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第6話 シュトラスブルクを観光していたら怪しい団体にからまれる

「オトワ!紙を運ぶの手伝ってくれ」

「こっちだ、オトワ」

「オトワ、写本は完成したのか」


呼びかけられるたびオトワヨウジ――陽次は律儀に返事をする。

治人(はると)は適当に隠れてなるべく呼ばれないように動いていた。

するとひときわ大きな声が響いた。グーテンベルクだ。


「作業を中断してこの箱を別の作業小屋に運んでくれ。オトワと、ついでにキヅキ」


ついで呼ばわりは不本意だが、これはチャンスだ。治人は快く引きうけた。


「これ、ゴミじゃないんすか」


箱の中身をのぞいた陽次がグーテンベルクに尋ねる。

箱に入っていたのは木の破片ばかりだ。

この工房では木版――木の板に文字や絵を彫って印刷するもの――も扱っているようだが、とても版木として再利用できそうな大きさではなかった。

グーテンベルクは「いいから」と意味ありげに笑うだけだった。

運び出しはグーテンベルクではなくメンテリンが先導し、数人がそれぞれ箱を持って後に続く。

小屋を出てしばらく歩いたところで、治人は意図的に歩みを遅くした。

そしてほどよく先頭集団と離れたのを機に、


「こっちだ、陽次」


声を潜めて陽次を招き、路地に入る。

陽次は不思議そうにしながらも治人の後についてきた。


「おい、ハル。メンテリンさんたちと離れるぞ」

「まさか荷物運んでそのまま戻ってくるつもりだったの?」

「そう言われただろ」


治人はあきれた。やはり深くは考えていなかったらしい。


「今のうちに情報を集めるんだ。

 ここはどこで、グーテンベルクさんは何者なのか、何よりどうやったら帰れそうか」

「グーテンベルクさんに聞けることは直接聞けばいいんじゃねえか?」

「この荷物のことといい、彼は何かを隠している。

それにたくさんの人から聞いたことをまとめた方が正確だ」

「そういうもんかなあ」


陽次は頭をかしげ、それでも提案自体には賛成のようで、治人と協力して聞きこみを始めた。



そこにいるものとしての殻、とノーシスは言っていた。

知識の海を渡ってきた者に備わる特性のことだ。

以前からそこにいた者として周りに受け入れてもらえる性質。これが大いに役立った。

目が合えば顔見知りとして微笑まれる。

道に迷えば声をかけられて案内される。

質問をすれば気前よく答えてもらえる。


シュトラスブルク。

それがこの街の名前だ。

この街は神聖ローマ帝国――昔のドイツの一部で、この時代では大都市である。

知識探索アプリで調べると、現代ではフランス領のストラスブールという名になっていた。川に囲まれただ円形の中州に中心街があり、運河を利用した交易で栄えている。

そして今二人の目の前にあるのが、この街の一番の特徴であるシュトラスブルク大聖堂。

街の中心やや南東寄りに位置し、2階建て、3階建ての家が多いこの街で高さは群を抜いている。


「すっげえな。500年以上前にこれが作られたのか」


はしゃぐ陽次の隣で治人は頭を振った。

尖塔の高さはおよそ140メートル。間近で見上げていると首が痛くなる。

赤茶色の外壁。聖人や天使たちの彫刻。

日本の寺や神社が主に高台にあるのに対し、西洋の大聖堂は街の広場の真ん中に建設されることが多い。

街の中心にそびえたつ圧倒的な存在感。


「ハル、スマホ貸してくれよ。写真撮りたい」


陽次は大聖堂に顔を向けながら後ずさりし始める。

写真に最適な角度を探しているようだ。


「観光しに来たんじゃないって!」


治人の言葉など聞いちゃいない。

陽次はどんどん後ろにさがりついに広場の端まで離れてしまった。

そのまま路地の入口にあった茶色い塊を足で蹴ってしまう。

ようやく陽次は体を後ろに向け、自分がぶつかったものの正体を知って顔をひきつらせた。

人間だ。しかも老人。

色あせた布を体にまとい、それを首元の黒い布でまとめてマントのようにしている。


「すみません、大丈夫ですか」


陽次が手を差しのべて起こそうとすると、布から細い腕が現れて陽次の足を掴んだ。


「どうか、お恵みを」

「え」


目を点にした陽次。それを合図に多くの人間が路地からわらわらとあふれて陽次を取り囲んだ。

いずれも服は汚れ、体はやせ細っている。

それぞれが肩や腕、襟元など1か所だけ黒い布を身に着けており、そこだけ新品のためか妙に浮き立って見えた。


「パンひとかけらでいい」

「そのエプロンだけでも構わない。どうか」


口々に懇願(こんがん)され、足だけでなくグーテンベルクから借りたエプロンまで引っぱられる。

かといって自分がぶつかってしまった以上腕をはがすこともできず、陽次はうろたえている。

急いで駆けつけた治人もまた集団に囲まれてしまった。

広場を振り返るが、こんな時に限って誰も通りかからない――いや、治人たちの周りを避けている。


「陽次、逃げよう……離せ!」


治人は陽次と老人の間に割りこみ、陽次の服にすがりつく指をやや乱暴にほどいた。

老人は理解が追い付かなかったらしく、指と治人を交互にながめて呆然としていた。

やがてその顔が怒りにゆがむ。

怒りは周りへ伝わり治人たちへの敵意に変わった。

治人はさすがに(ひる)み、立ちすくんだ。その時。


1人の男が近づいてきて治人たちを庇うように立った。


「皆さん。私の友人に何かご用でしょうか」


男の声は穏やかながら冷水のように理性に浸透した。

周りの興奮が冷めていくのが肌で分かった。

初老の男で、髪には白いものが混じっている。優しい目と理性的な表情、そして何よりも漆黒の服が男の職業を示していた。

詰襟(つめえり)の足元まで覆うワンピース。聖職者だ。

すると治人たちを囲んでいた集団は興ざめしたように路地の奥へ去っていき、広場は元の平穏さを取り戻した。


「あー。怖かった」


陽次が緊張をといた。治人は急激にいら立ちがつのるのを自覚した。


「周りを見ないからだ!

 この人が助けてくれなかったらどうするつもりだったんだよ」

「何だ。ハルはウチの家訓知らねえの」

「知らないよ」

「『殴っときゃ何とかなる』!」


受け継ぐなよ、そんなもの。

あのまま放っておいたら本当に殴っていたかもしれない。

陽次はちっとも悪びれる様子を見せず、聖職者の男と向き直り一礼する。


「ほんと助かりました!ええと……」

「わたしはシュトラスブルク大聖堂の神父でローゼルと申します。

 役に立てたのならよかった」


ローゼルは微笑を浮かべた。職業柄だろうか、ローゼルの微笑はどこか懐かしいような、安心感を抱かせた。

治人と陽次もそれぞれ名乗り、簡潔に礼を言う。

それにしてもさっきの不気味な集団は何だったのだろう。

彼らが消えていった路地を見ていると、


「あれは清貧会という一派です。

 体のどこかに黒い布を身に着けているのですぐ分かりますよ」


ローゼルがそう教えてくれた。

さっきの老人も首に黒い布を巻き付けていた。信者同士の目印だったのだ。

清貧会、正式名称は聖マティア友の会。

財産を手放し自らをあえて貧しい環境に置くことで罪を償い清い祈りをささげるそうだ。

人に食べ物をすがるのは問題ないらしい。


「広場は街の中心。様々な人が集う――中にはかかわらない方がいい者たちも」


ローゼル神父はそう結んだ。その時、


「ローゼル神父」


ローゼルを呼ぶ者がいた。

街の暗がりに潜むように、建物の影に入ってきた亜麻色のローブ。


「ハル。あれ、黒い奴じゃね」

「シュネードって言ったっけ」


人影は全身がローブに覆われていたが、広い袖口から浅黒い手が出ている。

グーテンベルクの工房に居た少年だ。


「おーい。シュネードってやつ」


少年――シュネードはビクッと体を震わせた。


「何の用だ」


淡々とした口調の中にはっきりと拒絶の意志が込められている。


「おや。シュネードとお知り合いでしたか」


驚いた様子のローゼル神父に、治人はまあ、とあいまいに返した。


「よかったら大聖堂の中も見ていきますか」


ローゼルの言葉に陽次の表情がぱっと明るくなったが、シュネードは嫌がっているようで、治人と陽次が手に持った箱を見て話題を変えた。


「お前たち、グーテンベルクの荷物を届けなくていいのか」


確かに予想よりも長く時間を使ってしまった。街には夕日が差し、風も冷たくなっている。


「そういえば、ぼくらの代わりに君が届けてもいいよね」

「知らん。おれは引き受けていない」


治人の押し付けをシュネードは冷たく流した。


「そんな突き放すような言い方はないだろう。

 また来てください。その時に案内しましょう」


シュネードを父親のようにたしなめ、ローゼルは治人たちに一礼した。

シュネードは足早に、ローゼルはゆっくりと聖堂の中へ入っていく。

2人はどういうつながりなのだろう。ふと好奇心がわいたが、今度聞けばいいと思い直した。

まずはグーテンベルクの用を片付けるのが先だ。

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