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第三十五話 蘇る希望

 小柄な萌黄の身体を、怪物の巨大な影が覆う。月明かりも星空も遮られ、真の暗黒に呑み込まれていく。もうここで、わたしたちの旅は終わりだ。萌黄の心はすでに閉ざされかけていた。


「えぎ…も…もえぎ…」


(誰かが、わたしを呼んでる…?)

 最初は、気のせいかと思った。今わの際、絶望のあまり現実離れした幻聴を聞いているのだ、と。だがただ一片、萌黄の心には理性が残っていた。その声が誰のものか、萌黄は頭の中でふと訝ったのだ。そう言えば、それは懐かしい人の声ではなかった。ごく最近聞いた人の声なのである。これは、どう言うことだ?


「もえぎ」


 しかしその声は、明瞭なトーンで萌黄の名前を呼び続けている。目の前には、化け物しかいないはずなのに。誰かが諦めた自分を救い上げにきてくれたのだ。でも、誰が?萌黄は思わず、息を呑んだ。自分を呼ぶのは、女の人の声だ。今、そこにいる声だ。萌黄は目を開けた。そこに、変わらず巨大な化け物の影がある。その不吉さは、深海に漂う海獣の死骸のようだ。だが声はした。英語なまりの声だ。


 思った瞬間、萌黄は思い切り手を伸ばしていた。声のするほうへ。そこからは確かに、萌黄を呼ぶ声がしたのだ。それは萌黄とこの大陸で運命を共にするはずの仲間の声だった。


「シャーロットさんッ!?」

「そうよ萌黄、Give me your hand(手を貸して)!」


 一気に現実が、萌黄の前で切り開かれた。

 闇の彼方へ差し伸べたはずの手は、今しっかりと、同じ人間の手によって握り返されたのである。


(『仲間』だ…)


 消滅したハスターの間際の言葉が、萌黄の胸に沁み渡る。ついに『仲間』が助けにきてくれたのだ。シャーロットの声に、そして少し汗ばんだ手のひらの温かな感触に、安堵している自分に、萌黄は気づいていた。


 一人では、無理だった。

 しかし、絶望の淵に沈んだその時、そんなときでも誰かが、自分を救い上げてくれるなんて思いもしなかった。たった一人で戦ってきたわけじゃない。でも、たった一人で何でも出来なきゃいけない、と、そう思い込んでいた。


 このことだ。ハスターが言っていたのは、『このこと』だったのだ。

 頼るべきは、ともに目指すべき目的へと向かう『仲間』。

 それさえ信じれば、人間は邪神さえしのげる。

(そうだった…一人じゃない。わたしは、一人じゃないんだ!)


 気づくと、萌黄は空を飛んでいた。荒野にさざめく夜風を、いっぱいに浴びて。

 翼を広げた怪物の背に、萌黄は乗っている。しかし、それは萌黄が思っていたようなものではなかった。萌黄を取り囲んだのは、あのミ・ゴではなかったのだ。シャーロットの『黄衣の王(イエロー・キング)』が変態した、飛行物体だったのだ。


「無事ね。ようやく助けに来れたわ」

 スペンサーライフルを肩に担ぎあげたシャーロットが、萌黄の小さな身体を怪物の背に引っ張り上げてくれたのだ。

「驚かせてごめんなさいね、萌黄!夜、空を飛ぶ大きな動物なんて、ほかに思いつけなかったのよ!」


 萌黄の眼下に、ここまで駆けてきた草原が広がっている。そこは決して、無限の暗闇などではなかった。こうしてみると、月明かりに照らされた灌木の枝が吹きさらしの風にそよいでいるのすらはっきりと分かる。あの中では萌黄の存在など、実にちっぽけなものだ。


(なんだ…)

 自分のことながら萌黄は、笑ってしまいそうになる。自分は、あんなところで一人、絶望に打ちひしがれていたのだ。


「大丈夫?」

 そんな様子を見ていたシャーロットが、不審そうに尋ねてくる。萌黄は苦笑してかぶりを振った。混乱(パニック)、とだけ名付けるのには、今、萌黄が得た経験値は、はるかに大きい。

「撃たれたのね、傷を見せて」

 そんな思惑をよそに、シャーロットが萌黄の銃創を気遣ってくれる。こんな痛みすらも、さっきまで恐怖で忘れていた。弾傷の割に傷は浅く、出血は停まりかけていたが、黄衣の王で埋めてくれるのなら、それに越したことはない。

「これは敵の弾丸なの?」

 ぽろり、と萌黄の衣服から落下した鉛玉の塊を見て、シャーロットが言った。萌黄は出来る限り分かるように、事情を説明した。これは、紛れもなく萌黄の弾丸である。クトゥグアの身体に撃ち込んだはずの。

「潰れがひどいわね」

 当時の弾丸は、コーティングがなされていないために、実は衝撃にもろい。なので、標的にぶち当たった瞬間、潰れてしまうことはままあることだ。


 なのでさっき、クトゥグアに撃ち込んだ弾丸は、撃発の衝撃でへしゃげていても不思議ではない。だが萌黄の身体から落ちてきた弾丸は、異常だった。なんと、そこからさらに『くの字』に押し曲げられていたのだ。クトゥグアの身体に撃ち込まれて水たまり状に広がってから再び、内側から一気に押し出されたかのように。


 萌黄はその衝撃の形を、指でなぞってみた。さすがにもはや熱を持ったりはしていないが、その跡は恐るべき爆発力を物語っていた。

 つまりこれは、クトゥグアの肉体の中で直接、爆発が起こっている、と言うことである。クトゥグアが萌黄たちの前で爆発させたテキーラのフラスコや、殻に入ったクルミのように。問題は、クトゥグアがそのとき何をしたら、爆発が起こったか、と言うことだ。この瓶詰の封蝋のようになった弾丸を見たとき、何か引っかかることがあったはずなのだ。

(そうか…)

 そのとき萌黄の脳裏に、もっとも深く刻み込まれていた映像は、ただ一つだった。

(分かった…そう言うことだったんだ)

 萌黄は思わず息を呑んだ。やはりそうなのだ。すべては『法則性』である。爆裂したフラスコも、弾け飛んだクルミも、クトゥグアの身体から吹き飛んだ弾丸も。何もかもは一つのルールでつながっている。ハスターの言ったことは、間違いではなかった。

(クトゥグアは、無敵じゃない)

 人間が持つ『知恵』がそこへたどり着こうと、努力をやまなければ。仲間たちを信じて全能力を結集すれば。炎の邪神にすら打ち破ることだって不可能じゃないのだ。


「なによ、いったい!急にどうしたの!?」

 突如、ひとりで笑い出した萌黄を見て、シャーロットが不審そうに尋ねる。思わず涙をこぼすほど笑った萌黄は、あわてて首を振った。

「なんでも…ありません。いや、なんでもあります!わたし、反省していたんです。もっと早く、もっときちんと、立ち止まって考えることさえ出来たなら。…このことに、今より前に気づくことが出来たはずなんです」

 ハスターを喪う前に。だが後悔など、するべきではなかった。ハスターがいたからこそ、萌黄の心にたった一粒の理性が、立ち戻った。萌黄たちを信じてくれた、ハスターの犠牲があったからこそ、たどり着いたものだ。それがさらにもう一度、萌黄たちに戦う力をくれるはずなのだ。

「待って!萌黄、今、何を話そうとしているのか、見当もつかない。このへしゃげた弾丸で何を思いついたって言うの…?」

「反撃の糸口です。炎の邪神への」

 萌黄は、拳を握りしめると、自分の心臓に触れた。恐怖はいつでも、ここから湧き上がってくるものだ。だが、それを克服する勇気の力をくれるのも、ここなのだ。

「今度こそ負けません。分かったんです、クトゥグアの能力の正体」






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