第3話 ヨハネス・グーテンベルクと出会う
暗闇の視界に水平線が白く走り、光が卵型に広がっていく。まぶたを開けて目に入ったのは灰色の天井。
寝すぎた休日のように頭が重い。治人はうめきながら体を起こした。隣で陽次が目をこすっている。
薄暗い場所だ。
この階が丸ごと大部屋となっているが、これだけ広々としているに蛍光灯がない。
換気よりも明かりを取るのが目的なのだろう、天井にいくつか小さな窓がついていてそこから光が差している。
柱や長机や木材でごちゃごちゃした中を十数人の男がせわしなく動き回っていた。
みんな肩幅が広く、腕も足も太い。それに金色の髪と青の瞳。外国の人たちのようだ。
「ハル。今すっげーことが起こってるぞ」
いつの間にか治人のスマートホンを陽次がいじっていた。
「勝手に触るなよ」
治人の抗議を気に留めず、陽次は興奮した様子で、
「床に落ちてたんだ。それより見ろよこれ!」
画面を突き付けてきた。映っているのは何の変哲もないホーム画面だ。陽次の指の先には日付と時刻が表示されている。
治人は年数の部分にくぎ付けになった。
1437年。
そういえば周りの男たち、変わった服装をしていないか。まるで中世ヨーロッパのような。
彼らは工事現場で大工が着ている作業服のようなものを身に着けていた。上下がつながっており、下の部分はキュロットのように二股に分かれ、膝のあたりですぼんでいる。
陽次はなぜか嬉しそうに声を弾ませる。
「これ、タイムトラベルってやつじゃね?」
と言うよりタイムスリップだ。信じられない思いで治人はスマートホンを観察し、矛盾に気付いた。
「だったら何で無線が通ってるんだよ」
無線とのつながり具合を示すマークがいつも通りついていた。
扇形の線が全部で3本あり、本数が増えるほど現在無線がつながりやすい環境にいる、ということになる。今は3本マークだ。
治人はスマートホンのロックを解除してインターネットを立ち上げてみたが、予想通り『NOT FOUND』が表示された。
1437年時点でスマートホンに対応した無線が走っているわけがない。
その時、一人の男が部屋の奥からこちらに歩み寄ってきた。口元のヒゲと大柄な体つきが貫録を出している。
「このかき入れ時にヒマそうだな。キヅキとオトワ、こっちに来い。
もっと仕事をやる」
治人と陽次は思わず顔を見合わせた。
「ハル、この人誰?」
「陽次の知り合いじゃないの?」
こそこそと話す自分たちの様子に、ヒゲ面の男は面倒くさそうに頭をかいた。
「まだ自己紹介していなかったか。
おれはヨハネス・ドゥ・アルタヴィラ。一応ここのまとめ役をやっている。
ここにはヨハネスが何人もいるから、おれのことはグーテンベルクって呼んでくれ」
「グーテンベルク?」
どこかで聞いた名前だ。治人が尋ね返すと、
「ああ。屋敷の名前を取ってそう呼ばれている。さ、早く本を仕上げるぞ」
グーテンベルはそう言って足早に奥へ向かった。治人と陽次は後に従う。
雑然とした室内を縦断し、奥に案内された。イスが数脚平行に並んでおり、イスの前にはそれぞれ広い板が視界をふさぐように置かれている。この一角だけ画家のアトリエのような配置だ。
板の右側には白い紙、左側には文字のびっしり詰まった本が置かれていた。
「詳しいことはそこのヨハネス・メンテリンに聞け」
ヨハネス。グーテンベルクと同じ名前だ。治人の表情に気付き、グーテンベルクは微笑する。
「そう、二人目のヨハネスだ。メンテリン、頼んだぞ」
近くにいた男にそう指示を出してグーテンベルクはさっさと戻ってしまった。後に残されたヨハネス・メンテリンという男は治人と陽次にイスへ腰かけるよう勧める。
グーテンベルクと比べてメンテリンは細身で、こけた頬と丸く見開かれた目が神経質そうな印象を受ける。
「それぞれ開いてあるページから本を作ってくれ。原本は横だ。出荷が迫っているから急ぎで」
メンテリンがぼそぼそと早口で言う。
目の前には白い紙、そして手元に置かれているのはどう見ても墨のビンに浸かった筆だ。
治人は恐る恐る確認した。
「あの、メンテリン、さん。本を作るって、まさか手書きで?」
「それ以外に何がある」
この文字だらけの本を手書きで紙に写せということらしい。治人が固まっていると、陽次は抵抗なく筆を握った。
「陽次、やるの!?」
「さっきの人の説明聞いただろ」
「何でぼくらがそんなことしなきゃいけないんだよ」
「じゃあどうすりゃいいと思う」
治人は返事に詰まった。その隙に陽次はすらすらと主張する。
「おれたちは千四百何年かに来てしまった。
ここは木とか紙を扱う工房で、親方っぽい人はなぜかおれたちの名前を知っていて、他の人も新入りだと思ってる。
だったら設定どおり新入りとして働きながら状況を探ったほうがいいんじゃないか」
意外にちゃんと考えている。治人はしぶしぶ提案に乗った。