第14話 酔っぱらいが夢を語る
夜もなかばを過ぎ、宴会の熱狂は徐々に冷めつつあった。
とはいえあちこちに余韻が残っており、時々笑い声が起こる。
この勢いだと朝まで飲み明かすつもりだろう。
グーテンベルクは動き回って全員と話をしたようだ。
また治人の近くに戻ってくると今度は静かに酒を口に含んだ。
思い返してみればグーテンベルクと落ち着いて話をする機会はなかった。
彼がコップをテーブルに置いたのを見計らって治人は声をかけた。
「あの印刷機、『鏡』って本の次は何を刷るつもりですか?」
グーテンベルクは真剣な目で考え始めた。
酒のせいで視線はうわついているが、頭は冷静に動いているようだ。
「確実に売れるものがいい。それも一般の人たちが手にとれるもの。
ラテン語の教科書、あたりかな」
意外な答えだ。
グーテンベルクが名を残す発明なのだから、有名な文学とか、貴重な絵画とか、もっとスケールの大きなものを作ると思っていた。
治人の反応を見てグーテンベルクは付け足す。
「おれは大学でラテン語を学べたが、そういうやつは少ない。敷居が高いんだ。
だから需要はあると思うぞ」
グーテンベルクはいろんな仕事をやってきた。
資金の確保には大ざっぱだが、今人々が何を欲しがっているか、どういうものが売れそうかを探ることに関しては目ざとい。
「軌道に乗ったら聖書を刷りたい」
ぽつり、とグーテンベルクが漏らした。
本音を語る人間特有の真剣さが目の中にある。
治人は姿勢を正した。
「友だちの修道士が嘆いていたんだ。
聖書の解釈が大きくゆがめられている、本当の聖書を読む機会が少ないからだって」
「聖書が読めない?」
全てのホテルに置いてある書物、世界で一番多く刷られている本。
現代とはだいぶん事情が違うようだ。
グーテンベルクは一度コップのビールを口に含み、続けた。
「筆写で作っているから数が少ない上に、教会があまりいい顔をしないんだ。
みんなが聖書を読めるようになってしまえば、わざわざ教会に行って教えを請わなくてもいい。
自分たちに都合の悪い部分も読まれてしまう。
教会ににらまれれば処刑される恐れもある」
治人は息をのんだ。事情が違うどころじゃない。
「それ……もし作ったらグーテンベルクさんも危険なんじゃ」
グーテンベルクはふっと顔をほころばせた。待っていましたとばかりに胸を張る。
「もうけを教会と山分けすればいい。上に立っているやつは大体金が好きだ。
今話が来ているのはマインツ大司教だぞ、すごいだろ。
教会の中じゃ最高に偉い人だ」
それでも綱渡りのようなものだろう。大きな組織との交渉には細心の注意がいる。
グーテンベルクの武器は印刷機と自身の技術のみだ。
「何でそこまで」
思わずそう言った。グーテンベルクはふと酒を飲む手を止め、遠くを見つめた。
「おれにとっては祈りみたいなもんなんだ」
そこで急に席を立った。
「よし!景気づけだ、もう一杯飲むぞ!」
グーテンベルクは自分の言ったことに照れたのかもしれない。
治人が聞き直す間もなく、騒いでいる集団の中へ行ってしまった。
そして明らかに帰りたがっているシュネードに絡み始める。
陽次は机に突っ伏して寝ている。
声をかけても起きないので、治人は近くの者に帰ることをこっそり告げた。
「おれも」
シュネードが便乗しようとしたが、数人に囲まれ身動きが取れなくなっている。
心の中で謝りながら席を立ち、巻きこまれるのを避けた。
街は夜の底に沈んでいた。今夜は満月のようだが、分厚い雲がかかっていて光はおぼろだ。
暗い道には人気もなく、治人は自然と早足になった。
小屋にたどり着き中へ入ると、ようやく一息つくことができた。
手探りでロウソクと火打石を探し、家の中を照らす。
いつものように寝室へ向かう途中でふと足を止めた。
今日は印刷機のある実験部屋で寝よう。
治人は淡い期待を抱いていた。
知識の海へ、現代へつながる扉が現れるとしたらきっと印刷機のそばだ。
今日の披露のためか、部屋の中は印刷機の周囲だけ広い空間が空けており、四方に機材が寄せられている。
扉はこの部屋のどこに現れるだろう。
前は校舎の非常口だったから、今回もこの部屋の出入り口かも。
動くたびにろうそくの炎が揺らめいた。
橙の光が一瞬大きく膨らみ、印刷機を大きく投影する。
真横から見るとミニチュアの橋のようだ。
この時代の技術の結晶。グーテンベルクの名を歴史に残す発明。
いろんなことがあった。でももうすぐ終わる。
治人は窓の近くで寝ることにした。
扉の様子を見張れるし、変化が起こればすぐ陽次に知らせに行ける。
机や機材を踏み台にして窓から外に出られるのだ。
外の地面まではかなり離れているが、窓枠をしっかりつかめば飛び降りられない高さではない。
ごちゃごちゃと寄せられた机の下に体を滑りこませ、治人は毛布にくるまった。
そしてそのまま眠りに落ちた。
次回 暴力表現、残酷な描写があります。




