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第5話 チョコの奪い合い、そして知らぬ間に友達設定

治人(はると)は部屋に入るなり粗末なベッドに倒れこんだ。

一日中書き写し。学校の授業だってこんなにも文字を書くことはなかった。

文章はすべてアルファベット、教科書とは違う特殊な字体。

疲れた。

治人は仰向けになり天井を見つめた。寮の個室とは違う狭い天井。

職人たちの仮眠室なのか、部屋には机に薄いマットを敷いただけのベッドが2つだけ置かれていた。

もう1つは陽次(ようじ)が使う予定だが、彼は今うまく書き写す方法をメンテリンたちに教わっている。


「よくやるよな、あいつ」


こんな状況で陽次は早くも順応し、職人たちと仲良くなりかけている。

ため息をつくと同時に空腹を感じた。そういえばろくに食べていない。

この時代の特徴なのか職人たちが無頓着なのか、とにかく粗食なのだ。

食事と言えば乾いたパンと干肉、それを水で流しこむだけ。ごちそうだと言われて干しブドウが出てきた時には脱力した。

治人は胸ポケットからチョコレートの箱を出し、中の一個を口に入れる。

知識探索アプリを売る予定だったリッテンからもらったものだ。

治人と現代をつなぐものの一つ。

高校の風景を思い出した。遠く隔たってしまった日常。

全て食べきれる前に帰れるだろうか。

もう一個手に取った所で扉が開いた。

陽次が部屋に戻ってきたのだ。とっさに箱を隠して治人は話しかける。


「お疲れさま。コツはつかめた?」


陽次は首や腕を回しながら答えた。


「多分。けど疲れたな」


本1冊作るのに全部手書き。しかも一文字間違えればやり直し。神経を使うし、非効率的なことこの上ない。

治人はアプリをいじりながら応じる。


「だから本って高級品だったらしいよ、昔は――この時代は」


すると一通りストレッチを終えた陽次はポツリ、とつぶやいた。


「今じゃ刷っても赤字ばっかりだけどな」


陽次の祖父は印刷会社を経営していた。そして、数年前に潰れた。

思う所があったのだろう、陽次はそのまま黙りこんだ。

治人は無意識の内に手の中の包み紙をほどき、口にチョコレートを入れた。

その途端、


「……ておい!」


陽次の目が鋭く光った。


「ずりー自分だけ!おれにもよこせ!」


しまった。感慨(かんがい)に浸る間もない。

治人は残りのチョコレートが入った箱ごと自分のポケットへつっこむ。


「イヤだ。欲しかったらきみが自分で手に入れなよ」

「この時代チョコねえよ」

「作られるまで待つとか」

「いつだそれ」


治人はしばしスマートホンを操作する。

インターネットには繋がらないが、知識探索アプリやカメラは使えるのだ。

しかも充電は一切減らない。

どういう仕組みになっているのか考えるのは後回しにして、治人と陽次はこのアプリを頼りに一日を乗り切った。

やがて質問の答えが画面に表示された。治人はそれを読み上げる。


「……固形チョコの誕生、19世紀」

「400年後じゃねーか!待てるか!よこせ!」

「イヤだって!」


取り合いになりかけた時、スマートホンが振動し電子音が響いた。

メッセージが来たのだ。

治人はスマートホンをつかんだまま固まった。

しばらく無視したが、手の中のスマートホンはしつこく鳴り続ける。

結局根負けし、おそるおそる起動した。


――無事扉を超えたようじゃな、治人

――どうした、返事せい

――おい


送り主の名前を確認して治人は驚愕(きょうがく)した。陽次が不審そうに画面をのぞいて声を上げる。


「『ノーシス』って、おれたちをここに連れてきたやつ!?

 いつ友達設定にしたんだよ」


ポイントはそこか。治人は陽次を無視してメッセージを返した。


     ノーシスさん?あなた今どこに――


――ノーシスでよい。知識の海に決まっておろう


     スマートホン持ってるんですか――


こちらの問いかけにノーシスが答えるつもりはないようだった。


――細かい説明をしておる時間はない

――そなたらの世界を戻すカギは、ヨハネス・グーテンベルク

――名前くらいは知っておるじゃろう


その名前なら今日聞いた。工房のまとめ役だ。

いや、そういえば以前にも聞いたことがある。治人は知識探索アプリを立ち上げ、名前を入力した。

すぐに検索結果が現れた。



ヨハネス・ゲンスフライシュ・ツール・ラーデン・ツム・グーテンベルク。

1398頃生―1468年没。現在のドイツの金属加工職人、印刷技術者。

彼が開発したとされる活版印刷技術は、火薬、羅針盤と共にルネサンス3大発明の一つに挙げられる。



アプリがまとめた情報は以上だ。しかし画面に表示された肖像画は工房で会った男と全く似ていない。

治人はノーシスにメッセージを返した。


     同じ名前の人とは会ったけど――


――肖像画なら気にするでない。間違いなくその男じゃ

――あやつはいずれマインツという街のグーテンベルク屋敷に移り住み、印刷技術の先駆者となる。後のヨハネス・グーテンベルクじゃ


     じゃあ何?ぼくたちは彼と一緒に印刷機を開発すればいいの?――


――そうかもしれぬ


     けど、未来の人が手を貸したら、歴史をゆがめることにならない?――


――そうかもしれぬ


     あのさ――


――いら立つな。何が起こるかはわしにも分らぬ

――ただ、そなたらの見た扉の光は本物じゃ。間違いなくその場所で異変が起こる


こんな場所に導いておきながら、ノーシスの口調は突き放すようだった。

いずれにしても、ヨハネス・ゲンスフライシュ――グーテンベルクの動向に注意を払う必要がありそうだ。


――それともう一つ。知識の海の扉を開けて別の時代へ侵入した人間は、『そこにいるもの』としてのつじつま合わせがされる

――言語が通じ、見知らぬ人間から知り合いのごとく遇される。世界になじむための殻をかぶるのじゃ

――じゃが、そなたらが元の世界に戻るカギを失った場合、途端に殻は破れる

――世界が

――沈み始=め=


急にノーシスからのメッセージが細かく切れ、文字化けし始めた。


     どうしたんですか――


――その世界が閉じ始めておる==

―― 一旦=知識の海と==隔絶される

――話はここまで=====


     ノーシスさん――


最後の言葉に既読マークがつくことはなかった。

信じられない。あいまいな指示だけで放り出された。

陽次が心配そうに治人を見ている。

どう説明したものか治人は悩み、結局画面をそのまま見せたのだった。

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