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第25話 女子から「冷たい」と評される

「大丈夫?顔色が悪いわ」


席についた治人の前に湯気の立ったコップが置かれた。

果実のような甘い香りが緊張をほぐしていく。ハーブティーだ。

治人はカトリンに「ありがとう」とほほ笑んだ。

あれ以来、彼女の家族、ローゼルとザシャ――シュネードの話はしていない。

カトリンの方からも切り出すことはなかった。


「シュトラスブルクで何かあったの」


尋ねられて、治人は視線をコップに落とした。

シュトラスブルクから村へ戻ることを提案したのは陽次だ。

だが治人はかなり安堵した。

あの街に留まっているのが怖かった。

メンテリンの遺志に捕らえられるようで。


「ぼくと陽次は100年前のシュトラスブルクで、知識の海に沈んでしまう所に立ち会った。

 その時ヨハネス・メンテリンという人も沈んだ」


治人はそこで言葉を切り、ハーブティーを口に含んで考えを整理した。


「カトリン、知識の海へ沈むってどういうこと?」


メンテリンは知識の海へ沈んだ後でも普通に生活を送っていた。

しかも彼にとっては、治人と陽次の方が急に姿を消したことになっているらしい。


「知識の海へ沈むということは、存在が消えてしまうんだと思っていた。

 けれど、沈むことの方が普通なら、その後の生活も送れるのなら……

 知識の海を渡っているぼくらの方が異常なんじゃないか」


治人たちだけはじき出されたのだ。海の秩序から。

カトリンは考えこみ、やがて治人の手を取った。


「ハルト。こっちに来て」


導かれるまま治人はカトリンの後についていく。

居間を出て廊下を歩き、やがて1つの扉の前で立ち止まった。

カトリンの部屋だ。


「見せたいものがあるの。中に入って」


治人は一瞬ためらったが、促されるままドアノブに手をかける。

きっと錬金術とやらの研究成果あたりだ。

だから妙な期待をするな、ぼく。

自分に言い聞かせて治人はカトリンの部屋の扉を開けた。

中にノーシスがいた。


「うわああ!」


治人が声を上げて退くと同時に、スマートホンの着信が鳴った。

電源ボタンを押すと、メッセージが表示される。


  ――何を驚いておる


目の前にいるノーシスからだ。


「……直接でいいよ」


かろうじてそう声を絞り出す。

こちらの気も知らず、ノーシスはうむ、と神妙にうなずいている。

カトリンが誇らしげに胸を張った。


「すごいでしょう?わたしのとっておきの研究成果よ!」


やっぱりか。治人の予想どおりだ。いや、ある意味予想以上だ。


「少しは元気出たかしら?」


まあ、ふさぎ込んでいた気分が吹っ飛ばされてしまったのは確かだ。

気を取り直してよくよく観察すると、ノーシスはその場にいるのではなく鏡の中に映っている。

大きな鏡が部屋の入り口と向かい合うように設置されていて、その中にノーシスの姿があるのだ。

カトリンはやや不満げに口をとがらせた。


「何ぼうっとしてるのよ。

 せっかく頑張ってノーシスを映せるようにしたのに」


どう処理すればいい、この事態。

静かに混乱する治人をよそに、カトリンとノーシスは親しげに言葉を交わす。


「ごめんなさい、ノーシス。

 せっかく来てくれたのに黙っちゃったわ。また呼んでもいい?」

「構わぬ。この者がそっけないのはいつものこと。

 気に病むでない、カトリン」

「あら。やっぱりハルトって冷たいのね」


一方的な批評をしつつ、カトリンは鏡の上部の石を触る。

するとノーシスの姿が消えた。

以前カトリンが知識の海とつながっていると説明した石だ。

名前は確か、緑白石。

いつもはネックレスの中心部にはめているものを鏡の枠に組みこんだらしい。


「本当はノーシスから説明してもらおうかと思ったんだけど」


カトリンが再び緑白石に触れると、今度は一面の海が鏡に映し出された。


「1つ1つの知識は積み重なり集まってやがて海になる。

 あらゆる時と場所、あらゆる人につながる共有の記憶。それが知識の海よ」


カトリンはもう一度石を撫でる。映像が消え、鏡は前に立つカトリンを映した。


「わたしは――わたしたちは知識の海からはじき出された。

 海に沈んでしまった人たちからは見ることも聞くことも感じることもできない。

 海を通るときにかぶせられた殻が覆い隠してしまうから」


カトリンは治人をまっすぐに見つめ、ほほ笑んだ。


「でも思いは必ず受け継がれるわ。

 自分を苦しめることができるのは自分だけ。

 孤独そのものじゃなくて、孤独に打ちひしがれる自分の思い込みが心を苦しめるの。

 だから覚えていて。あなたは1人じゃないってこと」


治人が顔を上げてカトリンと目を合わせると、


「さあ。わたしは情報を提供したわ。次はあなたの番」


目を丸くした治人にカトリンはいたずらっぽく笑いかけた。


「相手から何かを得るときには自分も差し出すものよ」

「……また掃除か水汲み?」


げんなりとする治人。カトリンは首を横に振った。


「あなたのことを教えて。

 どこから来たか、何が好きか、どうやって育ったか。何でも」


カトリンの口調はあくまでもさりげなかったが、その奥に緊張を隠しているのを治人は察した。


「……何から話せば」


答えに迷い、反応が遅れる。

自分が動揺しているのを治人は感じた。


「じゃあ、まず1つ。ヨウジはあなたの家族じゃないの」


やはりそこか。治人は慎重に言葉を選んだ。


「家族……だったこともあった。

 小さいころはあいつの家に預けられてたから」


治人が自活するようになってからも陽次は何かと世話を焼きたがった。

元家族の他人。

その厄介さを治人は年々実感するようになった。

カトリンが「やっぱり」とそばでつぶやき、ハルトの意識は追憶から戻った。


「あなたに対して時々お兄さんみたいな顔するもの」

「ぼくの方が2か月年上だよ!」


憮然とした治人の前でカトリンは自分の予想が当たって愉快そうだ。


「ねえ。ハルト達がいたのはどういう所だったの?」

「ぼくの居た国では、ここみたいな戦争はなかった。

 争いだけじゃなくて、飢えや貧困もここほどひどくないけど……」


治人はかつて所属していた社会を思い返した。

懐かしさや恋しさではなく、ひどく冷めた感情がそこにあった。

一度遠ざかると客観的に全体像を観察できるものだ。

両手にすくった砂のようにさらさらと流れ落ちていく日常。


「何かの集団にいないといけない。

 一歩外れたら途端に集団から責められる。

 それで命を落とす人もいる。

 けど一度コツを覚えれば後は繰り返し」


集団からは外れないように、中心にも行かないように。

同じものを持って、同じトーンでしゃべって、同じ振る舞いをして、集団独自のルールを守って。


「面倒くさい綱渡り」


向かい合わせの席で真剣に話を聞いていたカトリンはやや失望したようにため息をついた。


「人が死ぬのを見たことないっていうから、どんなにいい所なんだろうって思ったけど」


天井を仰ぎ、髪のひと房を耳にかけて言葉を続ける。


「難しいのね、そっちも」

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