は、続ける。作ってしまえばこっちのものだ」


メンテリンが進み出てグーテンベルクの言葉に付け足す。


「不安だろうが、こんなものにいちいち惑わされていたら進まない。

 今は仕事に専念してくれ」


職人たちは顔を見合わせながらも持ち場に戻っていった。

確かに今は早く印刷機を開発することが優先だ。

はっきり言って事業は全く進んでいない。

様々な方法を試したがすべて失敗だった。

四角い木枠の中に文字スタンプを敷き詰めてひもで固定し、インクを塗って紙に押す。

文字の部分を上にして活字を机の上に固定し、その上に紙を貼る。

紙を板に張り付けてから机上の活字に押す。そして紙が活字にしっかり当たるよう板全体を撫でてからはがす。

どれもインクがにじんだり、文字の濃さにムラが出たり、位置がずれたりと、実用できるものではなかった。


「他の国にはないのかなあ。日本だと明治時代まで木彫りか手書きだったんだろ」


陽次はインクのにじんだ紙を手に取りしみじみと考える。

治人はテーブルの上の活字を眺めた。

AからZの文字といくつかの記号が整然と並べられている。そして思い至った。


「陽次、アルファベットだ。

 26文字に数字と記号。日本語よりも種類が少なくて済むんだよ」

「そうか。日本語だとひらがな、カタカナ、漢字。中国も漢字だ。多いよな」


1個1個活字を手作りするだけでも手間かかる。

文頭や見出し用の大きな活字、本文用の小さな活字、数種類ずつ。

壁一面を覆う広さの棚に木製の活字がびっしり詰まっていた。

アルファベットを揃えるだけでもこの量なのだ。

ふと手近な机に目を移すと、上に置かれた木箱が治人の目に留まった。

1つだけフタが付いているのだが、下の箱とずれているために中身が見えかけている。

治人は何気なく手を伸ばした。


「あ!それに触るな!」


グーテンベルクが焦ってフタを戻そうとし、箱を床に落とした。

鈍い音と共に中身が散らばる。無数の銀色の棒。

拾った棒の先端にはアルファベットが刻まれていた。


「これは……活字ですか?」


グーテンベルクは気まずそうに治人から受け取る。


「まあな。試作品だ。失敗だったが」

「これが?」


陽次が今使っている活字と失敗作とを興味深そうに見比べた。


「そういや、今使ってるのは木で作ってるけどこれは金属だ。どーするんですか」

「どうするも何も全部捨てて……」


言いかけてグーテンベルクは何かを思いついたように顔を上げた。


「オトワ、持って行っていいぞ。弟子の(あかし)だ!」

「おおおお!いいんすか!?」


陽次はグーテンベルクが木箱から取り出した活字をありがたそうに受け取った。呆れたことに本気で喜んでいる。

陽次はグーテンベルクを尊敬しているようだった。

この印刷実験もメンバーの一員として真剣に取り組んでいる。

たびたび出かけ、特に頼まれていない街の情報収集までやっていた。

もちろん治人も協力はしている。しかし陽次の方が積極的なのは明らかだった。


「キヅキもどうだ?」


ゴミ寸前の活字――弟子の証とやらを差し出されて治人は困惑した。

別に要らない。


「ま、欲しくなったら言ってくれ」


治人の心を読んだようにグーテンベルクは活字を元の箱へ戻した。

特に気分を害した様子はない。

その時、グーテンベルクの背後に不穏な気配が生まれた。

グーテンベルクがそおっと振り返ると、腕組みしたメンテリンが獲物を見つけたヘビのように目を細める。


「材料は銅でも鉄でもないようですね。いくらしたんですか」

「ああ!すごいだろ!耐久性の高い珍しい金属を使ってみた」

「値段は?」

「しかし調達が難しいんだ。

 いずれ活字を木から金属に移行するとなると、鉛あたりが現実的か?」

「どれだけ金を使ったのかが問題です」

「やっぱり金属で作れるといいよな。木は劣化が心配――」


やたら饒舌(じょうぜつ)なグーテンベルクの言葉を遮り、メンテリンは彼の肩を掴んだ。


「わたしの話を聞いてください、グーテンベルクさん」

「金の話以外なら聞くぞ」

「金の話です」

「……お前ヤな奴だな。暗いし」

「わたしの性格より採算を無視して新しいものに手を出すあなたの方が問題です」

「金属製の活字作ってみたかったんだよ!

 失敗したから今まで通り木の活字を使う!

 それでいいだろ」


親に注意された子どものようにわめき、グーテンベルクはさっさと出て行ってしまった。

居づらくなって工房にでも行ったのだろう。

全く、とつぶやいてメンテリンは実験の後のテーブルを片付け始めたが、途中で手を止めて活字をながめた。


「どうしたんですか」


治人が尋ねるとメンテリンは持っていた銀色の棒を治人に見せた。


「この活字。デザイン自体が素晴らしいものだと思わないか」


メンテリンの意図が分からず治人は瞬きをする。

メンテリンは棚から本を取り出して机に置いた。手書きの本だ。

その横に紙を広げて活字を押していく。


「ほら。この違いだ。」


改めて見比べると差ははっきりとしている。

写本は文字の高さ、大きさがそろい、流麗(りゅうれい)で、手書きとは思えないほどに整然としている。

だが活字で作った文章は、別格の美しさだ。

筆記だとわずかに出てしまう文字のクセ、滑り、力の偏り。

それらが排除され統一感を持って配列されている。

そのくせ文字自体は機械的な直線ではなく、前の文字から次の文字へ移る自然な線の流れがつけられ、手書きと遜色(そんしょく)ない温かな丸みがある。

グーテンベルクのデザインの巧みさがよく分かった。


「あの人のせいで苦労ばっかりだが……こんなに美しいものが作れるのならそれも悪くない」


メンテリンは指で活字の文章をなぞり、誇らしげに笑った。

その時治人はふと思った。

本当はこの人、事業をやめようなんてカケラも思っていないんじゃないか。

グーテンベルクと一緒に突っ走りたいけれど、それだと誰も止める人がいない。

だからあえて金の話を持ち出し、ストッパー役になっているのでは。

メンテリンはそれ以上語ることなく、宝石を磨くように活字の墨をふき取っていった。

次回 少し残酷な表現があります。

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