表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

呪いの観覧車

作者: さうと

「呪いの観覧車ぁ!? これがか?」

 輪宮の呆れた声に、部下の木遣がビクッと体をふるわせた。

「は、はい。裏野ドリームランド――この遊園地の名前ですが――は廃園になってまして」

「でなきゃ俺ら警察の貸し切りになってないだろうよ。死体も客に加えるなら別だが」

 輪宮は目の前のひび割れた地面を見下ろす。

 そこには男がうつぶせに寝ていた。

 駆けつけた輪宮は、一目でその男が絶命していることが分かった。

 なにせ被害者の上には、人4人が乗れる大きさの丸型ゴンドラが鎮座していたのだから。

「それで、その廃園になった理由がですね、この観覧車に乗ったカップルが謎の死を遂げたとこから始まって、それから事故も相次ぐし、変な声は聞こえるし――ひえぇ」

 情けない声でおびえる木遣と対照的に、輪宮の表情はしらけていた。上を向いて、もう人を乗せることのない停止した観覧車を眺めてから、

「くっだらねぇ、そのカップルの呪いで観覧車がガイシャの上に落っこちてきたってか? この科学捜査の時代に呪いなんてあるものかよ」

「そうだそうだ観覧車に罪はない!」

 横から若い声が口を挟んできた。輪宮が胡散臭そうな顔で声の主を見やる。そこには若い男女が口をとがらせていた。

「アンタら誰だ?」

「あ、輪宮さん、この人たちが第一発見者です。……困ったなぁ、パトカーで待っててと頼んだのに」

 木遣が言うには2人はカップルで、男の方が英、女の方が安里という名前らしい。

「私たち、10時ぐらいに来たんですけど、そしたら観覧車が一個落ちてて、人が下に……」

 安里が目をそらす。その瞳がうるんでいる。

 無理もないと輪宮は思った。

 こんな死体の有様を見て気分が悪くならないわけがない。くすんだ赤色のゴンドラの下からはみ出る腕と頭。そして、おそらくは地面と同化している胴体。

「本当、観覧車がかわいそうで……本体からゴンドラを切り離された上に、死体なんかの上に落ちちゃって……」

 一瞬、輪宮の思考が止まった。思わず口が半開きになったことには気づいていない。

 まさか観覧車の方に同情するとは。

「おい木遣……なんなんだこいつらは」

「彼らは遊園地マニアなんだそうです」

 ああそういう……と納得しかけた輪宮だったが、目の前の遊具が二度と動かないという事実を思い出し、

「ちょっと待て、ここは潰れてんだぞ? いったいなにで遊ぶってんだ」

「僕らは遊園地のすべてが好きなんです! 建設途中のときも取り壊されるときも、もちろん打ち捨てられて廃墟になっているときも!」

 鼻息荒く詰め寄ってくる英の迫力には、歴戦の輪宮でも気圧されてしまった。

「わかったわかった。木遣、もう話は聞いたんだろ? ああ、じゃ捜査が進んだらまた連絡するかもしれませんが、今日のところはお引き取りください」

 輪宮の口調には、この変人どもをさっさと追っ払いたいという気持ちが露骨に表れていた。

「この事件、観覧車にはゼッタイ罪ありませんからね」

 英と安里のカップルは、しつこいぐらい念押しして去っていった。

「なんなんだまったく……現場も妙なところだわ第一発見者も変な奴らだわ……これでガイシャも妙な奴だったら、三連単でも買わなきゃならん」

「それはやめといた方がいいですね。被害者は至って普通の人ですから」

 木遣が手帳をめくって、被害者の素性を読み上げる。

 伊武希世。年齢は55歳で、10年前まで裏野ドリームランドの経営者だった男。

「まあ普通は普通だな。かつての栄華が忘れられず、忍び込んでうろついていたら、かわいい我が子の下敷きになった……」

 うつむきがちに神妙な表情で語る輪宮。木遣りが色めき立つ。

「せ、先輩、それって観覧車が主を恨んで呪い殺したってことですか?!」

「みたいな事件だったら、俺らの仕事はラクなんだがな。事故にしちゃあ、いろいろと無理がありすぎる。たまたま見に来て、たまたま観覧車の下に居て、たまたま観覧車が老朽化して落ちてくる――どんな確率だよ?」

「だからこそ呪いで――あいてっ!」

 しつこい木遣の頭にげんこつが降ってきた。

「そういうのは捜査が手詰まりになってから言え、せめて。まずはガイシャの交友関係を洗うぞ」

 痛がる木遣を無視して輪宮がきびすを返す。その目に、向こうからクレーン車がやってくるのが見えた。死体からゴンドラをどかすためだろう。


 輪宮は荒々しくイスに座った。その勢いに背もたれが悲鳴を上げる。

「くそっ、課長の野郎……」

 署に戻ったあと、課長から言われたのは、観覧車の事件を事故で処理するようにとのお達しだった。

「ウチの署は人手不足ですからねー。管内の強殺事件に振り向けたいってのも分からなくはないです」

 呪いの観覧車から離れることができて晴れやかな顔の木遣。渋面の輪宮とは対照的だ。

 なにしろ長い刑事経験の中には、怪しい事件に見えても実際事故だったこともあるのだ。輪宮が最終的に引いたのも、その可能性を捨てきれなかったことにある。

 確率論で言えば、珍しい事故だってあり得るのだから。

 だが輪宮は別の理由から事故と思いたくなかった。

「呪いなんて認めてたまるかよ」

 虚空をにらむと、輪宮はすっくと席を立った。そして無言でそばにいる木遣の腕をとって、そのままずんずん歩く。

「ちょっと、輪宮さんどこへ……。あっまさか観覧車の件、やるつもりなんですか?! いやだー! 一人でやってくださいよー!」

 木遣は情けない悲鳴を上げながら引きずられていった。


 遊園地の経営に失敗してからの伊武希世は、あまり人付き合いをすることもなく、安アパートの一室に住んでいた。

「会えば会釈ぐらいはしますけど、特に親しい人はいなかったんじゃないですかねぇ。どこか陰のある人でしたし」

 というのはアパートの大家の言。

「じゃあ誰か訪ねてきた人はいませんでしたか?」

 木遣が訊く。オカルト好きとはいえ、捜査はきちんとするのだ。

「伊武さんが留守のときに、なんとかランドの管理会社の人が来ましたけど……今、伊武さんはいるかって」

「それって裏野ドリームランドかな?」

 今度は輪宮が訊いた。

「えーと……ええ、確かそれだった気がします。あれですよね、心霊スポットの」

 どうやら呪いの話は広まっているらしい。輪宮は心の中で舌打ちをした。


「ええ、確かに裏野ドリームランドは当社が管理しています」

 あの廃遊園地の管理を請け負っているドラクルエステートの担当者、原は遊園地内で起きた事件に驚いた顔をしつつ、輪宮に冷静な対応をしていた。

「そちらさんは具体的に何をしておられるんですか?」

「たとえば、変な人が住み着かないよう警備したり、土地や物件の売り先を探したり、言ってみれば総合的な管理ですね」

 原が手元の資料を広げて輪宮へ見せてきた。

 輪宮はそれを一瞥してから、

「それで、あなたは伊武さんの住まいに行ったそうですが、何の用だったんです?」

「その日は裏野ドリームランドの売却について、打ち合わせをする予定でした。けれど伊武さんが現れず……電話にも出ませんし、仕方なくご自宅を訪ねたのですが、ご不在とのことでした」

 原が訪ねたのは午後7時頃。冬の気配が残る3月では、夜の時間だった。

 そのとき既に、伊武希世は観覧車の下敷きになっていたのか。

 輪宮の脳裏に、暗黒の遊園地の情景が思い浮かぶ。静寂の中に伏し、光の消えた目で地面のひびを見つめる男。

 そんなイメージを頭から振り払って、

「あの観覧車はだいぶもろくなってたんですか?」

「なにしろ15年ですからね。遊具のメンテナンスはしていませんでしたし、老朽化でゴンドラが落ちても不思議ではありませんね」

 それにしても、と原が首をひねる。

「伊武さんはどうして、あそこに行ったのでしょう。しかも、よりによってあの観覧車の前に」


 ドラクルエステートを出た輪宮のもとに、別働していた木遣から電話が入った。

「被害者の死亡推定時刻が分かりました。8日の午後5時から9時ぐらいだそうです。死因は、まあ言わなくても分かると思いますが、内臓破裂によるショック死です」

 あれで刺殺だったら驚きだなと思いつつ、

「ガイシャの足取りは? 車は持ってなかったんだろ?」

「ええ、ですので最寄りの駅の監視カメラとかをチェックしたんですが、映ってませんでした。レンタカーの線もありますが、調べるのは時間かかりそうです」

「歩いていったとも考えられるが、55歳があの坂を登るのは無理があるな」

 裏野ドリームランドは山を拓いて作られた遊園地だ。昔はマイクロバスなんかが走っていたらしいが、今徒歩で行くのは刑事でもキツいだろう。

「あとは誰かの車に乗っていったか、ですかね。まあ同乗者が名乗りでないのがおかしいですが」

「遊園地に入る道は、夜間人通りがなさそうだし、目撃者も見つからんかもな」

 電話の向こうが急に静かになる。それからトーンダウンした声が響いてきた。

「それってまるで、幽霊みたいですね……なんて」

「バカ、潰されて死ぬまでガイシャは生きてたんだ。幽霊なわけあるか」

 半ば軽蔑したように言った輪宮だったが、内心ギクリとしていた。

 廃れた遊園地に向かって、暗がりの中、誰もいない坂道を無言で歩く男。そして吸い込まれるように観覧車の下へ行き、ゴンドラに――。

「とにかく行き詰まったら現場百遍だ。こっちに車回せ」

 今からですか、と文句を言う木遣を無視して、輪宮の手は乱暴に通話終了ボタンを押した。


 赤いゴンドラは、15年の風雨に晒され、塗装があちこち剥げていた。筐体の暗い色合いは、サビのせいなのか、それとも元主の血がしみこんだせいなのか。

 死体のあった場所を、しゃがんで確認する輪宮。木遣のほうは、そばに移動されたゴンドラを気味悪そうに眺めていた。

「地面の状態から察するに、こいつがそのまま観覧車本体から落ちたのは間違いないようだな」

「鑑識の話によると、ゴンドラを吊っていたパーツに切断面もなく、ゴンドラ自体をクレーンで吊ったような痕もなかったそうです」

「つまり、ガイシャを下に立たせてから、ゴンドラを落下させたということはないわけだ」

 輪宮の言い方に、木遣がぎこちない笑みを浮かべる。

「輪宮さんは、やっぱりこれ殺しだと思ってます?」

 呪いじゃなくて、という意味を言外に込めているのは明らかだ。現場に来てしまっている以上、木遣にとってはむしろ呪いじゃないほうがありがたかった。

「ああ、あまりに出来すぎているからな。ただ現状事故を覆す証拠がないんだよなぁ」

 嘆息し、観覧車を見上げる輪宮。リング状に並んだゴンドラのひとつが脱落している。

 輪宮は、凶器は間違いなくあのゴンドラだろうと推測していた。だが、ゴンドラが自然落下である以上、意図的な殺人に利用するのは難しい。

「観覧車に罪はない、か」

 ふと例の遊園地マニア、英の言葉を思い出す。

 呪いの観覧車。観覧車が意志を持って、ゴンドラを落とし、伊武を殺した。そんなことがあるわけがない。

 ゴンドラは人を殺さない。意志を持って人を殺すのは人だけだ。殺したのは人で、ゴンドラではない。

「そうだ、殺したのはゴンドラじゃないんだ」

 急に輪宮が明るい声で叫ぶ。そして目の前のゴンドラに顔を近づけて、何かを探すように体を動かしはじめる。

「どうしたんですか輪宮さん」

「探してんだよ、お前も手伝え」

「何をです?」

「何か押した痕か、ひっかけた痕跡だよ」

 不審げな顔の木遣に、目を輝かせた輪宮が告げる。

「つまり、ゴンドラを転がした形跡を探せってことだよ。ガイシャの上にゴンドラが落ちてきたんじゃない。落ちたゴンドラをガイシャの上に乗せたんだ」

「じゃあやっぱり被害者は誰かに殺されて……」

「そうだ。もしかすると殺害現場も別かもな――おっ、あったぞ。ひっかけた痕だ」

 丸型ゴンドラの湾曲した側面にあった窓。それは落下の衝撃で割れていた。輪宮は、ゴンドラの内側の窓と壁の境のあたりに、真新しい傷があるのを発見した。

 輪宮は勝ち誇ったように叫ぶ。

「これは呪いなんかじゃねぇ。人が人を殺した――ただの殺人事件だ」


 そこからの展開は早かった。捜査本部が立ち上げられ、被害者に恨みを持つ人間がリストアップされた。

 結局、犯人は伊武の元妻だった。

 夫の伊武は裏野ドリームランドに未練たらたらで、いつまで立っても売却を決断できなかったようだ。ドラクルエステートとの打ち合わせをすっぽかしたのもそれが理由だろう。

 慰謝料請求をしていた妻は、そんな夫に怒り、口論のあげくはずみで刺し殺してしまった。

 死体の処理に困った妻は、放置状態のあの遊園地に隠すことを考えた。行ってみると、観覧車が落ちていたのを見て、呪いに見せかけることを思いついたという。

「で、解体用に放置してあったフックを使って車で引っ張り、ゴンドラを転がして、被害者の上に乗せたというわけですか」

「ああ。といっても一発じゃうまくいかず、ゴンドラはガイシャの上を何度も往復したらしいが。そのせいで直接の死因である刺し傷も消えちまったんだな」

 言ってから輪宮はぞっとする。刺し傷が消えるほど潰された死体。元夫をそんな有様にした妻は、いったいどんな気持ちだったのだろう。

 輪宮は軽くため息をつくと、調書を書いていた手を止めて

「呪いなんかより人間のほうが恐え、そう思わねぇか?」

 隣の木遣に目をやると、そこには安堵したような残念なような、微妙な表情があった。

「それはそれでなんかガッカリですけどね。やっぱ死者の呪いなんてないのかなぁ」

「今度から殺しのヤマは先に行かせてやろうか? そんでお前が呪われるか試してやる」

 こわばった笑みで首を横に振る木遣をしばらく半目で見てから、輪宮は手元に目を戻す。

 その目が第一発見者の欄で止まった。

 あの遊園地マニアのカップル。

 観覧車の無罪を主張していた頭のおかしな2人。

 そういえば奴らにはあれから話を聞かずじまいだ。一応知らせといてやるか。

 そう思って電話をかけたが、返ってきたのは、『この番号は使われていません』の声。

 輪宮の背中から頭のてっぺんにかけて、予感が走り抜けた。

 デタラメな番号を言ったのかもしれない。

 わずかに震える手でキーを叩く。事件データベースの検索欄に、『裏野ドリームランド』の文字を打ち込む。

 表示された事件から、ある自殺事件をクリックし閲覧する。

 観覧車でカップルが自殺した事件を。

 視線が画面を滑り、自殺者2人の名前と顔写真を見つける。

 輪宮はたっぷり5分ほど画面を凝視してから、乾いた笑いを漏らした。

「ほら見ろ、やっぱ呪いなんてねぇんだ。あるのは――」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ