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第18話 逃亡者を教会の兵士からかくまう

知識の海は相変わらず穏やかな波音で満ちていた。

治人(はると)が透明な地面へ両足をつけると、扉はひとりでに閉じ、やがて海の中へ落ちていった。

グーテンベルクの時代が知識の海へ沈んだのだ。治人たちの現代と同じように。

ふわりと空中を移動して人影が治人たちを迎える。

禿頭(とくとう)の子供。ノーシスだ。


「聞きたいことがたくさんある」


治人がそう口を切ると、


「うむ……」


ノーシスは苦い顔をした。こちらの意図を分かっているのだろう。


「ローゼルとシュネード。

 2人を案内していたのはやっぱり君なんだね。

 君はあの人たちの仲間なのか」


治人はなるべく感情を抑えて尋ねた。

一方でノーシスは冷めた視線を返してくる。


「わしには敵にも味方もない。

 あやつらが望むから別の時代へ扉を開けただけじゃ」

「あの人たちがグーテンベルクさんを殺したんだぞ!」


治人の口調はきつくなったが、ノーシスが動じる気配はない。


「そなたは何か勘違いをしておるようじゃな。

 罪を犯したとか善を行ったとかは、知識を得るのに関係なかろう。

 ここは知識を求めるものすべてに等しく開かれる場所じゃ」

「それだけどさ、ノーシスちゃん」


陽次(ようじ)が割って入る。


「ローゼル神父たちは確かにここへ来たがってたのかもしれないけど、おれたちはそうじゃない。

 そもそも何でここに来たか分かんねえし……」

「徒歩じゃ」

「は?」

「そなたらは歩いてここに入った」

「いや、何でってのは手段じゃなくて、理由を……」

「わしは今治人と話をしておる。ジャマをするでない」


ノーシスは陽次を冷たく一瞥(いちべつ)する。

この態度に陽次はもちろんのこと、治人も呆気にとられた。


「おれ嫌われてんのかな」


陽次の問いを、さあ、と治人は流した。

ちゃん付けがよっぽど気に(さわ)ったのかもしれない。

ノーシスは表情を変えず淡々と続けた。


「ともかく、そなたらはグーテンベルクの印刷機開発を助けるのに失敗した。

 これから先何を望むか教えよ」

「もちろん、ぼくらの時代に戻ることだ」

「不可能じゃ」


はっきりと宣告された結論に治人はひるんだ。


「かの時代に乱入者が現れ、新しい歴史を作る可能性が生まれたために、そなたらの世界は沈んだ。

 ヨハネス・グーテンベルクは沈んでしまったそなたらの世界を戻すカギじゃった。

 そしてそなたらは失敗した。戻ることはできぬ」

「ここは過去へ自由行ける場所なんだろ。

 だったら、もう1回グーテンベルクさんが殺される前に行きたい」

「それも不可能じゃ。もはやグーテンベルクの死を(くつがえ)すことはできぬ」

「何で」

「この海がグーテンベルクの死を前提としたものに変わってしまったからじゃ。

 今や知識の海が内包するのはグーテンベルクが印刷機を作らなかった歴史への扉のみ。

 それほどまでにあやつが歴史に与えた影響は大きかった」


ノーシスは海を見渡し、きっぱりと告げた。


「歴史が意図的に変えられた今、そなたらの故郷に戻るすべはない」


絶望的な現実を突き付けられた治人の頭に浮かんだのは1つの光景だ。

年老いた男女が自分に向かって微笑みかけている場面。

失いたくない時間。


「元どおりじゃなくてもいい。似たような歴史をたどれれば」


治人の言葉にノーシスが首をかしげた。


「どういうことじゃ」

「印刷機はきっとあの時代のヨーロッパに必要なものだったんだろ。

 グーテンベルクさんが開発しなくても、すぐ後に他の誰かが開発したら……

 結局似たような歴史をたどるんじゃないか」


そうすれば治人たちがいた現代と似たような現代ができるのではないか。

治人の説明に、ふむ、とノーシスはうなずいた。


「この海はあらゆる時代、歴史とつながっておる。導けるかもしれぬ」


ノーシスは宙を滑って海の上に移動し、手で海面を触った。

とたんにノーシスの体を淡い光が覆う。やがて扉の1つが同じような光を帯びた。


「ローゼルたちが向かったのと同じ扉じゃ。

 進むがよい。そなたらの場所を取り戻すために」

「ローゼル!?この扉は西暦何年に……」


治人が言い終えるより早く陽次がまっすぐ扉に近づいた。


「よし!ここだな!」


そのまま勢いよく扉を開ける。

このバカ。ノーシスから情報を集めてからと思ったのに。

陽次への文句を発する間もなく治人の意識は遠ざかっていった。



ドン、と低く鈍い音が響く。


「開けてくれ、治人君」


言葉とは裏腹な命令口調。治人は耳をふさぎ、足をおなかに寄せてかがんだ。

自分が退いてしまったらこの場所は無くなる。誰が言うことを聞くもんか。

やがて壁をたたく音が止み、静寂が満ちた。

ようやく去ったのだろうか。

手を離した治人の耳にかすかな言葉が流れ込んだ。


「もういいんだよ、治人」


しわがれた声に自然と背筋が伸びた。


「もういいんだ」


震えながら治人は立ち上がる。

向こう側の体温を探るように、壁へと両手をつけた。


「守ってくれてありがとうな」


優しくいたわってくれる声。

導かれるように治人はカギを下ろし窓を開ける。

いつもと変わらぬ笑顔が迎えてくれた。



「起きろハル!」


治人はまぶたを開けた。

意識が現実へ引き寄せられると同時に夢の内容は一気に遠ざかっていった。


「けっこう長いこと寝てたぞ」


寝ている治人の横に陽次がしゃがんでいた。

呆れと安どが微妙に混ざった顔だ。

治人は半身を起こしてあたりを眺めた。

ここは教会の中のようだ。

入り口の反対側の壁には十字架がかかっており、その手前に祭壇がある。

シュトラスブルク大聖堂に比べてずいぶん小さい。二十数人が座れる程度の規模だ。

そして先ほどから響いている音は入り口から。

誰かが建物の外から叩き続けているらしい。


「そんで、これはどういう状況?」


治人が指差すと同時にノックの音が激しくなる。

外の人物は相当焦っているらしい。


「それをお前に聞こうと思っていたんだよ」

「ぼくが知るわけないだろ」


治人は手に持っていたスマートホンを起動させる。

相変わらず冗談としか思えない電波の3本線を確認し、治人は表示されていた年号を読んだ。

1525年。

前が1437年だったから100年近く経っていることになる。


「誰!?」


祭壇の壁際から女性の声がした。

奥にも別の出入り口があるらしい。

陽次と治人が顔を向けると、女性は泥棒でも見つけたようににらんできた。

金色の髪は細く肌は全体的に青白い。固い表情と相まって不健康そうな印象を受ける。

地味な服装で、アクセサリーといえば首にぶら下げた十字架くらい、それも太く鈍い銀で、お世辞にも洗練されたデザインとは言いがたい。

年齢は治人たちより少し上くらいだろうが、彼女の雰囲気がより年上に見せていた。

女性を一目見て治人は息をのんだ。彼女を知っている。


「火事の中にいた人だ」


陽次も気づいたらしい。治人はああ、とうなずいた。

高校で知識探索アプリを立ち上げた時、治人と陽次は現実の光景にどこかの火事の映像を重ねて見た。

映像の中で倒れていた女性が手を伸ばし、それがきっかけで高校が知識の海に沈んだのだ。

女性の方も驚いていた。


「あなた達、村が襲われたときに見た幻!」


そして女性は治人と陽次を鑑定(かんてい)するように見つめた。


「ハルトと、ヨウジ。記憶にはないのに、わたしはあなたたちを知っている。

 知識の海を渡ってきたのね」

「ぼくたちはさっき気が付いたらここに居たんです――カトリンさん」


彼女が名乗る前に治人は自然とそう呼びかけていた。

あまり仲良くなかった小学校のクラスメートの名前を久しぶりに思い出した、そんな感覚。

知識の海を渡ってきた者の特徴だ。

カトリンは答えずに質問をかぶせてきた。


「扉をたたいているのはあなたの仲間?」

「い、いや。違います」


気おされる形で治人は否定した。あまり気やすく会話できる雰囲気ではない。

扉をたたく音が止むと、今度は外から男の声が聞こえた。


「頼む、助けてくれ!ありもしない罪で追われているんだ」


カトリンは一瞬迷い、決意したようにカンヌキを外した。

扉が開くと同時に2人の男がなだれ込んできた。

1人はくせのある褐色の髪と瞳を持つ神経質そうな男。

年齢は治人たちが会った時のグーテンベルクくらいだろう。

もう1人は明るい金髪と青い目の若者で、声を上げていたのはこの男のようだ。

褐色の髪の男は明らかに動揺して――というか怯えていた。


「こ、ここは教会じゃないか」

「ゼイタク言っている場合じゃないだろ、ルターさん!」


ルター。聞いたことのある名前だ。

治人が思い出すよりも早く金髪の男は言葉をつづけた。


「悪い。隠れさせてくれ」


金髪の男は返事を待たずに褐色の髪の男を促し、一緒にベンチの陰へ隠れさせた。

ほどなくして2人の兵士が現れた。

教会の関係者らしく、チュニックに十字架が大きく描かれている。


「何かご用ですか」


尋ねたカトリンに兵士は胸を張る。


「わたしたちはマインツ大司教アルブレヒト・フォン・ブランデンブルク様の使いの者だ。

 ここに男が逃げ込んだはずだ。調べさせてもらう」


高圧的な態度だった。カトリンが両腕を広げてさえぎる。


「神父様がいらっしゃらない間はお通しできません」

「たかが村娘が偉そうに」


兵士たちは怒りをあらわにしてもカトリンは引こうとしない。

しかし彼女の腕が震えたことに治人は気づいた。

毅然(きぜん)とした表情の奥に押し込められた、怯え。

治人はカトリンの前に出て兵士たちと対峙した。


「またお会いしました、ね」


治人は笑みを浮かべた。

兵士たちの顔に動揺が浮かぶ。きっと治人の顔に見覚えがあったのだ。

『そこにいるべき者としての殻』。

カトリンも条件は同じはずだが、兵士側が最初から敵意を持ってしまったことで効果が無かったようだ。

治人はあくまでも親しげに、


「怪しい男はここに寄らずに通り過ぎて行ったんです。

 でも2人に心配をかけてしまったので、お詫びにこれを」


うやうやしく1枚の紙きれを渡した。

大きさは片手に収まるくらい、濃い茶色の下地に鮮やかな金色でアルファベットが数文字刷られている。

治人は後ろで何か言いかけた陽次へ黙るようサインを送った。

一方で、兵士たちは治人が渡した厚手の紙を食い入るように見つめた。


「何だこれは。アルファベットの裏に、見たこともない文字が」

「美しい。この文字の輝く色はまさか」


紙きれに見とれた兵士たちへ治人は笑顔を向けた。

自分の笑顔に相手の警戒心を解く力があることを治人は知っている。


「ええ。遠くアジアから手に入れた、金箔を使った守り札です。

 どうかこれに免じて今日の所はお引き取り願えませんか。

 この教会は無関係なんです」


言うまでもなくチョコレートの箱を畳んだものである。

治人はそれぞれの片手を取って箱――高級な札を握らせる。

すると兵士たちは顔を見合わせ、急に芝居がかった口調になった。


「ま、まあ誤解だったらいいんだ」

「別の場所へ逃げてしまったのだろう、そういうことだな」


兵士たちは何やら必死で表情を抑えてはいるが、唇の端はつりあがっていた。

治人は念押しにもう一度深く礼をする。

そのへりくだった態度が気に入ったようで、兵士たちは満足して去った。

兵士の背中が十分に離れたころ、背を伸ばして一息つくと、陽次はあきれた視線を投げてきた。


「おまえさあ」

「校則違反じゃないだろ」


しれっと言うと、陽次はいろんなものを飲み込んだようにぼそぼそと告げた。


「……まあ、助かった」


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