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第2話 自作のアプリを起動したら世界が沈んだ

夕食を終えて自分の部屋に戻ると、治人(はると)はすぐにスマートホンでメッセージを送った。


    ショウさん。久しぶり――


数分で『既読』の文字が付いた。


――よお。寮がどんだけ楽しいか知らんが、たまには帰ってやれよ


(しょう)は治人の先輩だ。

アプリ開発の会社に勤めていて、治人にも時々作り方を教えてくれる。

知識探索アプリを高校生の治人が作れたのも、翔が渡してくれたツール――アプリ製作用のソフトによるところが大きい。


――治人。カンニング……じゃない、知識探索アプリはどうだった?


ちょうど向こうから話題を振ってくれたので切り出しやすくなった。


     翔さんのツール使いやすかったよ。それで、相談なんだ――

     普通の調べ物用に作り直して、もっと思考能力を上げるにはどうしたらいいかな――


問いかけて、治人は背筋を伸ばした。

スマートホンを持っていない左手をキーボードに移した。


――悪いことは止めるんだな。うん、それがいい。まずは……


翔が勝手に喜んで何やら解説を始めたが、もはや治人は聞いていなかった。

左手が自然と動く。目的のキーをたたき、マウスを動かす。

その速度は増す一方、もはや片手では追い付かない。


      やっぱりいい、翔さん――

      何か、どんどん進められるんだ――


アイディアが次から次へとわいてくる。

思考が頭の中で展開しているのではない。外から注ぎ込まれてくるのだ。

誰かに乗っ取られたように治人はアプリを組み立てていく。


――おーい。治人君?

      ごめん、後で――


翔との会話を一方的に切り、両手が自由になった治人は狂ったようにパソコンとスマートホンを操作した。

カメラと文字認識の機能を外し、情報の収集に特化する。思考もより高度に。

ポケットの中の巾着(きんちゃく)が淡い光を放っていること、そして自分の目に同じ色の光がともっていることに治人は気づかなかった。

作業中にふと陽次(ようじ)の言葉が頭をよぎる。


「人間みたいに考える、か」


そうだ。どうせ作り変えるなら。

あるプログラムを足してアプリは完成した。

治人は手を止め、深呼吸する。

すでに夜は明け、机の周りにはメモ用紙が散らばっていた。

一晩中動かし続けた手と腕がしびれている。

パソコンの電源を落とすと、治人自身もスイッチが切れたように机の上に突っ伏した。




次の日。

教室の入り口から治人が呼ぶと、陽次はクラスメートとの雑談をやめてこちらに歩いてきた。

何の用件かは分かっているのだろう、

陽次はあいさつよりもまず心配そうな表情を浮かべた。


「どうしたんだよ。徹夜か?」


まあね、と治人は答える。

自分の状態については自覚している。目の下には隈があり、顔色が悪い。

昨日の自分は異常だった。

改良どころではなくアプリに人工知能のようなものまで持たせておきながら、どうやって作ったかは一切覚えていない。

もう一度作れと言われてもまずできないだろう。


「アプリ、今から入れてみる」


治人は自分のスマートホンを操作し始めた。

陽次が不思議そうにその作業をながめる。


「何だ。すぐ使えるわけじゃないのか」

「ネット上の無料コインロッカーみたいなところにしまってあるんだよ。ちょっと待って」


インターネットに接続し、アプリをダウンロードする。


インストール開始。


作業の進行度合いを示すバーが画面中央に現れた。

治人は陽次にも画面が見えるように顔からスマートホンを離した。

その途端に、治人の平衡感覚(へいこうかんかく)が狂った。分厚いマットの上のように地面がゆがむ。

立ちくらみか、と思いかけて、隣の陽次も頭を押さえていることに気付いた。


インストール10パーセント。


「ハル。なんか、赤くねえか?」


陽次が何度も瞬きした。コンクリートの壁、たむろしている生徒たち、窓の外の空。

それらすべてがフィルターをかけたように、赤みがかっている。


インストール20パーセント。


「火事だぞ」


陽次が治人の肩をたたいた。治人はいちいち反応する陽次に答える余裕がない。

混乱していた。

廊下の風景がぼやけていくのと反比例して、映画スクリーンのようなもう一つの景色はどんどん濃く鮮明になってくる。

橙と赤の色の正体は確かに炎だ。炎と、多くの人影。


インストール50パーセント。


激しい炎と煙の中に優しい緑の光がともった。

床に倒れている何人かのうち、一番手前の人影がその緑の光に包まれているのだ。

人影が身を起こした。

輪郭からして女性のようだ。長い髪で、胸元にエメラルドのような宝石のペンダントをつけている。

目が合った。

彼女は床を這いずってこちらに近づき、治人に向かって救いを求めるように手を伸ばす。

治人はスマートホンへ視線をそらした。

激流をふさいでいた堤防が決壊するように、バーが一気に伸びる。

画面上部で回転していた青い円が消え、メッセージが現れる。


『インストール完了。アプリを開きますか?』


治人は「はい」の部分に触れた。

スマートホンの中で白い画面が開くと同時に、女性の映像が消える。

その瞬間。


世界が沈んだ。


「な、何だよこれ!」


隣で陽次が騒いでいる。が、治人に分かるはずもない。

廊下が水の中に沈み始めていた。

ここは2階なのに。足からすね、膝へと水位は音もなく上がっていく。

津波?増水?

一方で廊下には相変わらず明るい陽射しが差している。

治人は奇妙なことに気付いた。

そう、周りが穏やかすぎるのだ。騒いでいるのは陽次だけ。

廊下にいる生徒は普段通りにしゃべっていた。足元の水に全く気付いていない。

呆然と立ちつくす治人の隣を、生徒と教師が通り過ぎる。

水をかき分けながら進んでいるのに、やはり水など存在しないかのような足取りの軽さだった。

彼らは談笑しながら階段を降り始める。

一段降りるたび、腰が、胸が、首がつかっていく。それなのにためらうそぶりもない。


「ちょ、ちょっと!」


思わず呼び止めると、彼らは不思議そうに治人を振り返った。

顔をこちらに向けたままもう一段降りる。全身が水に入った。

すると二人の目は焦点を失い、体の力が抜けた。もがこうともしない。

酒に酔ってでもいるかのように、虚ろな瞳で心地よさそうに漂い、ゆっくりと沈んでいく。

治人の背筋が粟立った。尋常じゃないことが起こっている。


「陽次、上へ!」


一方的に宣言して歩き始めた。


「おい。階段はここに」


言いかけて陽次はハッと息をのみ、後をついてきた。

目指しているのは以前陽次に捕まった非常階段だ。

外の様子が分かるし、カギが無くても柵を乗り越えれば屋上に入れる。

目的の非常口にたどり着いた時、腰のあたりまで水につかっていた。

ドアノブをつかんで力を入れる。が、ドアは開かない。

向こう側から強い力で押されているようだった。


「もしかして水圧で」


外も水につかっているのだろうか。

冗談じゃない、この学校は高台にあるのだ。本当に学校どころか、町全体が沈んでしまっていることになる。

陽次が後ろから首を伸ばし、治人を押しのけた。


「どいてろ」


抗議の声を上げる治人に構わず、陽次は片足を上げる。

大きく息を吸って――扉を蹴った。陽次の足を中心にヘコミができる。

呆気にとられる治人の前で、陽次は何度も足を押し当て、


「よっしゃ!」


その声をきっかけにいびつな形になった扉は水の中に倒れていった。


「おー。開いたぞ」


むちゃくちゃだ。が、有効だった。

治人は複雑な表情で「そうだね」と答えた。

意図的に合わせたわけでもないが、二人同時に外へ踏み出す。

そして言葉を失った。


海だ。

紺碧(こんぺき)の空が半球状に広がり、地平線で群青(ぐんじょう)の海と交わる。

街が沈んでしまった訳ではない。

それならば運動場や体育館が水の中に見えたり、学校より高い建物が水面に現れていたり、とにかく街の面影があるはずだ。

何もなかった。一面の空と海。

治人と陽次の立っている地面は淡く発光していた。

透明な円形の地面で、淡い光越しに海面が見える。

目をこらしても、地面を支える柱のようなものはない。

非常扉と治人たちを乗せて宙に浮いているのだ。

海の上にはいくつもの扉が治人を取り囲むように白く浮かび上がっていた。


「おい、ドアが閉まる!」


陽次が声を上げた。

非常扉の隙間が徐々に細くなっていた。

さっき陽次が壊したばかりなのに、ヘコミが消え無傷になっている。

2人の目の前で、ぴったりと閉まった。

陽次がドアノブを取り、動かないことを確かめるとまた蹴り始めた。

しかし今度は破れない。

足がぶつかった時の音もたたず、揺れもせず、そこに扉が存在していないようだった。


「ムダじゃ」


声がした。

治人たちの後ろにいつの間にか人が立っていた――いや、宙に浮かんでいた。

青い空と海を背景に、純白の衣がなびく。

美しい人だった。

美術室に置いてあるギリシャ彫刻のような、中性的な顔立ち。

髪のない頭と知性をたたえた瞳は僧侶を思わせる。

年齢も性別もよく分からない。

背は治人よりも低いが、見ようによって同年代のようにも、はるかに年上のようにも思えた。

治人は硬直を解いて、一番確かめるべきことを尋ねた。


「あなたは?ここは、一体」

「ここはすべての知識の起源であり、また終焉(しゅうえん)の場所じゃ。

 わしはこの『知識の海』の案内人、ノーシス」


ノーシスと名乗った人は淡々と答えた。

ノーシスの声は穏やかでありながらよく通る、鐘の音のようだ。

男にしては高め、女にしては低めで、性別はやはりはっきりしない。


「諦めよ。そなたらの居る――いや、居た世界は沈んだ」

「よく分かんねえけど、どうやったら戻れるんだ」


陽次が尋ねると、


「ふむ。元の場所に戻る方法じゃな」


ノーシスの体が淡い光に包まれた。

光はすぐに消え、ノーシスが治人と陽次を交互に見る。


「ではそなたらを案内しよう。

 ここはあらゆる時代、あらゆる場所につながっておる。取り戻したくば、別の扉を開けよ。

 そなたらの目には、可能性を持った扉が光として映っているであろう」


ノーシスが指した先には、半円状に治人たちを包囲するいくつもの扉。すべてが淡く発光しているが、そういえば一つだけ光が強い。

ちなみに、背後にある非常階段の扉は光を失っている。


「あのさ」


治人が恐る恐る声を出すと、ノーシスが驚いたように口を開いた。


木月(きづき)治人(はると)


なぜ自分の名前を知っているのか疑問だったが、ひとまず置いておこう。

他に疑問が多すぎる。


「ノーシスさん、君の言ってる意味がいまいち分からないんだけど。

 この知識の海って……」


続けようとした時、陽次が横から割って入ってきた。


「分からないか、ハル。この光ってるドア開けろって言われたんだよ」


陽次は迷わずに透明な地面の端まで進み、手を伸ばしてドアノブをつかむ。


(この単細胞!)


治人が止める間もなかった。

扉が開かれ、強烈な光に目がくらんだ。

視界が閉ざされた中、大きな力に扉の中へ引き寄せられていく感覚があった。

つづいてめまいが襲ってきた。

体の固定レバーが無いジェットコースターに振り回されるような浮遊感。

体の感覚も何も無くなり、治人の意識が途絶えた。


「ようやく会えた、治人……」


ノーシスの声を聞いたように思った。

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