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乳ワールド-異世界降誕ノ章-  作者: 茅原
異世界降誕ノ章
52/61

ジレの森。part1

「なるほど……ここは確かに、修行に適した場所です」

 

 光のゲートをくぐって出たのは、鬱蒼とした森の中であった。

 

 辺りには人の気配を感じさせるものは何ひとつなく、周囲の木々の間には誰かがじっと息を潜めているような不気味な闇ばかりがある。


 しかし、自分たちが踏み入れたこの場所はわずかながら開けた場所になっていて、夜空に浮かぶ二つの月明かりが周囲に落ち、足元の草を淡く白く照らし出している。


「ここ、どこですか……?」

 

 リラが隣へと歩いてきて、勇登の服の肩あたりを心細そうに掴む。


「うーむ……」

 

 ダインは光のゲートを消し、それから暢気な表情で唸った。禿頭をさすりながら辺りを見て、


「はて、どこじゃろうなぁ」

「来る場所を間違えたのですか?」

「いや、これは魔法障壁のせいじゃろう。城の周囲には魔力を遮断する壁のようなものが張られておるのじゃが、どうやらそのせいで狂いが生まれてしまったらしい」

「なるほど……」

「しかし、こういう偶然もまた一興というものじゃ。そなたが言うところの『導かれた』と考えようではないか」

「案外、実際にそうなのかもしれません。ですが、ここは一体――」

「しっ、ユートさん、何か聞こえます」


 唐突にリラが言い、勇登とダインは弾かれたような勢いで身構える。互いに背を預けるようにしながらリラを挟み、周囲に警戒を張る。


 リラに言われるまで気づかなかったが、確かに、ほんの微かではあったが、静寂に草を踏むような音が混じった。ダインの様子からしても、どうやら聞き間違いではない。


「エルフの聴力は人並み外れているとは言え……わしも衰えたものじゃ。これほど囲まれるまで、全く気づけぬとは……」

 

 闇の中から一匹、五匹、十匹……それ以上の数の大きな狼が、ほとんど音もなく月光の下へ進み出てくる。その身体は大型犬より二回り以上も大きく、銀色の毛はよく研がれた刃物のように鋭く光り、逆立っていた。

 

 勇登はその手にゴールデンバットを生じさせる。が、これだけでリラを守れる自信も、この場から生きて逃れる自信もない。ならば、


「ダインさん、僕は何をすべきですか。あなたのサポートに回ります」

「なに、たかがこれしき、虫に囲まれているようなもの……と言いたいところなのじゃが、この数のフェンリルが相手となると、正直、簡単に追い払えるとは言えん。もう一度、スピリット・パスを使うのが最善の手かもしれんの」

「ならば、僕が時間稼ぎをします。できて五秒……いや、三秒ほどかもしれませんが」

「ふむ、それだけあれば充分――」

 

 オォォォーーーーーーーーーーン…………。

 

 突然、一つの遠吠えがどこか近くから響いてきた。

 

 すると、全方位からゆっくりとこちらへと迫ってきていたフェンリルたちがピタリと足を止め、夜空を仰ぎ見る。そして、どこからともなく響いた声に応えるように、一斉に遠吠えを上げ始めた。


「も、もしかして、仲間を呼んでるんじゃ……?」

 

 かもしれない。リラの言葉に勇登はゴクリと空唾を飲んだがしかし、フェンリルたちは何か指示を受け取ったようにパタリと遠吠えをやめると、あっさりと闇の中へ退いていった。

 

 ――一体、何が……?

 

 ゴールデンバットを降ろすのも忘れて呆然と立ち尽くしていると、ダインが呟いた。


「今の声は、ひょっとすると……」

 

 ガサリと、右手の木々の中から明らかな足音が聞こえた。それは草や落ちている木の枝を蹴飛ばすようにズンズンとこちらへと近づいてきて、やがてその主が姿を現した。


「シャルナク、やはりそなたか」

 

 シャルナク――ダインがそう名を呼んだのは、小柄な、しかし筋骨隆々とした逞しい男である。煤で汚れたような半袖の上着に、黒っぽいズボン、長靴のような靴を履き、手には革製らしい大きな手袋を嵌めている。

 

 シャルナクは口元を覆う深い髭をもごもごと動かしながらダインに小さく頭を下げ、それから挑むような目つきでこちらを見た。

 

 が、その視線がリラを捉えると、どうしたのだろうか、まるで爆竹でも投げつけられたようにビクリと跳び上がって、転がるように森の中へと逃げて行ってしまった。


「知り合いですか?」

 

 ゴールデンバットを手から消しながら問うと、ダインもまた肩から力を抜きながら、


「あれはドワーフ族の若者で、そしてわしの弟子の一人じゃ。そうか、あれがいるということは……ここはジレの森か」

「ジレの森? そんなに遠くまで来ちゃったんですか? こんなに一瞬で……」

「うむ。となると、これは本当に『導かれた』のやもしれぬな。何せここは、ルーナ・レピドゥスが初めて地上に降り立ったと伝えられている地の一つ……そこへ偶然に来てしまうとは、何か運命の力のようなものを感じるわい」

 

 ジレの森? ルーナ・レピドゥス? なんのことかと勇登が戸惑っていると、


「ルーナ・レピドゥスというのは、この世界の女神様のお名前です」


 月光にその金色の髪を輝かせながら、リラが優しく微笑む。


「この世のあらゆる叡智の根源にして、生きとし生けるものの母……。この世界では女神の姿で描かれていますが、本来の姿は一本の大樹であると言われていて、わたしたちにとっては全てであるこの世界は、その木になっている一つの実に過ぎないそうです」

「ほう。お嬢さん、中々くわしいではないか」

「母から教えられたんです。ほとんどお伽噺程度ですけど……このジレの森についても少しだけ聞かされたことがあります。確か、この世界を訪れたルーナ・レピドゥスが、綺麗な水を気に入ってこの森に降り立ち、水浴びをして楽しんだと……」

「いかにも。そしてその伝説の通り、ここは水の清い、よい土地じゃ。それゆえに、フェンリルも多く棲んでおるがな」

 

 先程の危機など既に忘れたようにダインはニヤリと笑み、どこかへと向かって歩き始める。その三歩ほど先に白い小さな魔法の光を浮かべながら、家の近所を散歩でもしているようにのんびりと木々の間を進んでいく。

 

 白い月光が所々から漏れ差した、肌寒い静かな森……。

 

 その中を進むことしばし、やがて前方に岩壁が見えた。その岩壁には人ひとりが通れるくらいの小さな裂け目があり、ダインはその中へと何も言わずに入っていく。


 ここもまた、ダインの隠れ家の一つなのだろうか。リラと目を見交わしてから、勇登はダインに続いて洞穴へと入る。

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