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第十四話 ピンカートン探偵社

 夜が明けて萌黄たちは再び、街に出ていた。朝方、さやさやと細かい雨が降ったサンフランシスコの港の空には鼠色の雲の名残が微かに残って、薄い虹が出ていた。

「おら、ぼさっとしてんなよ、萌黄」

 見惚れていた萌黄は、弾正に小突かれて不満そうに唇を尖らせた。

「分かってますよ、うるさいなあ」

「見惚れるのも、当然だ。確かに、美しい街ではあるからな」

 と微笑むエイクリーの手には、木札のついた鍵が握られている。

「だが、時間がないことも認識してもらいたい。今はこの鍵が、連中を追う唯一の手掛かりなのだからな」


 その鍵は死んだジャイルズの持ち物の中から、発見されたものだ。旅行用の雑嚢(ざつのう)の底に隠しポケットを設けてまで保管されていたそれは郵送用の封筒に包まれ、ジャイルズがこの港に上陸するまでに、船便で送られたものに相違なかった。

「貸金庫の鍵か」

 木札に数字とともに焼きつけられている刻印を読み取って、エイクリーは言った。

「そう、事情はわたしたちと同じ。遥か西から来る客に、連中もお膳立てをしていた、と言うわけ。ちょうどわたしたちが、エイクリーに船便で『黄衣の王』を送ったように」

「今はそれが唯一の手掛かり、と言うわけですね…」

 猟犬たちが吠え盛る中、萌黄は、ミ・ゴたちの遺体が跡形もなく消えていくさまを眺めつつ、つぶやいた。レズリーによれば愕くべきことに、ミ・ゴたちは死後、何らの痕跡も残さずに消滅するのだと言うのだ。

 ちょうど朝陽が、丘を覆う頃だ。萌黄は見た。横たわるミ・ゴの遺体が、胞子状の欠片を漂わせながら風に流れて急速に風化していったのを。恐ろしいことだ。これほどにおぞましい怪物に、想像を絶する目に遭わされたのに。まさにそれは在りもしえない悪夢に過ぎなかった、とでも言うように、現実からミ・ゴの遺体は、消える仕組みになっているとは。

「連中は写真にも映らない。親父もわざわざ口の堅い写真技師に撮らせてみたが、ダメだった。ミ・ゴに襲われた人間が、嘘つき扱いされる由縁さ。おれたちに唯一出来ることは、個体の記録とスケッチを残すことくらいなんだよ」

 レズリーが父親から受け継いで書き続けている記録には、ミ・ゴの出現日時、場所、そして個体の大きさや数、死体から判別できる特徴や発見された習性などが事細かに記されていた。

 遺体が朝陽に紛れて消えてしまう前に、レズリーは詳細な記録をそれに取った。さらにはシャーロットが傷ついた個体ごとにスケッチを描き、弾丸の当たり所から、死亡までの時間などを書き添え、彼らの弱点を探る検死報告書に仕立て上げた。

「連中も、我々や牛たちと同じだ。詰まるところ、ただの生き物に過ぎない」

「習性を知れば、(おそ)るるに至らず、と言うことか?」

 皮肉げに苦笑したエイクリーに、レズリーは同じ笑みを返す。

「親父を喰い殺されてるんだ。そうとでも思わなきゃ、連中とは戦えない」


 そんなミ・ゴの襲来は月のない晩が多いと言う。

 だがレズリーとシャーロットは、油断はしない。そのため二人は、うかつに農場を離れられない、と言うのだ。


「ミ・ゴ同様、おれたちを追跡してくる新知覚能力者(ドアーズ)たちも、得体が知れないな」

 貸金庫の鍵を手の中で弄びながら、エイクリーは独りごちた。

「不思議なことにおれは、ミ・ゴの方がまだ生物としては親近感が出てきたよ」

 エイクリーは皮肉めかしたが、萌黄はあながち間違った認識ではないと思った。ミ・ゴも恐ろしいが、ドアーズたちの異能は、さらに得体が知れない。

 自殺したクリス・ジャイルズの能力は、今ここに在るはずの現実の認識を、覆すほどの事態を引き起こした。血と肉を備えた人間が雨水のように染みになって、壁や床に潜むなんて、誰が想像しえるだろうか。

 思わず萌黄の背に、ひやりとしたものが走った。

 新知覚能力者(ドアーズ)と言う概念そのものを知らなければ、自分たちは人知れず、ジャイルズに暗殺されていたに違いない。

(ドアーズたちに命を狙われる限り、わたしたちは自分の常識をこそ、疑わなくてはならない)

 今の自分の知覚を疑い、認識を改変し続けること。

 生き残るには、これしかないのだ。

「いい心がけだ。おれも見習うことにするよ。自分でも知らないうちに、殺されたくなんてないからな」

 エイクリーは皮肉でもなく、萌黄の意見に賛同した。

「当然、クリスと接触するはずの相手も、ドアーズだろう。そいつはすでにおれたちの動きを捉えていて、巧妙に待ち伏せしている。そう備えても何の損もない」

 貸金庫の鍵は、鉄道駅にほど近い小さな銀行のものだった。萌黄たちが銀行の看板を見つけて通りかかると、それを遮るように不吉な気配を孕んだ馬車が横切った。

「ちっ、なんだよありゃあ」

 弾正が眉をひそめたのも、無理はなかった。粗末な荷台には、遺体が山と積まれていたからだ。棺もなく放り出された遺体は、(ほろ)を被せられただけ、靴を履いたままの足が放り出されている。

「列車強盗にでも、襲われたんじゃないかな」

 エイクリーは呑気そうに、肩をすくめた。

「あんな小さな子まで…ひどいです」

 殺された中には、幼い子供たちもいたのだ。両手を組んだままの遺体が通り過ぎると、萌黄はいたたまれなさそうに顔を背けた。無数の蠅の羽音に包まれ、まだ甘酸っぱい血の匂いを放つ遺体たちは、駅広場の隣にある保安官事務所へと運ばれて行く。

「ひどいとか、言ってる場合かよ。明日は我が身って奴だなもえもえ」

「だっ、だからっ!もえもえとか、言わないで下さいよ!て言うか、子供扱いしないで下さい!」

「へへッ、じゃあよ萌黄」

 いきり立つ萌黄の鼻先に、弾正は貸金庫の鍵をぶら下げた。

「お前がこいつで貸金庫の中の荷物を取って来れるな?もう追手に待ち伏せされてるかも知れねえけどなあ」

 銀行の入口は閉店こそしていなかったが、ひと気がなく閑散としていた。街の人たちの注目はむしろ、今運び込まれた死体の荷馬車にあるようだ。

「なるほど、今はむしろちょうどいいかもな。どいつもこいつも、悲惨な死体にご執心のようだ」

 エイクリーは自分の銃を取り出すと、すぐに発射できる用意をした。

「おれとこいつで見張っててやるよ」

 弾正は腰の日本刀の柄を拳で叩くと、挑発的な笑みを浮かべた。

「一人でお使い出来るよな?」

「だから、子供扱いしないでくださいって言ってるじゃないですか!」

 萌黄は弾正が鼻先にぶら下げた鍵を、奪い取るように引っ手繰った。

「やってやるです!」

「その意気だ。連中が現われたら、おれらで合図する。そしたらお前はとにかく、荷物を回収して逃げろ。最悪でもその鍵は失くすんじゃねえぜ、分かったな?」

「言われるまでもないです!先輩こそ、こんなところで死なないでくださいよ!?」

「あンだあ、萌黄!?」

 エイクリーは、また喧嘩になりそうな二人に釘を指した。

「落ち合うのは、ダブリンの店だ。もし街中で騒ぎになったら、ほとぼりが冷めてから戻ってくるのを忘れるな」

 エイクリーと弾正は、表通りを見渡せる配置についた。ここなら左右、誰が乗り込んできても、対応できる。

「行け」

 誰も近づいてこないことを確認したエイクリーは目線で合図をした。ちなみに実は萌黄は、本では知っていたが銀行に行くのは、これが生まれて初めてだった。

(こっ、これが銀行(バンコ)…)

 旧き江戸の街で言えば、両替商(りょうがえしょう)と言ったところだ。萌黄の頭の中では本で読んだ知識が目まぐるしく頭を巡っていたが、畳敷きの両替商と違い、頑丈な木製の格子でカウンターが囲われたそこは、どちらかと言えば、小伝馬町(こでんまちょう)の牢屋敷に近かった。

「ぷっ、頭取(プレジデント)は、いらっしゃいますかあっ!?」

 いきなり総責任者を呼んだ萌黄に、行員たちが目を丸くしたのも無理はなかった。


「クリストファー・ジャイルズ様、F223番。はい、お預かりしておりますよ」

 応対に出た老眼鏡の行員はその青い眼で、怪訝そうに萌黄を見上げた。

「ご本人さま…ではないようですが」

「うぐっ」

 弾正の人選ミスである。もしこれが上海から来たばかりのエイクリーであったなら、ジャイルズ本人で通ったに違いない。

「だっ、代理です!て言うかあっ、ジャイルズ氏は我々日本政府から頼まれていた荷物を送ったんです。何か文句がありますか!?わっ、わたしは日本の武官ですよ!?これ以上何か言うと、こっ、こっ、国際問題にしますから!」

 萌黄の怒涛の英語力とはったりで、ここは強引に乗り切った。

「二人とも、運ぶのを手伝って下さい」

 出てきた萌黄は、奇妙なことを言った。

「あん?手ぶらじゃねえか、お前」

 怪訝そうな弾正に、萌黄は貸金庫の鍵をじゃらつかせてみせた。

「これ、ここの貸金庫の鍵じゃないです」


 三十分後、萌黄たちがダブリン酒場の裏手に運び込んだのは、運搬用にしつらえられた特製の金庫だ。

「ちょうど昨日の晩、列車で到着したんですよ」

 緑色に塗られた頑丈そうな金庫は、強盗に備えてのものだ。箱の側面にあるロゴは、業界最王手の『ウェールズ・ファーゴ社』だ。この会社の運搬用金庫は、サンフランシスコの職人によって造られ、十一キロもの重量を誇る特注品だったのだ。

「開けてみろ」

 萌黄は言われるままに、ジャイルズの鍵を充てた。箱は重たそうな音を立てて開き、中からはあらゆる着替えや酒、缶詰などを主にした夥しい旅荷物と、ダイナマイト、そして銃器用の弾薬の宝庫だった。

「長旅を予定していたようだな」

 エイクリーは片頬を歪めると、無造作に荷物の中身をそこに放り出した。中には粗末な封筒が放り込まれており、路銀に使え、と言うことか、メモとともにまとまった額の紙幣が飛び出してきた。

「当座の現金…そして、金が無くなったら、実費の領収証を持ってサンフランシスコ市内の銀行を訪ねろ、と書いてあるな」

「へッ、至れり尽くせりってわけか」

 弾正は、空になった金庫を足蹴にした。

「そうまでして、おれらを仕留めようって連中はそもそも何者だ?」

「資本は鉄道会社だろうな。そして、ジャイルズもその関係者だ。みろ、厄介な身分証が出てきたぞ」

 とエイクリーは皮肉そうに頬を歪めると、真ん中に星の印が刻まれた印章を二人に魅せた。

「ピンカートン|探偵社《ナショナル・ディテクティヴ・エージェンシー》…?」

 萌黄は眉をひそめた。

「知らないのも無理はない。だが、陸軍より恐ろしい組織だぞ」

 一八五〇年代、頭角を表わしてきたアラン・ピンカートンが設立した北アメリカ警備会社が前身とされる。最盛期にはアメリカ陸軍を上回る人員を動かしたとされるピンカートンは、エイブラハム・リンカーンの暗殺を未然に防いだことで、一躍名を挙げた。FBI(連邦捜査局)に先駆けて、アメリカ全土に広域捜査網を持った、世界有数の探偵・警備会社の代表格である。

社員(エージェント)は、南軍の兵士崩れが多いんだ。ジャイルズもそうだった。だが、このバッジは別人のもののようだ。恐らく誰かを殺して奪い取ることで、ジャイルズにそいつにとって替わらせようとしたんだ」

 バッジには、血がついていた。巧妙に拭き取られたらしいその痕を、エイクリーの目は見逃しはしなかった。

「あっ、あれ!まさか…!?」

 するとふいに、萌黄が叫ぶように警告の声を上げた。エイワス農場の丘の小高い向こうだ。昼日中、誰もいないはずの丘の上に、血まみれの男が立っていたのだ。

「ジャッ、ジャイルズ…?」

 こめかみから血を流した男は、切り取られた腕の跡を誇示してみせた。死んだはずのジャイルズに見えた。だがあの男は、自分で頭を撃ち抜いたのだ。彼が確かに死んだことは、遺体を埋葬した萌黄たちこそが、よく知っていることだ。

「あンの野郎!化けて出てきやアがったか」

 弾正が、柄に手をかけたときだ。死んだはずのジャイルズの横に、もう一人、男が立ったのだ。その男は手にした古新聞を、こちらに掲げて見せていた。

「列車強盗を始末したのは、お前らだな?」

 ジャイルズの横で男は怒鳴りつけると、腰に挿した銃を引き抜いた。

「大人しくしろ。お前たちは、完全に包囲されている」


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