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第十八話 死に瀕した街へ

「クリス・ジャイルズがなりすまそうとしていたピンカートンの捜査官の名前が、分かったぞ」

 そう言い出したのは、レズリー・エイワスだった。陽が暮れきってからこっそりとダブリンの店に戻り金庫を引き上げてきたのだが、ジャイルズが使うべき偽名にレズリーは憶えがあったのだ。

「俺たちは運がいい。よく見ろ、銀行に領収証を持って行くときは、この名前でサインしろとある」

 紙幣の出納帳に挟まれた添え書きを、レズリーは取り出してみせる。

「チャールズ・レインボーン…」

 萌黄が目を細めてそのスペルを読むと、弾正は詰まらなそうに鼻を鳴らした。

「へッ!どうせ出鱈目な名前なんじゃねえのか!?」

「俺たちは運がいいと言っただろう。チャールズは、俺の知り合いなんだ。あいつは優秀な捜査官だ。牛泥棒や強盗を捕まえるために、何度も協力したことがある」

 レズリーが言うレインボーン捜査官は、この無法の時代には得難い、数少ない法と正義の番人だったと言う。

「連中は保安官でも牧童でもない。だが、犯罪者を追うのに最も大切なことは同じだ。各地にどれだけ、協力者を持てるか、と言うことなんだ。これはチャールズが俺に、身を以て教えてくれたことだ。俺がチャールズの捜査に協力する代わりに、彼は俺の捜査に協力してくれる。持ちつ持たれつの関係だった」

「つまり、評判は悪くない。そんな男だったんだろう?」

 ベッドの上のエイクリーが尋ねると、それどころじゃない、と言うようにレズリーは肩をすくめた。

「そうだ。殺されるような男じゃない。やつが死んだ、と言うなら必ず、情報を提供してくれる人間がいるってことだ」

「と言うことはやはり、こちらの邪教の人間に殺されたんでしょうか…?」

 と、萌黄は唇を噛んだ。

「分からない。だが、チャールズはそれなりに名の通った捜査官だ。下手をすればどこかで、新聞種になってるかも知れない」

「それか、後はあいつの身体に聞いてみろってことだよな?」

 弾正が、拳を固めて立ち上がった。

「ちょっとまた殴る気?」

 シャーロットが眉をひそめると、弾正はその拳で自分の刀のこじりを叩いてみせた。

「こいつよりはましだろ」

「止めはしないさ」

 レズリーは小さく、首を振った。

「ただ、その剣であいつを殺すのだけはやめてくれよ。腐ってもピンカートンだ。そんな奴を余計に殺しちまうと、こっちの行動にまで支障が出ることになる」

「分かってら。だがよレズリ、お()ぇと行く前に、名前くらい聞いておいてもいいだろうがよ」

 弾正は萌黄に向かって、あごをしゃくった。通訳しろと言うのだ。億劫そうに萌黄は立ち上がった。

「あんまり無茶しないでくださいよ…」

「っるっせえ萌黄!」

 二人は部屋の中に消えた。それを見届けるとシャーロットは、後は関心なさそうに新聞に目を落とし、レズリーはと言うと軽く十字を切っただけで、そそくさと出掛ける準備を始めた。エイクリーが少し休もうと思って目を閉じようとすると、ガラスが割れる音がした。それから萌黄の悲鳴と怒声が響き渡ったが、もはや誰も関心を持つものはいなかった。


 チャールズ・レイボーンの訃報は、すぐに詳細が分かった。今から一週間ほど前、ここからさほど離れていない東のブームタウンの外れで駅馬車が爆破される事件があった。載っていたチャールズ・レイボーンは、地元保安官とともに容疑者の護送中だった。ダイナマイトでも投げ込まれたのか馬車は吹き飛ばされて横転、馭者(ぎょしゃ)とその保安官までが皆殺しにされた、と言うのだ。

「護送していたのは、東部でも有名な殺し屋だって話だ。現地に行けば、もっと詳しいことが判るだろう」

 と言うレズリーの案内で、萌黄たちは馬を駆った。エイワス農場から東は一面、荒野と丘だがよく晴れた日で、家財を詰め込んだ幌馬車(ほろばしゃ)や、馬の背に旅荷物ひとつ括りつけただけの単騎の旅行者ともよくすれ違う。

「で、お前たち、ピートから何か有益な情報は取れたか?」

 皮肉めいた口調で、レズリーは尋ねる。弾正はそれと察したのか、へん、と鼻を鳴らして不機嫌そうにそっぽを向いた。

「けッ、あんな唐変木、一緒にいるだけで気が滅入らア」

「口は堅いです。あれは、訓練されている人の話し方です。ただの強情な人間とは、勝手が違います」

「よく分かるな」

 萌黄の話すことにレズリーは、関心を持ったようだった。

「連中は元は特別な軍人だ。特殊任務についてた人間も多い。あんたの国にも、そんな連中が?」

「いましたよ。彼らは追い込まれると逆に、とても冷ややかな口調になります」

 萌黄はこともなく、言った。


 それは今、自分が聞かれていることを自白しようがしまいが、死は自らの目の前にある、そしてそれを当然受け入れるべきことだ、と言うことを悟りきった人間の口調だ。

「かつて我が国に、新撰組(しんせんぐみ)、と言う治安維持部隊がありました。その頭目の近藤勇(こんどういさみ)は新政府軍に捕まった時、そのようであったと言います」

 新撰組局長、近藤勇は江戸にほど近い上総(千葉)は流山で私兵を募り、反政府運動を画策していたが、捕縛され前非を(ただ)された。当時新撰組に殺害されたのは、新政府軍を構成する長州、薩摩、並びに土佐藩の活動家たちであった。

「身どもは、大久保大和(おおくぼやまと)と申す」

 近藤は最初、偽名を使った。

「ご一新にて治安に障りあり、野盗の跳梁甚(ちょうりょうはなは)だしく、自警のため、有志を募っておりました」

 結果としてこの嘘は、その場で露見した。京都で治安維持活動を行っていた頃の、近藤勇の顔を直接、知る者があったと言う。土佐藩士、谷干城(たにたてき)である。谷は近江屋で坂本龍馬が暗殺された件について近藤勇率いる新撰組を第一容疑者として疑っていたのだ。

「おまんは、大久保大和なんち名じゃなかろ。この期に及んで、偽りの申し立てはきかんがぜよッ」

 すると、近藤勇はむしろ平然として堂々と答えたと言う。

「いかにも、私は京都守護職会津中将御預新撰組局長、近藤勇」

 結果、課せられた刑は斬首、新政府反逆者として最も苛酷な惨刑であったが、板橋刑場にて、近藤勇は何一つ動ずることなく、その首を刑吏の刃に委ねた。


「死に際しても近藤さんは、一切の弁解をしなかったそうです」

「なるほど、自分の死に方は自分で決めるか」

 レズリーは、首をすくめた。

「分からなくはない。命は人間の、最後の持ち物だ。が、たとえ殺されたところで、おれたちの在り方次第で奪われないものはある」

 萌黄は頷いた。

「それが『信念(シンネン)』、と言うものでしょう。こちらの皆さんは、ふぁいす、と言うと、聞きましたが」

「Faithだな」

 萌黄の発音を、レズリーは言い直した。

「まさに、その通りだ。理解した。君たちも、ファイスを守るために海を越えて来たんだろうからな」

「へッ、メリケン語の講義はもお結構だよ」

 弾正は馬上、ふんぞり返ると彼方に向かってあごをしゃくった。

「それより、俺たちが行くのは、あそこか?なんか、貧相な街過ぎねえか?」

 弾正があごをしゃくる先、そこには見たところ数軒の建物が、まばらな雑木林に守られ、寂しそうに建っているだけだ。

「ああ、何しろここはブームタウンのなれの果てだからな」

 レズリーが言うには、かつてそこは金鉱で栄えた町だったそうな。

「この近くの谷底の川で、砂金が獲れたんだ。最初はここを開拓した牧場主ばかりだったのが、採掘業者が雪崩れ込んできて一気に街になった。まあ、それから金鉱がすぐ枯れちまったんで、今はこの通りだがな」

 表通りに到ると、レズリーは顔をしかめて廃れた街並みを見やった。人がいるとみえた建物はすでにほとんどが空き家になっていた。即席のフォールスフロント(装飾玄関)からずり落ちたサルーンの看板の古めかしさに、萌黄は思わず呆然となった。

「棄てられた街…」

 西部がゴールドラッシュに沸いた一八三〇年代は、アメリカ西部のそこかしこに急造の街が出来ては消えてを繰り返したものだと言う。街が金鉱で湧くにつれて、集まって来るのはどうしても、事情ありの流れ者になる。酒商人、芸人、娼婦まではいいとしても、ギャンブラー、詐欺師に亡命貴族、果てはギャングや強盗団などが街を食い物にしては、去って行く。そのためゴーストタウンなど、当時は珍しくもなかった。

「おいレズリ、そのぴんかとん、ってのは、そもそもこんな場所にどうして寄った?」

「チャールズにはチャールズの、何か考えがあったんだろうよ。今からそれを調べるのさ」

 レズリーは武器の用意を怠らないように言うと、立てた親指を振ってみせた。

「さあ、まずは人探しだ」


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