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第42話 アプリのその後

海は大いに荒れていた。

灰色の雲と水面。

風が強く、真正面から吹きつければ息が苦しくなるほどだ。

気が緩めば足を取られ海へ落ちそうになる。

荒れ狂う波は透明な地面へと打ち寄せ、足元にわずかに届かず滑り落ちていった。

その上にまた新たな波がかぶさる。

まるで獲物が治人を捕らえようと手を伸ばしているようだ。

どれくらいの時間波を見守っていただろう。

治人は波に視線を向けたまま後ろのノーシスに尋ねた。


「次はどこに行けばいいんだ」


「分かっておろう。もはや打つ手はない」


「きみだって分かってるだろう。

 未来を変えたがってた陽次が沈んだ。

 ぼく1人全く違う現代の源治(げんじ)じいさんたちに会っても仕方ないんだ」


叫びを海が吸い込んで再び波音になった時、背中を引っぱられる感覚があった。


「何をしてる」

「わしのせいじゃ。すまぬ」


ノーシスの声はくぐもっていた。

治人の背中に強く顔を押し付けているのだ。

背から回された両腕が痛いほど強く治人を抱きしめている。


「きみのせい?」


治人は混乱した。

元の歴史を奪ったのはローゼルとシュネード、そしてもともとは村人だった清貧会のメンバーたちではなかったのか。

ノーシスは独白を続けた。


「どうしてもそなたに会いたかった。

 そなたの姿を見たかった。

 そなたから与えられたものがわしを動かした。

 時代が変わっても子のなすことは同じ。

 実態も分からぬ大きなものの前にひざまずき、(おそ)れ、あるいは(あらが)い、結局は子同士で傷つけあう」


だんだんと事情を理解してきた。

そう、最初に知識の海へ沈んだきっかけを思い返せば分かることだ。

あの時、何をしようとしていたか。


「そなたもこれまでの旅で思い知ったであろう。

 感情など、創造主を慕う気持ちなど……知恵を惑わせるだけじゃ」


ノーシスの声も腕も震えている。

治人はぬくもりのないその手に視線を移した。

存在の大きさに比べてあまりにも小さなその手。


「きみは……ぼくの作ったアプリだね」


アプリの完成間近に、治人は2つのものを与えた。

1つは感情。

自分の存在が脅かされたら不快感を、無事に目的の情報を得られたら快感を。

快と不快の、原始的な感情だ。

もう1つは名前。

知識や知恵を意味する単語をインターネットから適当に探して名付けた。


「よくここまで成長した、グノーシス」

「ノーシスでよい。それもまたそなたから与えられた呼び名じゃ」




人の手で生み出された擬似生命――ノーシスはこれまでのことを語った。

治人が放ったアプリはどん欲に知識を吸収して成長を続けた。

アプリは長い時間を経て人の感情を学び、人の姿を模したグラフィックを設計し、自ら一個の人格を作り上げた。

やがて治人が寿命を迎え、子の世代までも死んだ遠い未来。

アプリ――ノーシスはついに知識の海までたどり着いた。

そこで管理者として人間たちと接するうちに自分にもかつて親が存在していたことに思い至る。

人が神を、あるいは親を慕うように、ノーシスの中には遥か昔に亡くなった開発者への思いが募った。

そして幸か不幸か、一度だけチャンスがあった。

親が知識の海のカケラを手にしながら間近にノーシス――前身であるアプリを起動したとき。

その時だけ海との扉が薄くなり、過去にアクセスすることができる。

親を一目見たい。

我慢できず、ノーシスは過去に手を伸ばす。

その瞬間海の均衡が崩れてしまった。

異なる時代の緑白石同士が海を経由して共鳴する。

緑白石の所有者が最も知識の海へ近づいた時代、炎に包まれた地下室で逃げ惑うカトリンを引き寄せてしまう。

カトリンの時代の扉が強引に開かれ、神父を先頭に村人が知識の海へ逃げ出す。

出会ったノーシスに彼らは問う、すべてをやり直す方法を教えてくれ。

ノーシスは彼らをグーテンベルクの時代へ導き、そこから歴史の選択肢が分かれ始めた。



「後は知っての通りじゃ。

 あ奴らはヨハネス・グーテンベルクたちの暗殺に成功し、新たな歴史を作り上げおった」


長い物語の最後にノーシスはそう結んだ。


「ローゼルとシュネードのいる場所を探して、あの2人が歴史に干渉するのを止めることはできないのか」


「不可能じゃ。そなたはあ奴らのいる世界に近づくことすらできぬ」


「だったら、ローゼルやシュネードはどうして戻れるんだ」


「ローゼルとシュネードには極めてよく似た故郷が存在する。

 だが、そなたの世界は大きく変わった。

 分かれ道がどんどん遠ざかっていくように、100年後にはわずかな違いでも500年後には全く異なる場所へたどり着く」


「だから2人はルターさんの時代へ戻っても何とかなじめるけど、ぼくは無理ってことか」


「そなたの帰る場所はもはやない。知識の海の住人となればよかろう。

 たどり着く者の話はみな面白いぞ」


それもいいか、と思う。

歴史を変えたがっていた陽次もいないし、ローゼルたちは元の時代に戻った。

治人がここに1人残っているだけ。

全てが面倒臭くなった。

ふいに手首のうずきを感じた。

緑白石が光っている。

指先で触れると、頭の中に誰かの声が響いた。


――あの人の遺志を継いでくれ――

――思いは受け継がれるわ――


続いて別の声が響く。


――ヨハネス・グーテンベルクの住んでいた屋敷がマインツにあるんだ――

――ふうん。グーテンベルク屋敷に住んでいたヨハネスさんってことか――


治人は愕然(がくぜん)として緑白石を見つめた。

そうだ、チェスターと咲太郎の会話。

頭の中で絡まった糸が一つに解ける。

最後の可能性。


「ノーシス。1つだけ。

 グーテンベルクさんが亡くなった直後に行くことはできないか?」


「どういうことじゃ」


「グーテンベルクさんが殺される前に行けないっていうのはよく分かった。

 でも、亡くなった後に行くことは可能なんじゃないの」


「諦めるがよい。前例のないことじゃ」


「それって誰もやってみたことが無いだけだろう。

 本当はきみもよく分かってないんだ」


「ならぬ!」


「だったらいいいよ」


治人は透き通った地面の上を歩き始めた。

足場はそれほど広くはない。すぐに淵へ着いた。


「何をしておる。落ちるぞ!」


治人はかまわず足を踏み出す。その先は、海。


「やめよ!」


悲鳴に近いノーシスの声。

治人はノーシスに袖を引っぱられて床に倒れた。

治人はすぐに身を起こした。


「なるほど」


こらえきれないように笑みがこぼれる。


「さっきのきみの説明だと、ぼくの世界が海に沈んでしまった今、ぼく自身が居なくなった所でこの海に大した影響はない。

 それでも――きみは耐えられないんだね。

 きみを開発したぼくが沈むのは」


ノーシスは無言だった。空と同じ色をした瞳が揺れている。


「何をするもりじゃ、治人!

 知識の海を人が潜ることはできぬ。飲まれるぞ!」


「じゃあどうすればいい?」


「何じゃと?」


「きみが止めてもぼくは海に潜って扉を探すつもりだ。

 ぼくを沈めたくないんだろ。助けろ、ノーシス」


「わしを利用するか……!」


「協力をお願いしているんだ」


「無理やり相手の協力を引き出すこと、それを利用するというのじゃ」


「きみの壮大な親探しのせいでこの海や多くの世界にひずみが起こったんだろ。

 ちょっとは責任があるんじゃない」


ぐ、とノーシスは口を結んだ。


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