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第38話 フランス降伏、出立前夜

「諸君に紹介したい。彼がキヅキハルトだ」


宰相が治人を招き入れると、テーブルを囲む軍人たちの間でざわめきが起こった。

治人は涼しい表情を保って宰相の隣に進み出た。


「閣下、これは一体」


マインツ大司教、と紹介された男が立ち上がった。明らかに動揺している。


「君の主張は知っている。

 キヅキハルトと新たに名乗る者が現れても取り合わないように、だったな。

 だがそれにわたしが従う義務はない」


わずらわしそうにそう言い切る宰相。

マインツ大司教は一瞬ひるんだが、食い下がる。


「帝国がこれまで神の恩恵にあずかってこられたのも、代々のマインツ大司教と清貧会が協力して争いの火種を――グーテンベルクの遺産を管理してきたからこそ。

 神の御心をないがしろにされるおつもりか」


「神の?教会、いや、清貧会の御心だろう。

 さらに言うならローゼルとかいう一個人の意思だ。

 まさか奴がいろんな時代を自由に行き来して今の教会を作り上げた、なんて都市伝説をうのみにしているのか。

 そういう前時代的な因習にとらわれているから先の大戦に敗れたのだ」


宰相は苦笑し、手を振って下がれ、と合図した。

さらに言い募ろうとしていたマインツ大司教は両側を軍人に挟まれ、しぶしぶ去っていった。

ほどなく会議が始まり、治人も出席を許された。

テーマは主にフランスへの侵攻方法だ。

詳しい単語は分からなかったが、治人は可能な限り覚えようと集中して聞いた。

後で伝介たちに報告するためだ。

治人が先日示唆したように、フランスの防衛ライン外の森を戦車で強行突破して首都を目指す。

目的はシュトラスブルクを含むエルザス・ロートリンゲンの奪還。

長い会議が終わり、やや痛む頭を押さえながら会場を出たところで治人は立ち止まった。

人の波から逃れるように建物の陰で2人の男が立ち話をしていた。

1人は途中で追い出されたマインツ大司教。

そしてもう1人は。


「手こずっているようですね。ローゼル司教」


治人の姿を認めてローゼルは驚いたように目を見開いたが、すぐに動揺を収めて無言を保った。


「アメリカで闇会社が乱立したのは予想外だったのでは?

 おまけに、あなた方の宰相は教会の語る神様よりも自分の才能を信じているようだ」


ローゼルの肩がぴくりと動いた。

反論したいができない。そんな葛藤が伝わってくる。

治人も出まかせを言っているわけではない。

宰相とじかに会ってみて受けた印象だ。

自らの言葉に引き込まれていく、自己陶酔の目を思い出す。


「行きましょう、マインツ大司教」


治人に答えることなく、ローゼルは路地の奥へ去っていった。

マインツ大司教が敵意をあらわにして治人を一瞥し、慌てて後を追う。

治人は追いかけることなく2人の消えた闇を見つめていた。



宰相の行動は迅速だった。

会議からひと月ほどしかたたないうちに治人は知らせを受け取った。


「フランスが降伏しました」


治人がそう報告すると、周りに驚きが広がった。


「何ぃ!?」

「What!?」


咲太郎とチェスターが大声を上げる。

伝介はまだ残っているタバコを灰皿に押し当ててつぶやいた。


「もう、か」


森を突破した奇襲は見事に成功し、首都(パリ)へ侵攻されたフランスは帝国の軍隊を受け入れるほかなかった。

治人は従軍することを許されず、戦いがひと段落するまでは宮殿で待機するよう命じられた。

直属の監視役を何とか抱き込み、外出の許しをもらって宿に通い始めた矢先に軍から連絡があったのだ。


「軍の車でシュトラスブルクへ連れて行ってもらえるそうです。

 どうしますか」


3人の表情を見れば、尋ねるまでもないことだった。

彼らはそのために異国からやってきたのだ。

治人は宮殿と宿を行き来して日程を調整し、3人はそれぞれに荷物をまとめて準備をととのえた。



翌日に出立を控えた夜中、治人は目を覚ました。

部屋が緑色の光に淡く照らされている。

光源は自分の手首だった。

正確には、手首に巻いた緑白石。

シュネードの襲撃があって以来、治人は石にひもを付けてブレスレットとして身に着けていた。

怪しく光る石は何かを訴えているようで胸騒ぎを起こす。


「外に出ろって?」


無機質な鉱物が肯定を返したような気がした。

導かれるまま、治人は宿の外に出る。

少し歩くと家並みは途絶え、小高い丘陵地(きゅうりょうち)が目の前に広がった。

見事な月夜だ。

離れた丘の上に小さな緑の光がともっていた。

応えるように治人のブレスレットが光る。治人は光の下まで走った。

見た目ほどの距離は無かったが、それでも着くころには息が上がっていた。


「どうしたんだい。朝には出発するんだろ」

「それはこっちのセリフです、ヴィルティン。どうしてこんな所に」


丘の上、緑の光の源には宿の女将(ヴィルティン)が立っていた。

ヴィルティンは手の中にある石を見つめた。

緑の海を閉じ込めたような宝石。


「この石、家の宝物なんだよ。

 不思議な力があるらしくって、たまに話しかけてくるんだ。

 だからこうやって石の喜びそうな場所に来るのさ。信じられないだろ?」


どうとりつくろうか考えて、結局正直に話すことにした。

そんな印象だ。


「わたしのご先祖さまは賢者だったらしいよ。

 尋ねるとどんなことでも答えてくれるっていう魔法の石を作ったんだ。

 賢者がたどり着ける場所、人類の知恵そのもの。

 知識の海につながる宝石。

 でもわたしには使いこなせないみたいだ。

 せっかく金儲けの方法を聞いて楽をしようと思っていたのにさ」


そういって豪快に笑った。

子どもじみた信仰を話してしまった、と恥じているようだ。


「信じます、ヴィルティン」


治人は手首をもう一方の手で隠して答えた。

ヴィルティンは驚いたようにぱっと顔を上げ、治人の目を正面から見つめた。


「不思議だね。

 ずっと前に、あんたとこんな風に満月の下で話をした気がするよ」


――知識の海へ沈んでしまっても思いは伝わるわ――


風が治人の頬を撫でた。

丘の向こう側、幕一枚を隔てた別の世界から運ばれてきたような、温かく柔らかな風。

彼女との共通点は長い金色の髪と青い瞳くらい。

面差しにも体格にも似通ったところは無い。

それでも、月明かりの元で見た女将(ヴィルティン)がカトリンに重なった。

自分の直感が当たっていたとしたら、ヴィルティンは彼女の子孫だ。

それはつまり――その先の思考を治人は中断し、胸に生まれた灰色の感情を押し込めた。

彼女のことだ、きっと幸せに暮らしたのだろうから。

元の歴史ではヴィルティンが緑白石を大切な人に贈ったのかもしれない。

緑白石がその人を守ってくれるように。

あるいは、その人が必ず自分の所へ返しに来るように。

そして二度と再会することはなかった。

――全ては自分の想像だ。すでに失われた歴史。

ここでは架空の産物に過ぎない。

遠くからおーい、と呼ぶ声がした。

背の高い人影が近づいてくるにつれ正体がはっきりした。伝介だ。

治人たちのそばまで来て、伝介は治人を小突いた。


「勝手にうろつくなよ。この間のガキが来たらどうするんだ」


すみません、と治人は素直にあやまる。

伝介は次にヴィルティンへ目をやった。


「いけねえな、カリン――ヴィルティン。

 年下の男の子をこんな時間にデートに引っぱり出しちゃ」

「バカなこと言わないでよ。治人はわたしを探しに来てくれたのさ」


伝介のからかいを軽く流して、ヴィルティンは治人に向き合う。


「石がしゃべりかけるなんて、めったに信じてもらえないんだよ。

 妙な話に付き合ってくれてありがとう」


いえ、と治人がつぶやくと、ヴィルティンはもう一度手の中にある緑白石のカケラを眺めた。


「わたしの先祖が残してくれたこの石にはたくさんの思いが込められてる。

 迷ったときに問いかけたら確かに答えてくれるんだよ。

 あんただって左手のそれに込められた思いがきっと導いてくれる」


治人は反射的に左手首のブレスレットを右手で強く握った。

どこまでヴィルティンが気づいたかは分からないが、追及するつもりはないようだ。


「この先あんたたちに神のご加護と知識の海の恵みがありますように」


ヴィルティンは治人と伝介を順番に見て、帰ろうか、と笑いかけた。


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