牢の女神。part3
「わしに?」
「はい、どうか僕に力を貸していただけないでしょうか」
「力を貸す、とは?」
「僕は強くならねばなりません。そのために、是非あなたのご教示をいただきたいのです」
「なぜわしがそのようなことを? わしはただの老いぼれじゃが……」
「そうは思えません。その身のこなし、目の輝き……あなたは間違いなく、ただならぬ力をお持ちの方だ」
「え……あれ?」
と、リラ。
「今、ユートさん、そのお爺さんのこと、『ダインさん』って……?」
「ええ、呼びましたが……?」
「や、やっぱり!」
と、リラはその胸をたゆんと揺らしながら背筋を伸ばし、
「じゃあ、そのお爺さん――じゃなくて、えと……その方は、『遊仙のダイン』さんですっ」
「遊仙のダイン……?」
「は、はいっ、わたしは、その……頭がよくないので、詳しいことは知りませんけど、そんなわたしでもお名前は知ってます。『五賢人』のお一人で……『世界最高の魔術師』というふうにも……」
「そんなものは、どこぞの誰かが勝手につけた呼び名に過ぎぬ。わしはただこの年まで浮き草の人生を歩んできたに過ぎぬよ」
と、ダインは笑みも浮かべず、どこか自嘲的な笑みを浮かべて言う。しかし、やはり見込み違いではなかった。
「だとしても、そのお力が世に広く知れ渡るほどのものであることは事実なのでしょう。どうか、僕にこの世界における力についての知識をお与えください」
勇登が深く頭を下げると、ダインはしばし間を置いてから、重く口を開いた。
「そなた、今、齢はいくつなのだ?」
「十六です。――まさか、学び始めるには既に遅すぎると……」
「ふっ。いや、そのようなことはない。何せ、このわしも魔法を習い始めたのは十六の時じゃ。それに、何ごとも始めるにあたって遅すぎるということはない」
「では――」
「しかし、そなたらの様子を見るに、どうやら時間はなさそうじゃの。短期間にあらゆることを詰め込む、そなたにとっては体験したこともない辛い日々となるじゃろう。それでもよいのか?」
「お言葉ながら、僕は物事が困難であるほど心が奮える人間なのです。なので、そのような心配は全くの無用です」
断言すると、ダインはその目に楽しげな輝きを浮かべ、
「よかろう。では、一週間じゃ」
と、りんごと翠花を見やる。
「一週間、どうにか堪えてくれ。さすれば、わしがこの男にいくらかの力と知恵を授けてやれるじゃろう。ただし、あくまでわしにできるのは、そなたらが進もうとしている道の入り口まで案内することに過ぎぬぞ。
話を聞くに、そなたらはこことは異なる世界から来たようじゃが、わしにはそなたらを戻す方法は毫も思いつかぬ」
「しかし、それでも構いません」
と、勇登はダインを見据える。
「乳が僕たちをここへ導いたことには、必ず意味がある。つまり、進む道の先に必ず答えがある。そう信じていますから」
「そうか。そなたが言っていることは正直よく解らんが、異なる世界の住人なのじゃ。わしの知らぬ感性を持っているのは当然というもの……。どうやら、そなたからはわしも多くのことを学べそうで楽しみじゃわ」
「よろしくお願いします、ダインさん」
「うむ、では行こうかの」
「行くとは、どこへ?」
「ここは魔法の修行をするにはあまりに狭すぎる」
言って、ダインはさらに呟く。
「我は陰、陰は我。顕現せよ、シャドウ」
突然、薄暗い牢の奥から、何か黒いものが蠢きだした。と思うと、その液状の何かは人の形となり、そこに二人の人間を――ダインと勇登を作り上げた。
まるで目の前に鏡があって、それを見ているかのようである。が、そう唖然とする勇登に構わず、
「安らかなる休息を……スリープ」
呟くと、通路のやや遠くから誰かが倒れるような音が聞こえた。その重たげな音から、どうやら見張りの兵が倒れたらしかった。ダインはさらに呪文を唱える。
「結べ、スピリット・パス」
牢の壁の一方に、白い穴がぶわりと口を開けた。その光の中には、どうやら空間が広がっているらしい。牢に満ちているのとは違う爽やかな風が、そこからは柔らかく吹いてくる。
「これは?」
「隠れ家の近くと空間を繋げた穴じゃ。じゃが、これはあくまでこの世界に存在する一地点と、もう一つ別の地点とを結ぶだけのもの。そなたらの帰り道とはなりえんじゃろう」
「そうですか……」
しかし、今はこれが自分の進むべき道らしい。勇登はそう決意を固めながら、リラを振り返る。
「リラさん、あなたも僕たちと一緒に来てはいただけませんか」
「え? わたしも……?」
「はい。あなたには確かに力があります。その力を開花させるための手助けを、僕にさせてはいただけないでしょうか。――ダインさん、リラさんも共に行かせていただいて構いませんね」
「構わんよ。全てはそのお嬢さん次第じゃ」
「わたしは……」
皆に見つめられ、リラは肩を窄めるようにギュッとトレイを胸に抱きしめる。勇登は尋ねる。
「あなたは、このような場所に愛着でもあるのですか?」
「……はい、少し……ですけど」
その返答は勇登にとって意外だった。リラは少し恥ずかしそうに、
「ここで働いていれば、その……毎日おいしい賄い料理が食べられますし……それにここには、わたしと同じ『魔族』がたくさんいますから……。ほんのちょっとですけど、みなさんの心の支えになれるこの仕事を、わたしは気に入っているんです……」
「お嬢さん」
と、ダイン。
「自らで自らのことを『魔族』などと言ってはいかんよ。そなたは誇り高きエルフ族の血を引く者じゃ。そして、ここに連れてこられた他の者たちも、それぞれの誇りを胸に秘め続けているはず……。
しかし、悲しいかな。それらの誇りは酷く虐げられ続けておる。お嬢さん、本当に今のままでよいのか? そなたにできることは、本当にただ見守ることだけなんじゃろうかの?」
「強制はしません。ですが、現状を変えられる力がある者には、それ相応の責務がある。あなたはそう思いませんか」
「…………」
ダインに続いて勇登も尋ねると、リラは表情を張り詰めさせてぐっと俯いた。そして、何かを決意したようにトレイを足元に置き、
「解りました。お願いします。わたしも連れていってください」
「よかろう」
ダインは頷くと、再び呪文らしき言葉を呟く。
と、リラの前の鉄格子が道を譲るようにぐにゃりと大きく開き、リラがそこを通ってこちらへ来ると、それは再び元の形に戻った。そして、先ほど唱えた呪文を呟くと、りんごの隣に、もう一人のリラが現れる。
じゃあ、行ってくる。勇登が、りんごと翠花の二人にそう言おうと口を開きかけると、唖然とした様子でずっと黙り込んでいたりんごが言った。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ。あんた、ホントに『修行』になんて行く気なの? なんでそんなこと……?」
「俺があまりにも無知だからだ。今のままでは、お前たちを元の世界に戻すことは絶対にできない」
「確かにそうだけど、でも……あんたは不安じゃないの? せっかく今、こうしてあたしたちと会えたのに……」
と、りんごは目を伏せる。勇登は二人の前へと歩み寄り、
「一週間だ。辛いだろうが、どうか一週間、耐えてくれ。翠花さんも、お願いします」
「…………」
翠花はぷいと横へ視線を向けて、何も答えない。
なぜだろう? いつもならば、誰よりも優しくこちらを気遣ってくれるはずなのに……。そう勇登が戸惑うと、りんごもまた不機嫌そうに口を開く。
「鈍いわね、あんたも……。翠花さんはリラさんに嫉妬してるのよ、嫉妬」
「嫉妬……?」
「ち、ちがっ――私は別に、嫉妬なんて……!」
と、翠花はこちらを見て、勇登と目が合うと、ハッと顔を背ける。勇登は鉄格子から手を伸ばして翠花の手を取り、
「翠花さん、誤解です。僕は永遠にりんごと、そしてあなただけのために命を捧げます。僕は僕のゴールデンボムを、あなたとりんご以外のためには決して使いません。これは誓いです」
「いや、それ完全に下ネタじゃ――」
「本当に……?」
え? と、りんごは、傍らで目に涙を浮かべる翠花をギョッとしたような顔で見る。
冗談や、その場の凌ぎの言葉などではない。勇登は翠花の瞳を見つめ続けながら、
「本当です。僕のゴールデンボムは、永遠にあなたの物です。誓いの証拠に、これはあなたとりんごに預けていきます」
と、勇登はエアパイツ――金色に輝く二つの球を掌に出現させ、それを二人に差し出す。
「持っていてください。僕の命は、いつも二人と共にあります」
「勇登くん……。ええ……解ったわ。どうか、気をつけて……必ず帰ってきてね?」
翠花は勇登の手からゴールデンボールを一つ取り、涙を浮かべながらそれを胸に抱く。勇登は深く頷いて、
「りんごも、お守り代わりにでも、これを持っていてくれ」
「お守りっていうか、色んな意味で持つのが怖いんだけど……。これ、あんたの命そのものなんだし……」
「だからこそだ。これが壊されないように自分の身を必死に守り、無事に生き抜いてくれ」
「……解ったわよ」
と、りんごはどこか恐る恐るという手つきで、ゴールデンボムをそっとその手に取る。
「翠花さんのことは、お前に任せたぞ」
勇登はりんごにそう言い残して、
「では、行きましょう」
二人に背を向けて歩き出し、ダイン、そしてリラが入って行った光の穴へ、りんご、翠花と頷き合ってから、その足を踏み入れたのだった。




