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乳ワールド-異世界降誕ノ章-  作者: 茅原
異世界降誕ノ章
53/61

ジレの森。part2

 少し身を屈めて進むと、開けた場所になっている前方にぼんやりと明かりが見えた。それに、先程からわずかに感じていた焦げ臭いようなニオイが段々と濃くなり、温かな空気が頬に触れ始める。


「ここは……」

 

 通路を抜けて頭を上げると、そこは意外なほど広い空間だった。部屋の中央の一段低い場所には炉があり、岩壁の所々には通路らしい穴がぽつぽつとある。どうやら、ここは獣の巣穴などではなく人の住んでいる家で、その居間のような場所らしい。 


 しかし、炉には赤々と熱を灯す炭が置かれており、その熱で洞穴の中はほどよく暖まっている。どう見ても、長い間、空けていた隠れ家のようには見えない。


 そう戸惑っていると、ダインは勝手知った様子で通路の一つへと入って行きながら、


「そこへ座って寛ぐがよい。なに、安心せい、ここはシャルナクの家じゃ」

「それって、さっきの……? か、勝手に入っちゃってよかったんですか?」

 

 勇登に続いて部屋に入ったリラが、怯えるように背後を見ながら尋ねる。


「何も問題はない。いつものことじゃ」

 

 ダインは、キノコが山のように盛られたザルとフライパンを持って戻ってきて、炉端に座ると、早速、炉を使って料理をし始めた。

 

 すると、今しがたダインが入って行った部屋のほうから、井戸の上から響いてくるような人の声が聞こえた。


「ダイン、ソイツラハ……」

「この男はわしの弟子で、お嬢さんはその弟子の弟子じゃ」

 

 ダインはフライパンにキノコをどさりと移しながら、


「そんな所にいないで、お前も入ってくるがいい。わしが久しぶりに料理を作ってやろう」

 

 そう言うが、返事はない。やがてダインは寂しげに笑いながら肩越しにこちらを見て、


「どうやらどこかへ行ってしまったようじゃ。久しぶりに会った師匠を置いて行くなど、無礼なやつじゃ」

 

 人の家に無断で入って料理をし始めるのもどうかと思うが、それを憎めないような雰囲気がこの人にはある。そう思いつつ、勇登もリラを伴って炉端に腰を下ろす。


「しかし、よかったのでしょうか。彼はおそらく、僕たちがいるから遠慮をして……」

「気にするでない。あれは狩りなどをするために、ここ以外にも多くの身を隠す場所を持っておる。一晩くらい、どうということもなかろう」

「もしかしたら、わたしのせいでしょうか。さっき会った時も、なんだかわたしを見て驚いていたみたいだったし……」

「ふっ、それも気にすることではない。ドワーフというのは元来が恥ずかしがり屋でな、わしのような老人にさえ、最初に会った時はろくに口も利こうとせんかったわ。

 ところで、お嬢さん、さっきわしが入っていった部屋に皿が置いてあるから、それをいくつか持って来てはくれんだろうか。それから、ついでに酒と杯もな」

「あ、はい、解りました!」

 

 食事運びの仕事をしていたクセだろうか、リラは慌てた様子で立ち上がると、ぺこりと頭を下げてから部屋へと駆け込んでいった。

 

 そうして、やがて洞穴の中にはキノコが焼ける香ばしい匂いが満ち、三枚の皿にそれが山のように盛られると、炉を囲んでの暖かな食事の席が始まった。

 

 城の牢で出された食事を食べる暇もなくここへ来たせいで、随分と腹が減っていた。キノコはただ焼かれただけのものだったが、香りが強く、肉厚で、美味だった。しかしそれにしても、やはりキノコのみというのは味気がない。そう思っていると、


「あ、ユートさん、これ、どうぞ。わたしのチーズです」

 

 と、リラがメイド服のポケットからハンカチを出し、それにくるまれていたチーズを勇登の皿に載せた。


「リラさんの、チーズ……!?」

「はい、そうですよ?」

 

 リラはきょとと当然のように言う。勇登はそんなリラの顔と皿の上のチーズを、愕然と交互に見て、


「そ、それはつまり、このチーズはリラさんのミルクで作ったという……!?」

「え? ちっ、違いますよっ! さっき、お城でお渡ししたチーズです! わたし、まだミルクなんて出ませんからっ!」

「あ、ああ……そ、そういうことでしたか。失礼しました」

「さあ、二人も乳の話ばかりしとらんで、今はとにかく酒を飲もうではないか」

 

 ダインはワインらしき赤紫色の酒を一杯、グイッと飲み干してから、白いガラス瓶の口をこちらへ向ける。


「いいえ、僕は結構です。まだそれを飲めるような年齢ではありませんので」

「そう固いことを言うな。明日から始まる修行に向けての景気づけじゃ」

「はあ……」

 

 仕方なく金属製のコップを差し出すと、ダインはなみなみとそれに酒を注ぐ。続いて、腕を伸ばしてリラにも瓶を向け、


「そなたも飲むがいい。酒を飲んだことはあるか?」

「いえ、一度も……。というか、勝手に飲んじゃっていいのでしょうか……?」

「構わん構わん。あやつはもう、わしが勝手に飲み食いしていくことにも慣れておるからの。さあ、遠慮せずに飲め」

「じゃあ、ちょっとだけ……」

 

 とリラは手を伸ばし、コップに酒を受ける。


「よし、では改めて乾杯じゃ」

 

 と、ダインの一声で杯を交わし、二人はぐいっとそれを呷る。自分はまだ酒を楽しめる年齢ではないし、それに万が一の時に備えて、軽く口をつけ飲んだフリをしてやり過ごす。


「ほう。そなた、飲めるな」


 ダインが満足げに笑って、既に空になっているリラのコップに再び酒を注ぐ。リラはその長く尖った耳を早くもほんのりと朱くしながら、


「初めて飲みましたけど、嫌いじゃないかもしれません。というか、すごく美味しいです。少し酸っぱいですけど、さっぱりしてて」

「そうかそうか。では、好きなだけ飲むがいい」

「あ、ダインさん、わたしもお注ぎします」

 

 二人、勇登の前に手を伸ばし合って酒を酌み交わし、再び乾杯をして、勢いよくコップを空にする。

 

 暖かさと賑やかな笑い声が空間を満たし、勇登も思わず心を緩ませる。しかしそれでいて、胸の奥底は森を包む夜気のように冷たく静かだった。

 

 頬を染めながら微笑するリラを見ていると、半ば城に捕らわれているりんごと翠花が自然と思い浮かび、やりきれない。

 

 ――りんご、翠花さん……俺は必ず、元の世界に帰るための手がかりを掴んで戻る。どうか、それまで待っていてくれ。

 

 胸の裡で呟き、明日からの修行に備えてキノコとチーズを全て平らげてから、勇登はダインに尋ねた。


「ダインさん、魔法というものについて、少し話をしていただけないでしょうか」

「魔法? それは明日からでもよかろう。今は――」

「はい、本格的な講義は明日からであるとしても、その前に、せめて予備知識程度のことくらいは知っておきたいのです。何せ、僕がいた世界には魔法など存在していなかったので、それがどういう仕組みのものなのか、僕はこの世界の赤子より何も知りません」

「ふむ……」

 

 禿頭をタコのようにすっかり赤くしたダインは、コップを足元に置き、長い髭をゆっくりとさすりながら、


「魔法とは、言わば精霊の力を借りることじゃ」

「精霊?」

「うむ。この世に存在する万物は、その全てが精霊の力により生み出されたものじゃ。木は木の精霊が、石は石の精霊が、風は風の精霊が……といったふうにな」

「それは……一体どうやって?」

「精霊たちは、ルーナ・レピドゥスから与えられる『根源なる力』――『エーテル』をその内に取り込み、そしてこの世界にあらゆる現象を起こしている。言わば、精霊たちはエーテルを食し、糞をしておるのだ。その糞こそがこの岩であり、火であり、キノコであり――

 おっと、女性の前で汚い表現をしてしまったの。しかも、このような食事の時に」

「いえ、どうぞわたしには構わず……」

 

 居心地悪そうに苦笑しながら、リラは自らで自らのコップにとくとくと酒を注ぐ。ダインは話を続ける。


「魔法とはつまり、精霊に働きかけ、こちらの意図に即した現象を起こしてもらうこと……。簡単に言えば、それだけのことじゃ」

「……なるほど」

 

 言うは易く行うは難し、ということだろう。胃が引き締まるような不安を覚えつつ、ふと気になって尋ねる。


「ところで、ダインさんは『尻の波動』という言葉をご存知ですか」

「尻の波動?」

「はい、シリウスという騎士が、そう呼ぶ不思議な力を使っていたのです。どのようにしてかは解りませんが、女性の尻に激しい振動を起こし、その尻から剣を取り出していました。あれもおそらく、魔法の類なのではないかと……」

「ふむ、『振動』か……。『振動』……それは、ひょっとすると――」

「あははははははははっ!」

 

 ゴッバリーン! 

 

 鈍い音と同時、ガラスの砕け散る音が耳を貫いた。

 

 何が起きたのか、一瞬、勇登には解らなかった。

 

 すぐ目の前を酒瓶がビュンと過ぎ去ったと思うと、それはやや俯いていたダインの側頭部に直撃。ダインは砕け散るガラスと共に向こう側へと倒れ、洞穴内にはリラの高笑いが響き渡った。


 その高笑いの中、勇登がしばし呆然としていると、


「おぉい、何シケたツラしてんのよぉ」

 

 背後に立っていたリラが、割れた酒瓶を放り投げながらドカリと隣に腰を下ろした。その豊満な胸を押しつけるように肩を組んできながら、


「お前もちゃんと飲めよ。飲んだふりしてうって、ちゃんとあらひは知ってんらぞぉ!」

「ぅごっ!」

 

 蓋を開けていない新しい酒瓶を、リラが問答無用で勇登の口に突っ込んでくる。


「ろうらぁ? 美味しいれしょ? それとも、あんたはわらひのおっぱいがいいのかなぁ? はい、ろうぞぉ、いっぱい飲んで大きくなりなちゃいねぇ」

「リラさん、お、落ち着いてください」

 

 今度は口元に胸を押しつけてくるリラをどうにか離す――と、


「すー……」

 

 カクンと頭が落ち、酒のニオイがする寝息が勇登の鼻にかかる。


「…………」

 

 勇登の肩を枕にしながら、リラはぐたりとこちらに身を任せて眠りに落ちた……かと思うと、不意に勇登の胸元を掴み、目は瞑ったまま、言ったのだった。


「寂しい……寂しいんです……。わたし、一人ぼっちだから……」


 だらりと腕を下ろし、再び穏やかな寝息を立てる。

 

 寂しい――

 

 リラが寝言で漏らしたその言葉に、勇登は今までの驚きも忘れて、思わずしんみりしてしまう。

 

 父に捨てられ、母を亡くして、天涯孤独であるリラの本音……。

 

 リラが職を捨ててまで自分にについてきてくれた理由の一つが解ってしまったような、上手くまとまらない複雑な気持ちで、ともかくリラを横たわらせ、その身体に自分の上着をかけた。


 ダインは倒れ込んだそのまま、ガラスのかけらにまみれながら眠っている、もとい気絶している。

 

 おそらくリラの寝言を聞いてしまったのは自分だけだろう。そう安心しながらダインの周りに散らばっている割れた瓶を集め、洞穴の外の地中に埋めると、勇登もまた疲れた身体を炉端に横たえる。

 

 何も見なかった、聞かなかった。そういうことにして、明日からの修行に備え、今は眠っておくことにしたのだった。

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