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第33話 名前を乗っ取られる

ある朝、宿の外の喧騒で目が覚めた。

ついに近所から匂いについて苦情が来たか。

寝ぼけた頭でたどり着いた結論が間違いであることはすぐにわかった。


「皇帝陛下と宰相様が通られるんだよ、早く起きな!」


ヴィルティンが弾んだ声で起こしにきたのだ。

居間にはすでに咲太郎、伝介、チェスターがそろっていた。

ヴィルティンはいそいそと袖をめくってリストバンドをつけた。

伝介と咲太郎もそれぞれ腕章をカバンから取り出し、チェスターも旗を持つ。

そのいずれにも同じマークが描かれていた。

どこかで見たことのあるマーク。

そう、例えば教科書で、テレビで。

前時代の遺産、戦争の教訓として。

鉤十字(ハーケンクロイツ)

宿を一歩出ると人々が道路の両端に列をなしていた。

一見普段通りに談笑しているが、笑顔や声に静かな興奮が潜んでいる。

彼らの持つ旗、身に着けたリストバンド、あるいは背中のマント。

視界のいたる所にちりばめられた鉤十字。

治人は息をのんだ。

やがて黒塗りの車が歓声とともに近づいてきた。

数台の車が縦に並んでおり、皇帝の御車の前後を警護の車が挟む形だ。

待っていた時間に比べ走り去ったのは一瞬だ。

御車に従うように続いた車、その後部座席にいた人物。

横顔が写真のように治人の視界へ焼き付いた。


「陽次!」


上げた声は歓声に紛れ、届くことなく車は走り去った。


「どうした?」


隣にいた伝介が尋ねてくる。


「今知り合いが、皇帝の後ろの車に」

「きみはそんなえらい人と知り合いなのか」

「ただの同級生です」


伝介は記憶を探るように眉根を寄せる。


「まさか、日本人の男のことか?君くらいの年の」


治人がうなずくと、伝介は納得したように言った。


「あれはキヅキハルトだ」

「……え」

「やっぱり知らないのか。

 マルティン・ルターが子孫に託した名前だ。

 いずれ神聖ローマにキヅキハルトというアジア人が現れた時は彼の助言を聞き入れ、助けるように。

 彼はグーテンベルクの遺産を大いに発展させるだろう、って」


いつから聞いていたのか、チェスターが口を挟む。


「それだけじゃないぞ!

 グーテンベルクと共に印刷機を開発したメンテリンの手記にもキヅキという名前が登場する。

 ぼくが考えるに、キヅキハルトとは時を自在にわたり印刷技術変革の時代に現れる、サンジェルマン伯爵のような存在なんだ」


こぶしを握って熱く言い放った後で、チェスターは治人に視線を送る。

この男は、治人の正体に気づいた上でわざとやっているようだ。

チェスターはいいとして、伝介と咲太郎は真剣に聞いている。

どうもオカルト的な存在として認識されてしまっているみたいだ。

ルターとしては治人が後々動きやすいよう配慮してくれたのだろう。

しかし長い時間の経過により伝言が変質してしまったのか、事情を知る治人が聞いても怪しげな予言としか思えない。

迷ったのは一瞬だった。陽次なら、きっと話す。

たとえ受け入れてもらえなくても、自分の言葉は必ず相手の心に沈んで淀みを生む。

何度もそんな場面を見てきた。

治人は姿勢を正して顔を上げた。


木月治人(きづきはると)は……ぼくのことです」

「ああ、分かってるよ。たまたま同じ名前だったんだろ」


伝介の答えに、治人は首を横に振った。


「彼の名前は音羽(おとわ)陽次(ようじ)音羽源治(おとわげんじ)の孫です」

音羽源治(おとわげんじ)?それは咲ちゃんの孫の名前だ」

「ええ。咲太郎さんの子孫はぼくの名前を乗っ取ってみんなを騙している」


伝介は口を開けてたたずむ。

やがて治人の真剣さをくみ取ったのか、宿の入り口を開いて治人に示した。

すでに周りの熱狂は冷め、自分たちの会話を周りが聞き取れるほどになっている。


「中で詳しく聞かせてくれ」



学校から突然グーテンベルクの時代へ、そしてルターの改革を妨害されてこの時代へ。

気が付けば(せき)が切れたように打ち明けていた。

知識の海のことは省略し、タイムスリップということにしておいた。


「元の歴史へ近づけるためには、ここが最後の可能性なんです。

 何としてもここでローゼルたちを止めないと」


そう結び、治人はようやく一息ついた。

伝介も咲太郎も話の途中で黙り込んでしまった。

治人の話に圧倒されているようだ。

先に口を開いたのは伝介だった。


「治人君。

 今神聖ローマ帝国が戦争を仕掛けようとしていることは知っていると思う。

 帝国がシュトラスブルクを奪還することは、きみが戻したがっている歴史の流れに逆らうのか?」


伝介が指でタバコをもてあそびながらそう尋ねた。

自分がおそらく伝介の子孫であることはもう話したが、相変わらず知り合いの少年と話す口調だった。

会ったこともない先祖と接するのは奇妙な感覚だったので、他人行儀な態度がありがたい。


「いいえ。ぼくらの歴史でも、ドイツはシュトラスブルクを占領しています」

「ドイツ?」

「あ、この帝国のことです。

 元の歴史では神聖ローマ帝国はとっくに無くなっていて、ドイツという別の名前の国になっているんです」


知識探索アプリでドイツを検索しても出てこなかった。

存在すらしていないことになっているのだ。

咲太郎が「なに!?」と声を上げた。


「神聖ローマ帝国って無くなるもんなのか!?変な感じだな」


咲太郎と伝介は若いころに帝国へ留学していたそうだ。

昔から知っている国が無くなるところは確かに想像しにくいだろう。

伝介が話を元に戻した。


「とにかく、帝国に協力する、または妨害しないっていうんだったらおれも力になれるかもしれないぜ」


来週の式典の後で聖書朗読士たちの会合に宰相の部下が来るらしいから、伝介が取り次いでみる。

そういうことで話はまとまった。

ひと段落ついて伝介はタバコをくわえ、感慨深げに煙を見つめた。


「こんなジジイになってからでもいろんなことが起こるもんだな」


その時、居間の扉がバーンと音を立て、チェスターが堂々と入ってきた。


「話はすべて聞かせてもらった!」

「何で聞いてるんですか」


チェスターには席をはずしてもらったのだが、扉越しに盗み聞きしていたらしい。


「研究者の血が騒いだんだよ。

 ぼくだって無関係じゃない。

 要はぼくの素晴らしい発明をさっさと広めてしまえばいいんだろう」


チェスターはどこまでも楽観的な口調で語り、おどけた顔をしてみせた。


「人のよりよい技術を作りたいという意思を抑え込むことはできない。

 管理しようというその発想が前時代的でナンセンスだ」

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