第二十話 風の邪神ハスター
「ガキが、細切れにして川にばらまいてやる」
ならず者たちは一見して、我を喪っているように見えた。割って入ろうとした萌黄はレズリーに止められた。話が通じそうな雰囲気ではもちろんない。銃を持った連中は脅しではなく、すでに発砲しそうな気配だった。
「なんだよー、そんなに怒ることないじゃんか」
対し、ハスターは丸腰の癖に暢気な返事だ。
「聞きたいことがあるだけだって。あんたたちのお友達から、ちょーっと話聴いただけじゃん。つーか、殺したわけじゃないしさあ」
「ふざけるなッ!」
見えるだけで十数丁の銃口が、萌黄たちを囲んだ。
「とぼけるんじゃねえッ!お前がただのガキじゃねえってことは、とっくにお見通しなんだよ!」
「へえ」
ハスターは肩をすくめると、さらに挑発的な態度を取った。
「それはおっちゃん個人の考えで?それとも、誰かにそう聞いたからかなあ?」
「殺せッ!」
「ちょっ、ちょっと!ちょっと待って下さい!」
萌黄が悲鳴のような声を上げて、割って入ったのはそのときだ。
「なんだてめえはッ!?」
「てっ、てめえは?って…わたしたちは、この街に来たばっかりです。あなたたちこそ、一体なんなんですか?」
「見りゃあわかんだろ。この街の住人だよ!」
そう言われて萌黄は思わず、眼帯の男の風貌を見返したが、どうみてもこの街の住人には見えない。
「いいって嘘つかなくても、おっちゃん」
相変わらずの口調で、ハスターが口を挟んだのは最悪のタイミングだ。
「住人って言ったって、なったのは最近だろ?本当は『教団』とやらの関係者だ」
今の一言は、問答無用だった。
殺せと言っているようなものだ。男たちは、何も言わずに引き金を絞ってきた。
「伏せろ萌黄ッ!」
夥しいばかりの銃声が炸裂した。弾正たちが飛んだ瞬間、萌黄もどこかに逃れようと思ったが、なぜかハスターが腕を掴んだので、逃げるタイミングを喪ってしまった。弾丸はほとんどがハスターに向けられて発砲されたに違いない。
(死ぬ)
萌黄が覚悟をした時だ。
「…大丈夫だよ」
ハスターの声が耳元で聞こえた。生きている。耳を聾する銃撃の残響音の中で萌黄は、思わず呼吸が絶えるかと思った。弾丸は一発も、萌黄の身体に触れていない。いや、どころか、ハスターの身体にも一発も被弾していないのだ。
(なにこれ…?)
硝煙の中、萌黄は今度こそ心臓が停まるかと思った。
なんと無数の弾丸が、宙を浮いているのだった。透明な壁があって、そこに刺し留めてあるかのように弾丸が中空で停止している。まさに、目を疑う光景だった。
「大丈夫だって言ったろ?」
ハスターはくすくす笑った。そのまま、静止した弾丸の雨の中を、歩いていく。
「まさか…?」
ありえない、信じられない。
その言葉を口にしようとして、萌黄は思わず口ごもった。そうだ、自分たちが今いるこの世界でその言葉は、禁句だ。人智を遥かに超えた出来事であったとしても、それが自分の目の前で起こった、と言う限りは、真実に他ない。
それが、新知覚能力者の世界だ。
「お前ッ、まさかドアーズなのか!?」
レズリーと弾正が遅れて身構えた。しかし少年は、素知らぬ顔である。
「ドアーズだあ?知らないねえ。こっちは生まれてこの方こうだっての」
「生まれたときから、ドアーズなの?」
萌黄が尋ねると、ハスターは難しそうな顔で頭を掻いた。
「いやなんて言うか…めんどいなあ。説明するのが。て言うかさ、新知覚能力者ってのは、あんたたち人間の話だろ?」
「わたしたち、人間…?」
萌黄がハスターの言葉を反芻した時だ。硝煙が晴れ、男たちはようやく弾丸がハスターに達していないことを知った。騎兵隊上がりの眼帯男が、それを見て逆上したのは、そのときだった。
「おのれっ、ふざけやがってッ!」
男は至近距離まで近づくと、今度こそ、ハスターの顔面に向かって銃を放った。ありったけの弾丸をそこへ撃ち込んだのである。
果たして萌黄は、見た。弾丸を撃ち込まれたハスターの顔が水に映った影のように乱れて、消えてなくなるのを。いつの間にか、ハスター自身が丸ごとそこにいない。信じられないことだが風にほとびて、音もなく消え去って行ったのだ。
「だから、言ってるじゃないか」
背後からハスターの声がしたと同時、眼帯の男は頸を切り裂かれた。鋭いナイフが鷲の爪のように、動脈を掻っ切っていったかと思われたが、ハスターの手には何も握られていない。
「おれたちは、生まれつきこうなんだって。普通の人間には殺されないよ」
ハスターは頸を裂かれた男の死体を足でのけると、肩をすくめた。
「ばっ、化け物ッ!」
「そうだよ。やっと分かってくれた?」
男たちは武器を棄てると、今度は悲鳴を上げながら逃げ散っていった。
「あはははっ、逃げないと食っちまうぞー♪なーんてねえ」
「こっ、この野郎!どういうつもりだ!?」
銃を持った男たちは逃げたが、さすが萌黄たちはそうはいかない。弾正もレズリーも、臨戦態勢だ。緊張するのも無理はない。銃弾を停める不可思議な力といい、さっきの身のこなしといい、完全に普通の人間とはかけ離れている。しかし対するハスターはと言えば、きょとんとしていた。
「なんだよう、冗談だってば。おれが人間じゃないからって、別に食べやしないって。連中と違って、人の脳味噌なんかね」
「ふざけやがって!」
「先輩、だめです!」
弾正を制止しながら、萌黄はひそかに息を呑んだ。ハスターが仄めかしたのは、尼二封姫のことだ。この少年は何者であるかはさておき、少なくともミ・ゴの教団のことを知っている。そして彼らが新知覚能力者の脳味噌を集めていることも。
「順序立てて説明しろ」
レズリーもようやく、少し話が聞ける状態になったようだ。
「つまるところ、お前は何者で、ここへ、何をしに来たんだ?」
「宿敵に決着をつけに。チャールズだっけ?…あんたの友達を殺した男があまり調子に乗ると、おれたちの存在が困る。だから殺しに来た」
「それは、クトゥグアって野郎のことか?」
日本語で発した弾正の言葉にも、ハスターは、はっきりと頷いた。
「そう、奴を殺す。ついでにもう一人、船に乗って西からやってきた化け物もね。…あいつのお陰で、おれたちの世界にも、禍々しい変化が起きようとしている。秩序が大きく崩れることを、おれたちは望んでいない。だから、おれのように顕在化して動くことにした」
「顕在化?」
「おれたちは人じゃないって言ったろ?その気になれば、あんたたちには知覚できない存在に戻ることも出来る」
そう言うハスターの身体が、寒天質の光を帯びて透けていく。みるみるうちにその姿は、日向の虹のように実体のない儚いものになった。
「これで信じてくれるかい?だったらもう少し、話を聞いてくれる?」
ハスターは萌黄たちを、爆破された馬車のところまで連れて行った。駅馬車の寄合の片隅に放置されたそれは、完膚無きまでに焼け焦げ、両側のドアはすべて吹き飛んでしまっていた。
「クトゥグアは、『火』を司るんだ。やつは爆弾なんて持ってないし、爆炎の中でもへっちゃらだ。疑うなら炭化の跡を見てみなよ。ほら、爆発は車内、それもこのシートの上が、爆心地だと思われる」
ハスターの言う通りだった。位置的にみて、シートの位置は三人掛けの真ん中、容疑者として護送される人間がいるべき座り位置だった。
「信じられん。じゃあ、チャールズはさっきみたいな超能力で殺されたってことか?」
「平たく言うと、そうだね。ちなみにクトゥグアは『火』、おれは『風』、ニャルラトホテプは『土』」
萌黄は内心、心臓を握りつぶされる想いだった。ハスターは今度こそ、尼二封姫の名を口にした。ついに掴んだ。目の前の少年の姿をした生命体は、知っているのだ。萌黄の大事なものをにべもなく奪っていったその化け物の正体を。少年は言った。
「おれたちは『邪神』だ」