第41話 可能性がついえる
床に伏せられていた伝介がまず波に飲まれた。
次は咲太郎、そしてチェスター。
周りの者がつぎつぎと目の焦点を無くし海へ漂っていく。
以前よりもはるかに速く海は景色を飲み込み始めた。
なすすべもなく立ち尽くす中、治人は1つだけはっきりと悟っていた。
修正しようもないほど歴史がゆがんでしまったこと。
治人は失敗した。
ローゼルもまた肩を落して座りこんでいた。
「ついに伝わらなかったか。
印刷技術こそ人の浅はかな知識と思想を拡散させるものだということが。
争いのない千年王国。もう少しだったのに」
「ローゼル神父、早く!」
シュネードはローゼルの両肩に手を回し、引き上げるようにして立たせた。
「おい、おれはどうなるんだよ」
陽次がシュネードの後ろ姿に問いかけると、
「知らん。好きにしろ」
振り返りもせずにシュネードは冷たく言い放ち、そのままローゼルと共に扉をくぐっていった。
「本当に行きやがった……ま、共倒れだしな。
行くぞ、ハル」
陽次はため息を1つ付き、治人を促した。
しかし治人は反応しなかった。
このまま沈んでいくんだ。
不思議なほど穏やかに治人はそれを受け入れていた。
「おい、何ぼーっとしてるんだ!」
水位はみるみる上がっている。
たしかにのんびりしているヒマは無い――沈みたくないなら。
他人事のように治人はそう考えた。
「きみの望み通りになった、陽次。
軌道修正するなら、よく似た歴史に帳尻合わせするにはここが最後だったのに、失敗した。
もうぼくらのいた高校には戻れない」
「やることはまだある。見届けるんだ、どうなったかまで」
陽次は治人の腕を引っぱって扉に向かおうとした。
しかしすでに膝ほどの高さの水と治人に引きずられ、すぐに立ち止まる。
「くっそ、重い。歩け、ハル!」
「離せばいいだろ。さっさと君だけ扉をくぐればいい」
「おまえは見たくないのか。
じいちゃんやばあちゃんがあんな死に方しなくて、あんな気持ちにさせることもないところ。
ずっと考えてたんだ。
何でおれ2人を普通に送り出したんだろうって。
2人とも疲れてるの知ってたのに、止めるどころか『出かければ元気出るよ』ってさ。
何かできたんじゃないかって。
今度は間違えない」
治人は同じ姿勢のまま、力なく口を動かした。
「陽次はそれでいい」
治人の言葉の意味が分からなかったのだろう。
陽次の力が一瞬抜けた。
治人が水面に膝をつく。
「陽次は、源治じいさんと桜ばあさんの孫だから、どうなったって2人には会える。
でもぼくは、偶然が重ならなきゃ君の家に預けられなかった。
1個歯車が欠けたら、ぼくはあの2人にとって知らない子だ。
新しい現代に移って、あの2人と君が笑っているのを遠くから見るのか?
『初めまして。どこの子だい』って声をかけられたらどうすればいい?」
陽次だけではない。
治人もまた『やりたいようにやっていた』のだ。
どうしても取り戻したかった。
支えてくれる両手にぶら下がったこと。
右側の骨ばった手と、左側の細い手。
陽次は呆然と治人の独白を聞いた。
「そうだったのか」
そして次には治人をもう一度抱える。
「だからって、おまえを置いては行けねえよ!」
「もう放っておけばいいだろ!」
「そんなことしたらますます2人に会えねえよ。
じいちゃんの工場を取り壊すことになった時、立てこもった。
木月のおじさんたちが迎えに来たとき、ばあちゃんの陰に隠れようとした。
2人から最後にもらったお守りをずっとランドセルに入れてた。
じいちゃんたちがおまえのこと知らなくったって、おれが覚えてる。
おまえは家族なんだ」
しぶしぶ治人は立ち上がった。
立ち上がった治人を見て陽次は満足そうだ。
濁流が押し寄せる。明らかに今までとは違う。
意図をもって治人たちを襲ってくる。
本来なら治人と陽次はもう沈んだ世界の者だ。
海が取りこもうとする力が強くなっている。
「うわ!」
流されかけた治人の腕を陽次がつかみ、もう片方の手で扉の枠をつかんだ。
ノーシスが扉の向こうから手を伸ばす。
陽次は渾身の力で治人を引きよせた。
ノーシスが治人の体を両手で受け取り、波から引きずり上げた。
陽次はそれを見届けてほっと息をつく。
その時ひときわ大きな波が襲ってきた。
一瞬の気のゆるみをつかれた陽次の体が横から押し流される。
手がドアの枠から離れていった。
胸のポケットからスマートホンが流れ出る。
「陽次!」
ノーシスはとっさに立ち上がってスマートホンを取り、治人の目の前で扉を閉める。
すぐに扉は海へ沈んでいった。




