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第13話  印刷機が完成する

グーテンベルクは木の棒を両手でつかみ、体を傾けて前へ押した。

棒と連結したネジが回り、台と密着していた分厚い木の板が徐々に上がって離れていく。

板が上がり切った所で、彼は木製の台に張り付いていた紙の端をつまんだ。

誰かが息をのむ音がした。

グーテンベルクは高価な服を持ち上げるように、紙を優しく台からはがしていく。


「成功だ」


低く告げる声。グーテンベルクは紙を高く掲げて周りの者に見せた。

おおおっと低い歓声が上がった。

こぶしを握る者、隣と笑いあう者、目を潤ませる者。

みんな喜びをかみしめている。

治人と陽次はその輪の外側で印刷機の披露(ひろう)を見守っていた。

フストとの交渉から一月余り。

それまでの停滞がウソのように、またたくような早さで印刷機は完成した。

機械の高さは人の頭1つ出るくらい、村にあったブドウ絞り機と形も仕組みもよく似ている。

全体的に小型化した印象だ。

紙は圧力に耐えうる強度の物を、インクも転写し定着できるものを、それぞれ新しく作った。

特に紙はあえて水にぬらすことでしなやかさを増した。

この無骨な木組みの機械で刷った文章は美しかった。

今までの実験とは比べ物にならない。

目立ったインクのムラやにじみが無く、紙には均等な濃さでくっきりと黒い文字が映っている。

遠目で見ると、その緻密(ちみつ)で整然とした文字配列は白い布地に黒糸の刺繍(ししゅう)をほどこしたようだ。


「ハル!印刷機が完成したぞ。これで帰れるな」


上ずった声の陽次に対し、治人はそうだね、と小さく返した。

あいにく治人は楽天的になれなかった。

完成した、それなのにまだ帰れていない。予兆もない。

焦りが胸の奥によどんでいる。

職人たちと話し終えたグーテンベルクとメンテリンが治人たちの前にやってきた。


「おめでとうございます!」


陽次がお祝いを言うと、2人は誇らしげに印刷機を見た。


「おまえらにも世話になったな」

「大したことは何も」


これは治人の本音だった。

治人と陽次が手を貸さなくても、きっとグーテンベルクは印刷機を完成させていた。

自分たちはグーテンベルクに巻きこまれただけだ。

治人たちが手伝わなかったら、その役割を他の誰かが穴埋めしていただろう。

グーテンベルクは対照的な反応の治人と陽次を交互に見つめ、何事かをしばらく考えた後でニッと笑った。


「オトワ、キヅキ。いい所へ連れて行ってやろう」

「今度は小麦の収穫ですか」


すかさず身構える治人。グーテンベルクは紙切れに何か書き、治人に差し出した。


「疑うなよ。本当にいい所だ」




夜になり指定された建物の中へ入った治人は立ち尽くした。


「ここは」


薄暗い室内を横断する長い机が一脚、その両側に長いイス。

机の上にはロウソクとコップが等間隔に置かれている。

治人と陽次が最後だったようで、他の者は何というか……すでに出来上がっている。

今まで入ったことはないが雰囲気で分かる。いわゆる酒場だ。

2人が長イスの端に座ると、上機嫌のグーテンベルクが後ろに立った。


「完成祝いだ、おまえらも飲め」


目の前にコップが突き出された。漂ってくる酸味と発酵臭で吐き気をもよおす。


「何ですかこれ」

「ビールだ」


ビールとはこんな不吉な飲み物なのだろうか。陽次が目に見えて動揺した。


「おいハル!おれたち未成年だぞ!」


ポイントはそこか。


「そうじゃなくても飲まないよ、イインチョウ」

「何だよ飲めないのか」


グーテンベルクはつまらなそうに言って他の者と談笑を始めた。

治人も陽次と話そうとしたが、普通の声量では会話が成り立たない。

とにかく騒がしかった。

そのうちに陽次はグーテンベルクたちの輪の中へ誘われていった。

酒を1滴も飲んでいないのに酔えるのは、もはや芸と言っていい。

この騒ぎの中治人の隣はやけに静かだった。

室内でもフードを目深にかぶったその人物を治人はのぞき、納得した。

褐色の肌と髪。


「シュネードも来たんだ」

「悪いか」


突き放すような答えが返ってきた。

相変わらず無表情だが、不機嫌さがにじみ出ている。


「こういうの参加しないかと思ってた」

「参加した覚えはない」


え、と驚く治人にシュネードは淡々と続けた。


「突然連れてこられた。

 3、4人がかりで両腕と背中を抑えられたから逃げられなかった」

「……ご愁傷(しゅうしょう)さま」


それ以外にかける言葉が見当たらなかった。

会話が切れた治人たちとは対照的に、奥の方はますます騒がしくなってきた。

中心で2人がダンスを踊り始める。

1人が女役をやり、それが妙に似合っていたため、周りは笑いころげた。

やがてダンスに合わせて彼らは歌い始める。

グーテンベルクが再び近づいてきた。

すっかり酒が回ったらしく体の軸がふらふらと揺れている。


「おまえもどうだ、シュネード。歌うか、それとも踊りの方がいいか?」

「やらない。娯楽は腐敗を生む。笑いは神への不敬を表す」

「かったいなあ。もっと気楽にやれよ」


グーテンベルクは手を上げシュネードの頭に置こうとした。

気配を察してシュネードは勢いよく振り払う。


「おまえには分からない。

 貴族のおまえには、生まれつき救済が用意されているやつには!」

「じゃあ貴族の高貴さを分けてやるよ」


グーテンベルクは意地悪な笑みを浮かべる。

シュネードの頭をつかみ、彼の抵抗を無視して髪をかき混ぜ始めた。


「キヅキ、おまえもだ」

「いや、ぼくは」


断りかけた治人の意見もやっぱり聞かず、グーテンベルクは右手でシュネード、左手で治人の頭を乱暴に撫でる。


「いい加減ちょっとはおれを信じてくれないか、おまえたち」


自分の髪をかき回すグーテンベルクの手を、治人はポカンとしてながめた。

一方シュネードは押しのけようとするが、負けずにグーテンベルクは撫で続ける。

心底迷惑そうなシュネードと明らかに楽しんでいるグーテンベルク。

警戒心の強い野良猫を何とかなつかせようとしているようなそのやり取りがおかしくて、治人は吹き出した。

何も信じられない場所だ。

漫然と高校生活を送っていた自分がこんな時代へ来てしまったということが信じられない。

グーテンベルクの手伝いをしたことが正しかったのかも分からないし、それで元の高校へ帰れるかも疑問だ。

ただ、この人のことは信じてもいいのかもしれない。

治人は素直にそう思った。


「そうそう、そういうのだよ」


治人の笑顔を見てグーテンベルクは満足そうに手を離した。

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