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第1話 陸上部の天使にアプリを売ろうとする

午後のやや傾いた日差しに照らされる町並み。

運動場から届く野球部員の声。

時折頬をなでる風。


木月治人(きづきはると)は鉄柵にもたれかかって目を細めた。

治人は平均よりやや小柄だ。柵に額が当たる、それがひんやりとして気持ちがいい。やや癖のある長めの黒髪が風に揺られた。

校舎の非常階段は治人のお気に入りの場所だ。人が通らないし、景色がいい。たとえば今日のように、人と待ち合わせて内緒話をするにも好都合だ。


「お待たせ」


高い声がして、治人は振り返った。

校舎へとつながる非常扉の前に、同じ学年の女子が立っていた。

通称リッテン。彼女の本名を元にしたあだ名だったらしいが、男子の間ではひそかに『陸上部の天使』の略として広まっている。

答えようとした治人に、リッテンは長い人差し指を唇に当てて静かにするよう伝えた。それだけの仕草がやけに目を引く。

リッテンは多くの男子を惹きつけたその顔に緊張を浮かべていた。


「ラインしたことだけど」


彼女の用件は分かっている。治人はうなずき、手を差し出した。


「スマホ、貸して?」


しかし彼女は、ショルダーバッグを守るように体に引き寄せ、首を横に振った。


「その前に使ってみせて。

 決まったことしか答えられないんだったら、ネットで聞く方がタダだもん」


したたかだな、と治人は思った。天使モードは休業中らしい。

治人はブレザーのポケットから自分のスマートホンを取り出した。リッテンはカバンの中を探り、一枚のプリントを治人に見せる。


「これとかどう?」


今日の宿題プリントだ。細長い指が差しているのは、一つ目の質問。


『1450年頃、活版印刷術を考案したとされるドイツ人の名は?』


機能を見るついでに宿題を片付けてしまおうということだろう。

治人はプリントを手に取り、スマートホンの前にかざした。それから数秒。

リッテンに自分のスマートホンを渡す。

画面には一つの単語が表示されていた。


『ヨハネス・グーテンベルク』。


他にもいくつか試し、スマートホンが5教科の基礎問題、表や資料の解読もできることを証明して見せた。


「すごい。次はこの問題!」


リッテンも自分でやってみようとスマートホンの画面をなでる。しかし操作の仕方が分からないらしく、すぐにその指が止まった。

治人は手を伸ばして横から割りこみ、慣れた手つきで文字を入力した。


「こうやって使うんだよ」


指先が触れる。顔を近くから覗き、目が合った瞬間治人はほほ笑む。

リッテンが放心したように治人を見つめ返した、その時。


「現場を発見したぁ!」


耳障りな大声が響いた。らせん階段の上から一人の男子生徒がこちらを見下ろしている。


「きゃあああ!」


陸上部の天使は今日聞いた中で一番かわいい声を上げた。

カンカンカンと金属音を立てて男子生徒が階段を下りてくる。

リッテンは治人にスマートホンを返し、カバンの中から取り出したものを素早く治人の胸ポケットに入れた。チョコレートの箱だ。


「ありがと。またね」


ささやきを残し、長い髪をひるがえしてリッテンは校舎の中に逃げていった。

思った通りの展開になりつつある。楽しい。

治人のことをどう思っているかをあえてほのめかす、彼女の意思。楽しい。


――つまらない。


握った砂のように、一度手の中で形を作ってもさらさらと崩れ落ちていくようなやり取り。


やがてあたりが静かになると、男子生徒は治人と向かい合った。


「リッテンちゃんと何をしてたのかな?デート?」

「そう。邪魔しないでよ、ヨウジ」


治人のそっけない態度も彼は気に留めていないようで、軽く肩をすくめただけだった。

音羽陽次(おとわようじ)は治人と同学年だ。

明るい茶色の髪と瞳、大柄な体格に似合わぬ機敏な動き。

中身の方も、正義感の強い優等生、強引でマイペースな性格と、とにかく注目を浴びやすい。

ちなみに髪は染めているのではなく遺伝である。

治人と陽次は小学校からずっと同じ学校、ついでに遠い親戚らしいが、幼なじみというより腐れ縁の方が当てはまる。趣味も思考も合わないのに接する機会がある。今のように。

陽次はわざとらしく何度もうなずいた。


「なるほどなるほど。お前のクラスじゃカンニングアプリの引き渡しをデートと言うのか」


同じだろ、クラス。心の中でつっこんだ。


「何のこと?」

「とぼけてもムダ」


陽次は隙をついて治人の手からスマートホンを取り上げた。


「これ先生に見てもらってもいいのか?」


返せ、と手を伸ばすが、治人の背では届かない。陽次はとどめの一押しをした。


「おまえさあ、金もうけ隠してるつもりかもしれないけど、新しいスマホにガンガン変えてるだろ。気づくっつーの」


にらみ合うこと数秒。治人の方が目をそらした。


「カンニング用じゃないよ。知識探索アプリ」


アプリとは、スマートホンなどのコンピューターで使えるソフトのことだ。

治人は最近自分で開発したアプリを生徒たちに売っていた。

アプリを立ち上げるとカメラが起動し、プリントの文字をシャッター音無しで撮る。

画像の文字を電子データに置き換え、インターネットで検索して答えを探し出す。

つまり、何か問題文の書かれた紙にスマートホンをかざすだけで答えを探してくれるアプリなのだ。

陽次が使ってみたいと言うので治人はリッテンが落していったプリントを渡した。

陽次は何個か問題を解かせ、答えが表示されるたびに「おお!」と歓声を上げた。


「よく出来てるな」


当然だ。シャッター音を消すことや画像の文字を正確に読み取ること以上に力を入れた部分がある。

知識探索。

一問一答にとどまらず、多少の問題は解けるよう、アプリに擬似的な思考能力を持たせた。

文章の読解、公式の応用、資料の分析。

質問の意図を理解し、インターネットから必要な知識が載った記事を探し、解釈して答えを導く。

治人はあくまで知識探索アプリという名で売っている。

だがまあ、使用方法は人それぞれだ。中には悪用する者もいる――そういう姿勢をとっていた。

治人の考えを呼んだように、陽次の目が光った。


「言い逃れできると思ってるのか?先生たち、警察に相談しようとしてるぞ」


さすがに治人の顔色が変わった。

陽次は苦笑を浮かべていたが、目は真剣そのものだ。


「もうこういうことするなよ、ハル」

「よけいなお世話だ」

「そんだけよく出来ているんだから、そのアプリもっと調べ物に使えねえの?人間みたいに考えるようにしてさ、こっちが尋ねたらすぐ答えてくれる感じの」


急激に居心地が悪くなり、治人は陽次に背を向けて校舎へ入ろうとした。陽次が慌てて押しとどめる。


「待て!お前を探してたんだ。源治(げんじ)じいちゃんと桜ばあちゃん。覚えてるだろ?」

「……うん」


治人は一瞬返事に詰まった。忘れたわけではない。懐かしい名前に反応が遅れてしまったのだ。


「手紙が見つかったんだ。これ、お前に渡してくれって」


陽次はポケットの中のものを差し出した。

紫色の巾着(きんちゃく)が一つ、陽次が左右に振ると中から小さな石がこぼれ出る。

大きさはビー玉くらいの、白みがかった緑の石。

当然のように差し出してくる陽次から治人は一歩退いた。


「待って、陽次。これ宝石じゃないのか?」

「おお。そうみたいだな」

「もしかして形見?」

「おお。そうかもな」


興味深そうに宝石を眺める陽次に呆れた。中身も確認していないとは。


「何でぼくに源治じいさん……陽次のおじいさんたちが」


こんな貴重品を陽次の祖父母からもらう理由がない。

すると陽次は石を治人の手の中に押し付けてきた。


「本当はハルの物なのにずっと借りてたって」


治人は石を手に取って観察した。エメラルドの粉末を乳白色の液体に溶かしたような、見れば見るほど不思議な色だ。

緑と白、濃淡が手の動きに合わせて揺らぐ。陽の光を吸い込み、取り込んで淡く放つ。まるで石の中に海を閉じ込めているよう。


「僕のじゃないよ。親のでもないと思う」


これほどに美しい宝石を自分が持っていたならば記憶に残るはずだし、治人の両親は貴重品を人に預けたりしない。


「オレだって親に見つかるとややこしいんだ。もらってくれよ」


陽次はそう苦笑した。

治人の頭の中に陽次の両親の顔が浮かぶ。この宝石の存在を知ったらきっとすぐに治人から取り上げるだろう。

治人はしぶしぶ受け取った。一仕事終えたとばかりに陽次が背伸びした時チャイムが鳴った。

次の話でタイムスリップします。

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