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乳ワールド-異世界降誕ノ章-  作者: 茅原
女神降誕ノ章
9/61

VSシエロ。その3(りんご視点)

 りんごは思わずゾッとしながら、夕陽を反射し輝く川に向かって叫ぶ。


「勇登! 勇登ーっ!」


 しかし、反応はない。


 橋のたもとから坂を駆け下り、息を呑みながらだだっ広い河川敷を見渡す。と、

「ぐゥッ……!?」


 不意に背後から腕が現れ、りんごの首を羽交い締めにした。同時、首筋にかすりそうなほど近くまで、鋭いナイフが突きつけられる。


「よく戻ってきてくれましたね、新原さん。感謝しますよ」

「っ……! あんた……!」


 まるで男のような力で喉に食い込もうとする腕を、りんごはどうにかわずかに引き剥がす。シエロが、諭すように優しい声で言う。


「さあ、富士岡勇登、大人しく出て来てくださいよ。見ているのでしょう? まさかあなたが、この子を見捨てるはずがありませんよねえ」


 その言葉が終えらぬうちに、傍の鉄橋の裏側から、何かがドサリと落ちてきた。それは郵便ポストに変装した勇登――ではなく、制服姿の勇登だった。


 勇登は夕陽に目を眇めながら苦い顔で言う。


「待ってくれ。りんごは何も悪くない。俺に無理やり共犯者にされた、単なる被害者だ。第一、俺に協力をするという一言さえまだ口にしていない」

「だからなんだと言うのです? 無理やり引き込まれた被害者であったとしても、充分おっぱい法違反で罪に問えるのです。

 それに、別にそんなことは大した問題じゃないでしょう? 生きている価値もない貧乳、『下等乳民』なのですから、別に一人や二人余計に殺したって、私は取り立ててなんの罪にも問われないのですよ」

「…………」


『貧乳は奴隷のようなもの』


乳ワールドにおける貧乳への認識は、実際、それが一般的なのである。だから、おそらくシエロの言葉はハッタリではない。例え自分が殺されようと、それが何か問題になるはずもないのだった。


「おっぱい法? そんなものは関係ない。法が許そうと、俺だけは絶対に許さない」


ただ視線を落とすことしかできずにいたりんごのほうへと、勇登がその足を踏み出す。

「りんごはこの腐った世界に残された希望だ。絶対に死なせはしない。俺が死ぬことになろうとも、りんごだけは絶対に死なせない」

「勇登……」

「りんご、お願いだ。今から俺が言うことに全て従ってくれ」

「と、止まりなさい、富士岡勇登! こちらへ近づかないでください!」


 シエロは後ずさりながらそう怒鳴るが、勇登は構わずに続ける。


「よほどの上級者でない限り、エアパイツを出すには特殊な儀式が必要になる。その儀式を、『乳拝み』と言う」

「ち、乳拝み……?」

「乳を左右の手で身体の中央へと寄せて、いわば乳で神参りをするんだ。だが、何も本当に祈祷をしろなどと言っているのではない。そうすることで、勢いよく乳から乳気が――ヴァイスが噴出されるんだ」

「で、でも、あたしはおっぱいを寄せることなんて……!」

「お、おい、待て、お前たち――」

「寄せて谷間を作る必要などない。ただひたすら寄せろ、限界まで寄せろ。それから、君が守りたい人のことを思うんだ。それだけでいい。それだけで、君は必ず力を得る」


今更悩む必要も、悩む暇もない。りんごは一も二もなく、ちぎれても構わないという勢いで自らの小さな胸を身体の真ん中へと寄せ、強く願った。


 ――勇登っ……!


 胸の痛みに目を歪めながら、りんごはこの苦痛を共に味わってくれているような表情でこちらを見守ってくれている勇登を見つめた。すると、その時だった。


 目の前でカメラのフラッシュが焚かれたかのように、視界が真っ白な輝きに包まれた。目を刺すようなその輝きの中に、シエロの呻き声が混ざる。


「……?」


 思わず閉じていた目を開き、いつの間にか解放されている自らの首に、なんの気なしに手を触れて、気づく。


「え? これって……?」

「バ、バカなっ! こんな貧乳が……!?」


背後の二メートルは離れた位置で尻餅をついているシエロが、目を剥いてこちらを見ている。が、りんごの正面に立つ勇登は、鷹揚に腕を組んで微笑んでいた。


「美しい、打撃・パワー型のエアパイツだ。そうだな……。ドイツ語で『怒り』を意味する言葉の『エルガー』、そうとでも名づけようか」

「打撃・パワー型……?」


 愕然としながら、りんごは自らの腕と手の甲を覆うようにして現れた白銀の装甲を見下ろす。


全体が銀色に輝く金属で形作られた装甲。それがセーラー服やその下の素肌と溶け合うように融合している。肘の手前から指の一本一本までが、分厚い金属に覆われているが、にも拘わらず紙一枚分の重さも感じない。


 それは、さながら白銀で作られた龍の腕だった。その禍々しい自らの腕の形態に、りんごは思わず狼狽する。


「ど、どうしてさ、勇登!? エアパイツは、自分の意志の象徴なんじゃないの!?」

「そうだと聞いている」

「じゃ、じゃあ、なんで……? 違うよ! あたしがほしかった力は、こんなのじゃない!もっとみんなを守れる力が……人を傷つけないエアパイツがほしいの!」


 勇登に八つ当たりをするようにそう叫ぶと、腕を覆うエアパイツの姿がわずかにすぅっと透きとおり、セーラー服の白い布地が見えた。


「お、落ち着け、りんご! 意志を強く持て! エアパイツが消えてしまう!」


 と、慌てた様子で駆け寄って来る勇登の姿を見て噴き出すように笑いながら、シエロが立ち上がってスーツについた土を払った。


「ふっ。新原さん、あなたのような貧乳がエアパイツを出すとは実際驚きましたが、やはりその程度ですか。まあ、当然ですがね」

「りんご、落ち着け。力はあくまで力なんだ。人を傷つけるのか、守るのか、それは全て使い方次第だ。違うか?」

「違う! そんなの結局は同じじゃない!」

「ッゥぐおおっ!?」


 ドン、と軽く勇登の胸を押し退けた瞬間だった。


 まるで凄まじい突風に吹き飛ばされたかのような勢いで、勇登が吹き飛んでいった。急な坂を転げ落ちるように、砂埃を巻き上げながらゴロゴロと十メートルは後ろへ転がり、やがて尻を空に向けながら動かなくなる。


「え? ち、ちが……あたしはこんなことするつもりじゃ……! ぼ、暴力なんて……!」

「これは暴力じゃない!」


と、勇登はバネのように起き上がり、全身砂まみれの姿で駆け寄ってくる。


「なぜなら、現に今、お前は敵に襲われているんだ。そんなお前が自分自身を守って何が悪い? それは暴力じゃないだろう、正当防衛だ。今のだって、ただ自分の力を知らなかっただけだろう?」

「知らなかっただけ……。正当、防衛……?」


 正当防衛。


 その言葉に、ふっと、身体の芯を貫いていた緊張が和らぐ。そうだと頷く勇登に、問いかける。


「つまり……あたしは戦ってもいいってこと? 自分と、それにあんたの身を守るために……」

「そうだ。今ここで俺たちの命を守れるのは、りんご、お前だけだ。お前がやるしかないんだ」

「あたしが……あたしがやるしかない、正当防衛……暴力じゃない……」


 消えかけていた鉄甲の輝きが、再び眩いばかりに戻る。龍の爪のように鋭くなっている自らの指が、恐る恐ると、しかし力強く拳を作る。

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