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第16話 存在しないはずの免罪符と乱入者

心に受けた衝撃とは裏腹に治人は淡々と話した。


「安心してください、メンテリンさん。

 グーテンベルクさん以外の誰かが印刷機を作ったわけじゃない。

 それは本来存在しない免罪符です」

「どういうことだ」

「後で説明します……陽次!こっちへ!」


治人は陽次を廊下へ連れ出す。

突然深刻な顔になった治人に陽次は戸惑ったようだが、そんなことを気にしている場合ではない。

治人は一気にまくしたてた。


「シュネードはぼくらと同じだ!思い出して。

 初めてシュネードを紹介されたとき、グーテンベルクさんが何て言っていたか」


――あれ?紹介してなかったっけ?――


一人ひとり紹介してくれたグーテンベルクが何故かシュネードのことは忘れていた。

グーテンベルクにとってシュネードは存在自体があいまいだったのだ。

仲間でありながら認識がぼやけている。治人や陽次と同じ。

何よりも、シュネードに対して治人と陽次が抱いた既視感。

記憶にはないのに知り合いに会ったような感覚。

『そこにいるもの』としての殻。


「シュネードは知識の海を渡ってきたんだ。ここより後の時代から!」


そう。それが存在しないはずの印刷機で刷られた免罪符の正体。

後の時代から持ちこまれたものだったのだ。

そしてシュネードが流入者である以上、どこかに拠点があったはずだ。

治人たちがここで寝泊まりさせてもらったように。


「大聖堂でシュネードと一緒にいた人」


治人がつぶやくと、陽次がすぐにその名前を言い当てた。


「ローゼル神父?」

「そう、あの人だ。多分シュネードと一緒に渡ってきた」


治人は神父に懐かしさと親しみを感じた。それもまた殻が生み出した錯覚だ。


「行こう、陽次。シュネードと神父の手がかりはきっと大聖堂にある!」



ステンドグラスからこぼれ落ちた光が床に色彩を描く。

高い天井と冷気を帯びた薄暗い室内、祈りの声は混ざり合って低く幾重にも反響する。

祭壇の中心に掲げられているのは巨大な十字架に括りつけられた男の木像。

人々に愛を説き、神の教えを伝えて犠牲となった救世主。

ミサが始まる直前らしく、市民として大聖堂の中に入ることはできた。

だがシュネードやローゼル神父の姿はない。


「なあ、ハル。さすがに逃げたんじゃねえか。このタイミングだし」

「いや。このタイミングだからこそ彼は教会から離れないと思う」


治人の頭に刻まれている光景。

月明かりの下、シュネードは血まみれの手で十字を切っていた。

グーテンベルクにもその信仰心の強さをからかわれていた。

治人は入り口を守っている修道士に声をかけた。


「ローゼル神父かシュネードを探しているんですが」

「申し訳ありませんが儀式が始まりますので」


直立不動で修道士は答える。2人のことを知っている様子だ。


「じゃあ伝言を。オトワが……」


治人はここで口をつぐみ、言い直した。


「いや、ヨハネス・グーテンベルクが来たとシュネードに伝えてください。

 外で待っています」


修道士の承諾を聞き、陽次がよけいなことを言い出す前に大聖堂の外へ出た。


「嘘をつくのはよくないぞ、ハル」

「バカ正直にぼくらが呼んでも出てこないだろ」


少なくともシュネードなら知らん振りはできない。確かめに来るはずだ。

しばらくたって、予想通りフードを目深にかぶった少年が姿を現した。


「シュネード!」


シュネードは治人の声に驚き、やがて状況を察して怒りをあらわにする。


「だましたな」

「だから何だ。グーテンベルクさんを殺しておいて!」


治人の言葉にシュネードは身をすくませる。

その時、建物から初老の男が出てきた。ローゼルだ。


「勝手に行動するなと言っただろう、シュネード」


イタズラをたしなめるかのような口調だった。

ローゼルはシュネードをかばうように前に立ち、治人と対峙する。


「哀れな迷い子たち。グーテンベルクが死んだ理由を知りたいか」

「シュネードが殺したからだ」


分かり切った答えに、しかしローゼルは首を横に振った。


「違う。印刷術が人の争いを生むものだからだ」


ローゼルは治人と陽次を交互に見た。

その目に敵意はない。

むしろ慈しみとか優しさとか、そういう感情に属するものだった。


「間もなくこの世界もまた知識の海へ沈む。

 おまえたちもまた別の時代から来た乱入者だろう?

 帰るべき世界も果たすべき目的もないのなら――このまま沈んで知識の海の水泡となるのがおまえたちにとっての幸福だ」

「ふざけるな」


ローゼルは心の底から治人たちのために忠告している。道を外しかけている若者を諭すように。

不気味だと思った。

説得をあきらめたのか、ローゼルは憂いのため息をついた。

そして両手を広げ、身に着けていたペンダントをかざす。


「さあ、ノーシス。知識の海へ私たちを返してくれ。

 次の時代の過ちを正すために」


ローゼルの言葉に応じて大聖堂の扉が自ら光り始めた。

外形はそのままに、さっきまで聖堂の内部へ通じていた扉が一面の青に満たされる。

穏やかな波と晴天。

知識の海。


「ノーシスだって!?」


治人の問いを無視してローゼルとシュネードは扉をくぐり知識の海に足を踏み入れる。

扉の向こう側で大勢の人間が彼らを迎え入れた。

一様に黒い布を頭に巻いている。

清貧会だ。彼らをローゼルがねぎらっている。

以前清貧会に絡まれてローゼルが助けてくれたことがあったが、カモフラージュだったようだ。

あの時すでにローゼルはシュネードから情報を得て、知識の海からの乱入者――治人たちの行動に注意を払っていたのだろう。

治人も後を追おうとしたが、体が動かない。目の前に扉があるのに。

焦りをかき立てるように大聖堂の鐘が鳴り響く。

徐々に扉が閉ざされ、青い海と空が細くなっていく。

近づくことすらできないまま治人は2人の姿をにらみ続けた。

その時、一団からやや離れて1人付き従う者がいた。

宙を滑るように移動する禿頭(とくとう)の人影。


「ノーシス!」


治人の呼びかけに人影がゆっくりと振り返った。

治人と目が合い、ノーシスの顔に驚愕の色が広がっていく。

扉が閉まった。

光が消え、大聖堂の内側から再び話し声が聞こえ始めた。

何がどうなっている。

ノーシスもグーテンベルクの殺害に協力したのか。

だったらなぜ治人たちに印刷機の開発を手伝うよう言ったのか。

元の世界に帰れるという言葉自体がウソだったのか。


「戻るぞ、ハル」


長い沈黙の後で陽次がそう促した。治人は力なくうなずいた。

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