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第11話 ブドウ狩り(強制労働)をする~~天啓

ある日突然治人たちの世界が沈んだ。

高校から知識の海という場所に飛ばされ、訳の分からぬまま空飛ぶ坊主頭(ぼうずあたま)の指示ではるか昔のヨーロッパに迷いこんだ。

元の世界に戻れるという一縷(いちる)の望みを目の前にぶら下げられて印刷機の開発を手伝い、今こうしてブドウを収穫している。


「いったい何をやっているんだ、ぼくは」


治人のひとり言はむなしく木々の中に溶けていった。

唯一応えられる立場である陽次は『コツを掴んだ』らしく、冗談みたいな早さでブドウを摘んでいる。

治人は決心した。

あほらしい。サボろう。

ブドウの木は整然と植えられて見晴らしがいいため、ここに隠れるのは難しい。

治人は堂々と、しかしさりげなく持ち場から離れていった。

街道近くの開けた場所まで移動し、人気(ひとけ)が無くなったのを確かめて治人は大きく背伸びした。

街道の一方は丘の向こう側へと続き、大きな道と合流する。

はるか先に見える赤茶色の建物はシュトラスブルク大聖堂だ。

そして道のもう一方は治人と陽次が送られた村へと通じていた。

小さな村だ。

シュトラスブルクのような都会で過ごした後だとよけいにそう感じる。

2階、3階建ての家が連なっていたシュトラスブルクに比べ、ここは小ぢんまりとした一軒家が集落をなしている。

小さくまとまった家々の中から頭1つ飛び出しているのは教会だ。

屋根の部分は四方の壁が無く柱だけで、大きな鐘がぶら下っている。

鐘楼(しょうろう)の役目を果たしているらしい。

やがてシュトラスブルクに通じる街道から大勢の人間が歩いてくるのが見えた。

仕事を求めてきた労働者だろう。

姿を見られたくなかった治人は木々の間に身を滑りこませた。

しかし運悪く彼らは治人のすぐそばに集合する。

その中に見覚えのある姿を2人見つけて治人は思わず立ち上がった。

彼らもこちらに気付いたらしく、真っ直ぐ向かってくる。


「手伝いに来たぞ、キヅキ」

「あああ!グーテンベルクさん」


答えたのは治人ではなかった。

治人が後ろを振り返ると、陽次が飼い主を見つけた犬のように駆けてきた。

治人を通り越し、グーテンベルクたちの前で立ち止まる。


「来てくれたんですか。それと、2人目の人」

「ヨハネス・メンテリンだ」


メンテリンは陰気な声で訂正した。

グーテンベルクは近くの監督役の男を捕まえて尋ねる。


「おれはどこに入ればいい?」


男はあたりを見回し、


「絞り機の方に回ってくれ」


と畑の近くにある建物を指差した。

陽次が名残惜しそうにブドウ畑の方を見ている。収穫を続けたかったらしい。

そこで治人の姿を認めて目を見開いた。


「そうだ、ハル。おまえ何で持ち場から離れてこんな所にいるんだよ」

「それは」


口ごもる治人。何かを見透かしたようにグーテンベルクの目が光った。


「よしキヅキ。おれと一緒にあっちへ行くか!」

「あの。ぼくはここで……」


後ずさりした治人の肩にグーテンベルクは肘を置き、軽く首に腕を回す。


「逃げるなよ。残念だったな、はっはっは」


ばれている。サボろうとしたこと。

治人にしっかりクギを刺しておいて、グーテンベルクはスタスタと前へ歩いて行った。


「おれも行きます!」


グーテンベルクの後に陽次が続く。自然と治人はメンテリンの隣に並ぶ形となった。


「諦めろ。グーテンベルクさんはああ見えて鋭い」


ぼそっとメンテリンが告げた。

治人は観念して歩き出し、グーテンベルクの大きな背中を目で追った。


「まさかグーテンベルクさんが手伝いに来てくれると思いませんでした」


主となる2人が抜けて工房は大丈夫なのだろうか。

ふと心配になったが、事業も金がないと進められないのだからこちらを優先したのかもしれない。


「私だけのつもりだったが、グーテンベルクさんがついてきたんだ。

 君たちをずいぶん振り回しているから申し訳ないと」


治人にとっては意外だった。

グーテンベルクは事業のことで頭がいっぱいだと思っていたのに。

顔に出てしまったのか、メンテリンが苦笑した。


「妙な人だろう。

 都市貴族のくせに、商人や市民、異民族とかかわって働くことをいとわない。

 こんな野良仕事までする」

「貴族なんですか?」

「ああ。放っておいても都市から終身年金がもらえるはずだ」


貴族といえば昔の上流階級で、ゼイタクな暮らしができる身分というイメージだ。

グーテンベルクはなぜ事業などを始めたのだろう。借金までしているのに。


「そこまで事業を急ぐ必要があるんでしょうか」


お金に余裕があるならともかく、借金を重ねている今無理をしなくてもと治人は思う。

いつの間にかグーテンベルクから離れて陽次が隣に並び、興味深そうに話を聞いている。

陽次の視線を受けて、メンテリンはますます生真面目に考えこんだ。


「悠長にやっていたら別の誰かが事業を始めるかもしれない。

 清貧会辺りか、もっと金回りがきくやつに情報を盗まれて先取りされるかも」

「それはそうですが」


それに、とメンテリンは続けた。


「グーテンベルクさんももうすぐ40。何があってもおかしくない年だ。

 何としてもこれを完成させたいんだろう」


寿命が違うのだ。治人は初めてそのことに思い至った。

死がいつ訪れるか分からない。だからこそ必死でやりたいことを成し遂げようとしている。

陽次が大きくうなずいた。


「じいちゃんもそうだった。全部かけてた。

 あの人、じいちゃんに似てるんだ」


だから陽次は慕っているのか、と納得した。


「おれはそういうグーテンベルクさんを助けたいと思ってる。

 おまえだってそうじゃないのか?」


陽次の問いに治人は答えなかった。

本来は会うこともなかったはずの人たちだ。

自分たちの時代に戻ってしまえばそこでつながりは終わり。

そんな人たちを手助けしてどうなるという思いがある。

陽次のように全力を注ぐ気にはなれなかった。

もともと無口なメンテリンはそれ以上語ろうとせず、治人たちも無言で足を進めた。

3人が建物の前に着いた時、グーテンベルクはすでに中に入っていた。

作業中のためか扉は開きっぱなしだ。

中には絞り機が数台設置されていて、ブドウの甘酸っぱいにおいがみちていた。

絞り機の仕組みは単純だ。

小さな湯船くらいある木の箱の中にブドウを敷き詰め、分厚い木の板を使って上から押す。

すると絞り口からブドウの絞り汁――ジュースが出てくる。

木の板にはネジがついていて、これを回すことで板を上げ下げする。

大の男が全身の体重を使ってねじを回しているから、力は相当なものだろう。

板が下がり、ブドウを押す。

果汁を絞り終えると板を上げ、中のくたびれたブドウを出す。

新しいブドウを入れ、また絞る。

分厚い木の板が垂直に上がり下がりを繰り返す。

ひたすら続くその動きをグーテンベルクは放心したように見つめた。


「おい。突っ立ってないでさっさと運べ」


ネジを回していた男がいらだちをあらわにする。


「あ、はい」


治人は慌ててブドウが詰まったカゴを機械のそばまで運ぶ。

陽次とメンテリンが手を貸してくれた。

グーテンベルクは、動かない。

とんでもないものを目撃してしまったように固まっていた。


「これだ……」


グーテンベルクの握りしめたこぶしが小刻みに揺れている。


「どうしましたか」


異変を察してメンテリンが声をかけた。グーテンベルクはバッと体を向けて両手を広げた。

感情の激流を体全体で表現している。

おそらくこれは――歓喜。


「これだ、メンテリン!奇跡だ!

 こうしちゃいられない。帰るぞ!」


さっそくメンテリンの腕を取って小屋から出ようとする。


「えええ!」


治人は抗議の声を上げた。シュトラスブルクに戻れると思ったのに。

するとメンテリンが慰めるように肩に手を置いてきた。


「1つ私の秘密を教えよう。力仕事は苦手なんだ」


そのスルメみたいな体つきを見ればわかる。

どうやらメンテリンはもともと乗り気ではなかったようだ。

グーテンベルクと一緒にさっさと出て行ってしまった。

陽次はすでに作業に加わっている。

治人はしぶしぶブドウ運びを再開した。


後日、工房の職人が交代しに来てくれたおかげで予定より早く2人は解放された。

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