第24話 ヨハネス・メンテリンの手記を見つける
グーテンベルクの家の前に、まずは墓地へ寄った。
先ほど清貧会とはち合わせしたばかりなので、短時間で様子を見る程度だ。
「これだ」
先ほどブーツァーらが囲んでいた墓標の前にエティエンヌは立った。
墓標の表面を覆う白い土台が途中で大きくはがれ、中から鉄の板がむき出しになっている。
これがエティエンヌが見つけた入り口だろう。
板の中ほどに等間隔で穴が開いていた。その数、7つ。
「これがカギ穴ですか」
エティエンヌがうなずいたので治人はスマートホンで中を照らしてみた。
カギ穴の中は滑らかで、それほど複雑なつくりではないという印象だった。
「単純な四角い棒を入れるみたいですね」
「途中まではな。だが、先端を調べてみろ」
目をこらすと、確かに穴の先に複雑な切れ込みがあるようだ。
「ぼくが知っているのは扉の四隅にカギ穴を作る、っていうやり方です。
これは知らない」
エティエンヌはいくらか落胆したように肩を落とした。
「仕方ない。グーテンベルクの家に行くぞ」
グーテンベルクの家は事業小屋からしばらく歩いたところにあった。
扉を押すときしみながらゆっくりと開く。
何十年も人の出入りが無いようだ。
粗末なテーブルと壁一面の棚の他に家具らしきものは無かった。
そのいずれもが朽ちており、全体的に薄暗い。
カトリンの実験部屋を彷彿とさせた。
治人たちはそれぞれグーテンベルクの手がかりが無いか探し始めた。
やがて、棚を物色していたエティエンヌが本を見つけた。
数枚の紙の束が厚紙に挟まれ、さらに薄い紙で丁寧に包まれている。
中の文字を保存するためだろう。
エティエンヌは破らぬようそっと包み紙を外していき、厚紙をめくった。
中の紙面は几帳面な字で埋められていた。
「日記のようだな」
エティエンヌは文末の人名らしきアルファベットを指でなぞる。
「ヨハネス・メンテリン?
グーテンベルクの名前はヨハネス・ゲンスフライシュ……
ここまで来て別人かよ!」
エティエンヌは失望をあらわにして紙を包み直し始める。
治人はその手をつかんで止めた。
「待ってください。その人は事業のメンバーです。
それも中心にいた」
「よ、読んでくれ!何が書いてあるんだ」
突然動揺した2人に眉をひそめながらも、エティエンヌは紙を持ち直して読み始めた。
――逃げ続けた一生だった。
グーテンベルクさんを失った悲しみから、怒りから。
自分が逃げていたことを、最期が近づいたこの時にようやく気付いた。
この生はきっと神が与えられたもの。
みすみす大切な仲間を死なせてしまったわたしの償いだ。
願わくば、印刷技術がグーテンベルクと同じ高潔な意思を以て使われんことを――
「これで終わりか」
カギの手がかりを求めてエティエンヌは紙をめくったが、それらしき文章は出てこない。
延々と懺悔がつづられているようだった。
やがて最後の1枚になった。
「これは落書きだな」
書き手の意識がとぎれとぎれだったのか、文字が大いに乱れ、つづりが飛んでいる。
まるで。
治人は息をのんだ。
まるで死の直前にでも書いたみたいだ。
――わたしの仕事仲間。ハンス、コンラート、アンドレアス、ハインリヒ。
あの時急に消えた少年たち。オトワ、キヅキ。
誰でもいい。
どうか最期まで愚かだったわたしに代わりグーテンベルクさんの願いをかなえてほしい――
文章はそこで終わっていた。
「バカだな。グダグダ悩むくらいなら金でも稼いどけよ」
冷めた感想を口にし、エティエンヌはそれにしても、と2人に視線をやった。
「お前ら何もんだ。100年前の人だぞ」
「はは……」
治人は笑ってごまかした。
一方で陽次は感情をこらえるように唇をぎゅっと結んでいた。
この部屋でメンテリンは最期を迎えたのだ。
空気が急に重みを増したように感じ、治人は無意識のうちに後ずさりした。
その拍子に肩が後ろの棚にぶつかり、木箱が床に落ちた。
箱からいくつもの金属片が出て、硬い音を立てて散らばる。
活字だ。
「文字のスタンプ。これがお前たちの言っていた活字か?」
エティエンヌは興味深そうに金属の棒を拾った。
エティエンヌとルターには印刷の大まかな仕組みを説明してある。
散らばった活字のいくつかにはひもがついていた。Eが2つとNが3つだ。
この2種類のアルファベットだけ。
グーテンベルクも一部の活字に目印をつけていた。
それは字のデザインが気に入らなくて作り直しを検討するためだった。
メンテリンもまたそうやって活字の改良を続けていたようだ。
エティエンヌは活字をつまんで見回し、うなずいた。
「なるほど。同じサイズ、同じ高さに金属を彫刻するのか。
これならできそうだ」
「できそうって」
「技術的には今なら作れるだろう。
グーテンベルクが優れていたのは、儲けられるかすら分からないこの技術を自分で作り上げた、その意志と努力だ。
それも、100年も前にな」
「もしかして印刷術の再生も……」
勢いこんで言う陽次に、
「ムリだ!さっぱり分からん!」
エティエンヌは胸をそらして答えた。
「おれはただの商人だぞ。
見たこともない機械をいきなり作って使えるか」
メンテリンの記録には印刷機の使い方が断片的に残っているが、それだけで印刷を再現するのは難しいということだ。
「金属加工に詳しい職人に、一応当たってみるか」
エティエンヌの自信なさげな口調は成功の可能性の低さを表していた。
『魔の技術』の再現に協力してくれる職人がどれだけいるのだろう。
印刷機を葬ったのはメンテリン自身だった。
その一方で活字や印刷術の記録を死ぬまでそばに置いていたのか。
遠くからシュトラスブルク大聖堂の鐘の音が響いた。
グーテンベルクの時代から100年近くたっている。
郊外の街並みも工房のメンバーも変わっていた。
ここだけだ。
この部屋の空気と鐘の音だけ、グーテンベルクの痕跡を感じる。
彼は一体どんな思いで余生を送ったのだろう。
途方もなく長い時間、すでに去ったものを慕い、遺物を守り続けるその執着。
グーテンベルクの願いをかなえてほしいだと?
治人は戦慄を覚えた。
冗談じゃない。そんな重いもの背負えるか。




