第46話 対峙
「ノーシス」
治人の声が狭い室内に吸いこまれる。
応えるように棚が光った。
治人は棚をあさり、光源となっている鏡を見つけた。
手に取ると、鏡の中にノーシスが映る。
治人の手首にある緑白石が淡い光を放ち、同時にノーシスは鏡の中でスマートホンを差し出した。
鏡の表面にスマートホンが半分浮き出てくる。
「取り出すのじゃ、治人」
かすかにノーシスの声が届いた。
治人は左手に鏡を持ち、右手でスマートホンを掴んで引っぱる。
抵抗なくスマートホンが現れ、引かれるようにして鎖につながれたノーシスが鏡の中から出てきた。
「よくぞそなた1人でここまで」
ノーシスは治人に駆け寄った。
無事を確かめ安堵のため息をつく。
「海に飲まれなんだか。
そなたの意思は固いようじゃな」
「さあね」
肯定するのも抵抗があったので、治人はそっけなく答えた。
ノーシスはさらに何か言おうとして、何かに気付いたように顔を上げた。
「そなたがここにたどり着いたことで、先の時代の均衡が崩れたようじゃ。
ローゼルが呼んでおる。
治人。わしを一度スマートホンから解放してくれぬか」
「解放ってなんで」
「呼びかけに答えるために決まっておろう」
「答えるのかよ!」
彼らのせいで治人がどんな目に遭ったか、ノーシスは見てきたはず。
しかしノーシスは何を今さら、という目をした。
「人の問いかけに答えを導く。
そう作ったのはそなたであろう」
確かに。前身が知識探索アプリなのだから、相手が誰であろうと気前よく回答を出して当然だ。
治人はダメだ、ときっぱり断った。
「絶対ダメだ。きみがいなかったらぼくが沈むんだろう。
それにローゼルたちは今高校が沈んだ時のぼくと同じ状況だ。
この時代とつながった扉が光っているはず」
ならば自力でここにたどり着くだろう。
治人としてはそのまま知識の海をさまよってくれた方が好都合だが。
「ローゼルたちは必ずここへやってくる。
ぼくたちは待っていればいい」
そしてすべてを終わらせるのだ。
グーテンベルクの最高傑作の前で。
治人の予測通り、ローゼルとシュネードが知識の海と通じる扉を開けて地下室に入ってきた。
ローゼルの胸にかかった十字架が淡く光っている。
緑白石が彼らを導いたらしい。
「お久しぶりです。
間に合ったのはあなたとシュネードだけだったんですね」
治人のカマかけにローゼルの顔がゆがんだ。
やはりローゼルたちが暮らしていた村は再び知識の海に沈んでしまったらしい。
免れたのは2人だけ。
長い時をかけ、時代を渡ってようやく平穏な暮らしを取り戻したというのに、さぞかし驚いただろう。
彼女は――きっと、また海の意志に従うことを選んだ。
「突然緑白石の呼びかけにノーシスがこたえなくなり、村がまた沈んだ。
知識の海へ逃げられたのは私とシュネードだけ。
歴史の改竄者が現れた場所に来てみれば……」
ローゼルは並んだ治人とノーシスを交互に見すえた。
「キヅキハルト。遠い未来に沈んだはずの存在がなぜここに居る。
ノーシス、知識の海の案内人よ。教えてくれ」
問われたノーシスは震えながら口を手で押さえた。
それだけ。言葉を返すことはない。
「どうした。人の問いかけに答えずにはいられないのがお前の性だろう」
ローゼルが焦れて問いを重ねる。
治人はノーシスをかばうように彼らの間へ手を伸ばした。
「全部エラーで返せ、ノーシス」
治人は小声で指示する。
それに気づかず、ローゼルは急かした。
「何が起こっているのだ」
ノーシスは重い唇を開く。
「答えられぬ」
「バカな。
お前はあらゆる時代、分野、人の思考までをも網羅した海の案内人。
解を導けぬ質問など無いと聞いている」
「わしには、答えられぬ」
震える声でノーシスはつぶやく。
ローゼルは呆然として治人を見た。
「おまえには知識の海の案内人までも操る力があるというのか」
治人は無視してノーシスを振りかえる。
「ぼくが海に飲みこまれない程度に控えていろ。
合図するまで姿を消しているんだ」
「うむ」
治人に従ってノーシスの姿がスマートホンの中に消える。
ローゼルの表情が険しくなった。
「やはりお前は脅威だ。
村を取り戻すために取り除かなければならぬ障害」
その言葉を合図に、シュネードが前へ進み出る。
シュネードは腰のナイフの柄を持ち治人に短く告げた。
「手を引け」
そう警告したものの動こうとしないシュネードを後ろからローゼルが諭す。
「彼は知識の海にとどまっていれば生き永らえたのに、沈む危険を冒してここに来た。
説得できないことなど分かるだろう?さあ」
ローゼルは優しく背中を押す。
シュネードは一度目を閉じ、開くと同時に猫のようにとびかかってきた。
わ、と声を上げて反射的に治人はかわす。
おかしい。一瞬服の端をつかまれた気がする。
「ノーシス。
海に沈んだ未来から来たぼくの体を他の人が捕まえたりできないんだよな?」
呼びかけると、姿は消したままノーシスの声だけが治人の頭に直接届いた。
「『殻』と言ったじゃろう。海から渡ってきたものは例外じゃ」
「そういうことは早く言ってくれ!」
向うから危害をくわえられないと高をくくっていたが、こうなると話は別だ。
「ここでぼくが死んだらどうなるんだ?」
「そなたの存在が認知されぬように、そなたの死はこの時代には現れぬ。
肉体は再び海に取り込まれ、すでに沈んだ元の世界……高校では転落死、病死、そのような形で処理されるじゃろうな」
結局死ぬことに変わりはない。
だったら海へ沈んで記憶を失くした方がまだマシだ。
そうするつもりはないが。
どうすればいい。焦る思考は上滑りを繰りかえす。
まともにケンカして勝てる相手じゃない。
治人の体をとらえ、ナイフで首を引っかく。
それでシュネードの目的は達成だ。
治人はシュネードと距離を取り、壁際の棚に手をつく。
相手が体制を変えたのを見計らって箱の中にあったものを投げつけた。
ぐ、とうめいてシュネードは一歩下がる。
床にばらばらと木片が転がった。
木製の活字だ。
治人は手当たり次第にばらまき、足場を狭めていく。
自分も逃げにくくはなるが、相手の自由を奪うのが先決だ。
そして最後に、コップをシュネードの顔めがけて放った。
シュネードはとっさに両腕で顔をかばう。
コップの中から黒い液体が飛び出して少年の服を漆黒に染める。
印刷機用のインクだ。
「それで?」
こちらの手詰まりを悟ったのだろう、シュネードは意地の悪い笑みを浮かべた。
――口先だけで何とかやってきたんだろう――
治人のことをそう評したのはエティエンヌだったか。
手がかりを探すんだ。
この状況を変えられるものを。これまでの彼らの言動、態度、仕草から。
「免罪符を持っていたってことは、本当は罪を犯したくなんてないんだろう、シュネード」
治人の言葉に動きが鈍った。
その隙に今度はローゼルへ向けてことばを重ねる。
「なぜシュネードに人を殺させるんだ。
あなたがやればいい」
「私は罪を重ねるわけにはいかない。
あの子が……家族が行くのは天国だ」
「それで罪をシュネードに?」
「おれはいい。母さんはきっと地獄に行く。
そういう人だったから」
シュネードはナイフを持ち直そうとしたが、袖がもたついているのを見て舌打ちをする。
インクをたっぷり吸った袖を破り捨てた。
その時。袖の中で鈍い銀色が光り、同時に白い紙が見えた。
治人は息をのんだ。
見つけた。
ここだ。知識の海でたどった彼の記憶。
自分は思い知らされてきたはずだ。ことばの力を。
――命がけではぐらかせ。




