第40話 歴史のかじ取りを誤る
宰相の執務室に向かう途中で先客に気付いた。
周りの軍人があわただしく動き回る中、少年が1人所在無さげにさまよっている。
明るい茶色の髪と瞳。
治人は彼に呼びかけた。
「陽次!何をしてるんだ」
声に反応して陽次は足を止め、顔をこちらへ向けた。
心底驚いているようだが、こちらも同じだ。
陽次は伝介、咲太郎、チェスターの順に顔を見比べてこちらに近づいてきた。
「ハル、この人たちは?」
「先に答えろ」
冷たく切り返すと、陽次は困ったように首をかしげる。
「散歩してただけだ。
いきなりシュトラスブルクに連れてこられて、でも外には出るなって言われたから」
以前の陽次は宰相のそばで式典に参加していたし、護衛がしっかりついていた。
本物の治人が現れたことで待遇が変わったらしい。
陽次自身はあまり気にしていないようだが。
陽次が治人のそばに立つ3人を興味深そうにながめた。
特に隠す理由もないと判断し、治人はチェスターを指し示す。
「この人はチェスター・カールソンさん。コピー機の開発者」
「すげえ!」
「隣が木月伝介さん。ぼくのおじいさんのおじいさん」
え、と陽次が固まった。治人はかまわず続ける。
「その隣が音羽咲太郎さん。源治じいさんのおじいさん」
陽次は目を見開き、自分たちの祖先を交互に見つめた。
「ハル。もうちょっとだ。ちゃんと歴史は動いている」
震える声で治人にそう語りかける。
治人はいら立ちを感じた。
「これだけ引っかき回して何を言ってる。
無くなったはずの国が続いているんだぞ!
あとどれだけの歴史を変えた。人の死を操った!」
「だから言っただろ。
グーテンベルクさんが死んだことでもう歯車は外れている。
だったら自分がいいと思う方向に動かすんだ」
「そうやって人殺しの集団の言いなりになるのか!」
「ちょっといいか」
口論し始めた治人と陽次の間に咲太郎が割りこんだ。
ガリガリと頭をかきつつ陽次と向き合う。
「難しいことはよく分かんねえんだが……歴史を変えたのか、お前?
本当ならこうなるはずだったって流れを自分の都合で変えたのか」
「どっちにしても変わるんだ。だから。
こうすれば本当は死ぬはずだった人も救われるんだ」
陽次をかばう、あるいは咲太郎を止めるように、伝介が彼らの間に手を伸ばした。
「咲ちゃん。こいつは自分でやったわけじゃない。
ローゼル……清貧会の頭領に協力しただけみたいだ」
咲太郎はジャマそうに伝介の手を払い、つかつかと陽次に歩み寄る。
「ほう。そうかそうか。このバカ野郎!」
ゴツッと鈍い音がして陽次がのけぞった。
こぶしを振り切った咲太郎の姿を見て陽次が殴られたのだと治人は理解した。
「な、何でおれ殴られてんの……」
「気に食わない、そんだけだ」
無茶苦茶だ。治人は内心でつぶやく。
「この世には摂理ってもんがあるんだよ。
それに逆らうのはいけないことだ。
どっちの方が犠牲多い少ないとかは関係ねえ。
悪いことは悪い。そこに小難しい理屈は要らねえよ!」
咲太郎の怒鳴り声が響いた。
陽次は赤くなった頬に手を乗せ、身を起こすことも忘れて呆然としている。
いきり立つ咲太郎の肩に伝介が手を置いた。
「いきなり暴力は良くないぜ、咲ちゃん」
やっぱりぼくの先祖だ。話が分かる。
しかし咲太郎は怒りの視線を今度は伝介に向けた。
「お前の殴りたいヤツを殴ってやったんだろうが」
「まあな。あおりやすくて助かる」
しれっと伝介は言い放った。
やっぱりぼくの先祖だ。タチが悪い。
と、他人事としてながめていた治人を咲太郎はにらんだ。
「お・ま・え・も・だ!
殴りはしねえが気に食わないのは一緒だからな。
友だちの間違いを何で見過ごす。
距離取って火の粉から逃れてんじゃねえよ」
「ぼ、ぼくは話し合おうと……」
「こいつみたいに正面から向き合おうとしたか!
自分の本音をぶつけたか!
口先で言いくるめようとして、できなきゃ銃を突き付けて。
それを話し合いとは言わねえよ!」
魂を抜かれたように硬直する治人と陽次へ向けて、咲太郎は盛大に舌打ちした。
「ったく情けねえぜ。こんな腐抜けたやつらが子孫かよ」
咲太郎と伝介は治人らを置き去りにして進み始める。
チェスターが陽次を助け起こした。
「ほっとけ、そんな奴」
咲太郎がそう吐き捨てると、チェスターは首を横に振った。
「そうはいかないよ。彼も大事なキャストだ」
「ああ?」
「一緒に来てもらわないと、ね」
眉をひそめる咲太郎にそれ以上何も告げず、チェスターは無言で歩いた。
治人は呆然としたまま後に続く。
建物に入り執務室の前に立つと、チェスターはノックもなしに扉を開けた。
宰相と数人の部下が弾かれたようにこちらへ目を向ける。
テーブルの前に立っていたのはローゼルだ。
彼らが何かを問う間もなく、隣の部屋や廊下から大量の兵士が現れ、宰相と治人たちを囲んだ。
「みんな動くな」
いつもの柔和な青年の表情を保ったまま、場の支配者となったチェスターが朗々と呼びかける。
チェスターはローゼルに向かって一礼した。
「お会いできて光栄だよ、ローゼル司教。
あなたと宰相が同じ場所に居てくれる日が待ち遠しかった」
ローゼルは数秒の自失から我に返り、表情を引き締めた。
「おい、チェスター。これは何の真似だ」
咲太郎に袖を引っぱられ、チェスターの意識がそれる。
チェスターは咲太郎の手を丁重に外した。
「大人しく成り行きを見守ってくれれば、きみにもデンスケにも手荒なことはしない。
雇い主、2羽のワシは順調な進行をお望みだから」
「2羽のワシ。1羽目は白頭ワシ、お前の祖国か。
もう1羽は」
咲太郎は息をのんだ。顔から血の気が引いていく。
執務室に鉤十字と並べて掲げられた、その旗。
中央に描かれた漆黒の鳥。
「まさか、皇帝か!?」
咲太郎の動揺を見透かすようにチェスターの笑みが深くなった。
「兵器開発を断ったばっかりに不愉快な仕事をあてがわれて、このザマだ。
でもようやく終わる。
こんな些末な争いや国境にとらわれず、複写機を作ることに集中できる。
ここからなんだ。
ハルト、きみが言ってくれたように、ぼくの複写機を全世界の人たちが当たり前に使うようになるんだ。
この状況は君の居た未来どおりかい」
入り口で物音がした。叫び声が上がり、争う音がする。
しばらくして両腕をそれぞれ別の軍人に抑えられたシュネードが引きずられて入ってきた。
シュネードは陽次を見つけると声を上げた。
「どういうことだ。皇帝が裏切ったのか」
「知らねえよ。おれたちの歴史ではもう皇帝なんていなかったし」
混乱したままの陽次に、チェスターが答えを与えた。
「きみのおかげだよ、ニセモノ君」
「へ、おれ?」
陽次は心当たりがないらしく目を丸くしている。
「きみが皇帝に進言したんだろう?
これ以降帝国はロシアに攻め入るが撃退され、敗戦へと向かう。
つまり有利な講和に持ち込むには今が好機ってことだ」
「あー。そういや言ったかも」
そうだ。治人は冷静さを取り戻した。
こいつはこういうやつだった。
「きみたちの目的は印刷技術を解放することだろ?なかなか効果的な方法だ」
「いやあ」
照れる陽次に治人はいら立ち、口を開く。
「違う。印刷はあくまでも、この帝国で生まれなきゃダメだった。
それはローゼルたちも同じだ」
「そうなのか」
チェスターは状況が理解できていない様子の陽次に尋ねる。
「だったらきみ、何で皇帝にこんなこと教えたんだい」
シュネードも加勢する。
「……必要なことだけ話せと言ったはずだ」
シュネードは両側の軍人を振り払い、陽次の胸元を掴もうとした。
陽次はとっさによけ、逆にシュネードの腕を抑えて身動きを取れなくする。
数秒固まり、陽次は困ったように頭をかいた。
「教えてくれって言われたから」
シュネードが口を開いて固まっているが自業自得だ。
陽次なんか使う方が悪い。
「考えてみろ、陽次。
ここで神聖ローマ帝国――ドイツが降伏したら第二次世界大戦はどうなる。
日本とアメリカの戦争だってまだ始まってないんだぞ。
元の歴史と比べてどうだ」
「全然違うじゃねえか」
「だから違ってるんだよ!」
治人が叫んだのと同時だった。
水が浸り始めた。
次回で第3章は終わり。次回はいつもの分量より少なくなります。




