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第27話 ミュンツァーの暴走

今回やや残酷な描写があります

シュトラスブルクに着いてすぐ、治人たちは大聖堂近くの橋に向かった。

ルターによると、教会が何かの告知をするため市民を集めているらしい。

あくまでもウワサだが、とルターは前置きした。


「近々マインツ大司教自身がこの街を訪れるらしい。

 グーテンベルクの遺産探しだろう」

「向こうも本腰を入れだしたな。こっちも組織は整いつつある」


不敵な笑みを浮かべてエティエンヌが応じた。


「兵士多いな。聞いてるか、ハル」


陽次に肩をたたかれ、ようやく治人はうなずいた。

正直なところ上の空だった。

治人は出かける直前のカトリンとの会話を思い出していたのだ。


「イヤな風が吹いているわ。こんな時は人の心も惑いやすい」


カトリンは不安を顔に浮かべて治人の腕を強く握った。


「気を付けて、ハルト」


改めて意識を目の前の街並みに戻す。

陽次の言うとおり傭兵(ようへい)の姿をやけに見かけた。


「あまり目を合わすなよ。清貧会の私兵だ」


エティエンヌが小声でハルトに注意した。

街全体が不穏な雰囲気に満ちている。

橋に着いた時、すでに演説が始まっていた。

橋の対岸に木製の舞台が組まれ、舞台の上には演説する聖職者と後ろで整列する兵士たちがいる。

市民は舞台を囲む形で橋を埋め尽くしていた。


「マインツ大司教がこの街を訪問なさる。

 悪魔に魂を売った者どもをとらえ、街を清めることで我らの信仰を示すのだ」


演説は最後にそう結んだ。

悪魔に魂を売ったもの。おそらくルターたち改革派のことだ。

そして群衆からかん高い声がいくつも上がった。

悲鳴?いや、違う。これは歓声だ。

先ほどから気になっていた。

台の隅には両腕を縄で拘束された者が数人並んでいた。

彼らは兵士に連れられ台の中心に建てられた異様な器具の後ろに立った。

器具は柱のような太い木材が2本立ち、地面と平行するひと際太い丸太を両端で支えている。

巨大な鉄棒のようだ。

鉄棒の部分に当たる木材には、下端に丸い輪の作られたロープが数本かけられていた。

両手を拘束された男たちが兵士に促されて木の台の上に立つ。

ちょうどロープの本数と同じ人数だ。

兵士はロープの輪を男の頭にかけていった。

歓声がひときわ大きくなる。

治人は鼓動が跳ね上がるのを感じた。

何を始めるつもりだ。

治人らが動けずにただ成り行きを見守っていると、ふいに兵士らの動きが止まった。

民衆の数人が舞台に上がって兵士らにつかみかかったのだ。

乱入者の中心にいた人物を見てルターは驚愕(きょうがく)した。


「ミュンツァー!?」


ルターから紹介された仲間の1人だ。

観客に近い一角を陣取ると、ミュンツァーはよく通る声で激しく糾弾し始めた。


「民から税を巻き上げ、聖書を写すための書写修道士まで免罪符を作るのに使い、ひたすらに私腹を肥やす背徳者め!」


ミュンツァーは舞台から聴衆に向かって呼びかける。

手振りを大きくし、観客を巻き込もうとする。


「『聖職者』どもよ、わたしを捕らえたければ捕らえるがいい!

 わたしは!愚か者だ!

 だがわたしの愚かさを裁くことができるのは、神だけだ!」


そこまでで終わればよかった。

しかし運悪くミュンツァーは潜んでいたルターの姿を見つけてしまった。


「事を起こすなら今です、ルター先生!

 あなたの日和見にはもううんざりだ!」


自然と周りの者もミュンツァーの鋭い視線を追ってこちらに注目する。

ルターもルターで、


「扇動家め!」


バカ正直に大声で答えて自ら注目を集めた。

その時、処刑台の近くにいた小柄な人影の顔がこちらに向いた。

笑った、ように感じた。表情まで分かる距離ではないのに。

治人の背筋が凍った。


「目が合った」


脈絡のない言葉と共に一歩退いた治人を、エティエンヌが「どうした」と引き留めようとする。

治人は答えずにもう一歩後ずさった。


「逃げましょう、早く!」


(きびす)を返したその時。

風が吹いた。

妙に湿気を含んだ風が真正面から治人たちの間を吹き抜ける。

それがおさまると、陽次が駆けだした。

治人と反対方向、ミュンツァーらが争う舞台に向かって真っすぐに。

ミュンツァーの乱入によって一時的に止まっていた死刑の手順は再開されていた。

台の上に立つ男たちは数人がかりで抑えられ、ロープの輪の部分を首にかけられるところだった。

治人は心の中で舌打ちした。

あのバカ、この状況で助けにいくつもりか。


「陽次!」


思わず足を止めた治人の腕をエティエンヌがつかむ。


「かまうな!殺されるぞ」


治人の脳裏をグーテンベルクの死骸がよぎった。体がすくむ。

その間にも陽次の姿はどんどん遠ざかっていく。


「『事業』小屋の近くで待ってろ!」


陽次の背中に向けて叫ぶ。

事業とはグーテンベルクが使っていた印刷の隠語だ。

これならば兵士に悟られることなく陽次に伝わるだろう。

エティエンヌに引っぱられる形で治人は走り出した。

処刑台から橋の両岸、そして市街地へと水面の波紋のように混乱は広がっていった。



大通りに差しかかったところで治人は背後を見やった。

傭兵数人がこちらへ向かって来ている。

このままでは追い付かれるのも時間の問題だ。

ルターも状況を分かっているらしく、走りながら指示する。


「運河へ!」


やや戸惑いながらも治人はうなずき、ルターの先導に従う。

しばらく走り運河の船着き場の前で、治人たちは立ち止まった。

まさか、と思ったがルターはためらい無く前へ出る。


「さあ、舟で逃げよう」


よくもまあこんな方法を思いつくものだ。

治人の表情を読み取ったようにルターが付け足した。


「自慢じゃないが、わたしは追われ慣れてるんだ」


確かに自慢ではない。

建物の陰に潜み、ルターは変装した。

マントを脱いで服を整えただけでもかなり印象が変わった。手慣れている。

船着き場は閑散としていた。

働いているのは数人程度、それも兵士ではなく商人だけだった。

広場に街の人が集められたのが幸いしたようだ。

様子を探るルターにブーツァーがそっと並び、何艘(なんそう)かつながれている空の舟を指差した。


「舟を反対方向に出し、布を置いて人が隠れているように見せてはどうでしょう」


ブーツァーの提案にルターは口を結んだ。

舟を(おとり)にして追っ手の目を引きつけるのだ。

隠れ家は街のほぼ反対方向、移動する間追っ手の目をそらしておいた方がいい。

理屈は分かる。だが舟を操る者が必要だ。

問題は誰がそんな役を引き受けるかだった。

すると、ブーツァーは察したように頷いた。


「ルター先生には何としても生き残っていただく。

 わたしにやらせて下さい」

「ブーツァー!そんなことをわたしが認めると!?」


引き留めようとするルターに、ブーツァーは首を左右に振ってみせる。


「わたしはずっと教会のやり方に疑問を持ちながら、正面から批判できずにいた。

 ルター先生、あなたのおかげでわたしは教会と相対する決心ができた」


ブーツァーは声を低めた。兵士たちの声や足音が近づいている。


「帝国に留まることが難しくなったらブリテン島のイングランドへ渡ってください。

 同士たちの情報では、イングランド国王が教会の支配から抜け出そうとしているとか。

 辺境ですがその分教会の目を盗めるし、何より勢いがあります」


イングランド。治人は歴史の授業を思い出した。

確か昔のイギリスがそう呼ばれていた。

外国での活動などという案がすっと出てくるのは、昨日今日思いついたことではないからだろう。

ずっと前からブーツァーは考えていたのだ。


「神は決して乗り越えられない試練をお与えにならない。

 またお会いしましょう」


ブーツァーは最後にルターと抱擁(ほうよう)をかわし、舟に乗った。

ルターとエティエンヌ、治人はやや時間を置き、彼と逆方向に向かって静かに舟を出した。

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