人質。
○ ○ ○
晩餐会。
そう聞いていたから、きっとたくさんの美味しい物を食べられるのだと思っていた。
しかし、様々な食べ物を飲み食いしているのはどこからともなくやって来た身なりのいい人たちだけ。
翠花はハイゼルベルトと共に、ホールを見渡せるような階段の上にただじっと座らされ、恭しく壇上にお辞儀をする人たちに軽く手を上げて応えることしか許されておらず、さらに自分はと言うと、壇上の裏手にある控え室――と言っても、広々としたまさしく王宮の一室で、カンヅメ状態にさせられているのだった。
ご馳走を食べたかったわけではない。翠花のようにドレスを着飾りたかったわけでもないが、りんごはどうしても苛立ちを押さえられなかった。
しかし、それは当然だろう。自分たちは今、明らかに元々住んでいたのとは異なる世界に来てしまっているのである。果たして元の世界に帰ることはできるのか。母は、きっと心配しているに違いない。純は、和は、乳ワールドは……?
「りんご」
テーブルに突っ伏して座りこけていると、ふと肩に手を置かれた。
顔を上げると、ウェデングドレスのようなドレスを身に纏った翠花がすぐ隣に立っていて、テーブルの向かいにはハイゼルベルトの姿もある。どうやら晩餐会における二人の出席時間は終わったらしい。
「お、お疲れ様です、翠花さん」
「ええ……」
翠花は憔悴したような微笑を浮かべ、りんごの隣の席に腰を下ろす。翠花もまた自分と同じ気持ちでいるのだろう。そう感じ取ることができたおかげで、りんごの心は和らいだ。自分と同じ気持ちの人が傍にいてくれる。それだけでも人は心強さを感じるものなのである。
向かいに腰を下ろしたハイゼルベルトが口を開いた。
「突然で申し訳ないのですが……スイカさん、あなたにお話があります」
「なんでしょう?」
「私と結婚をしてくださいませんか」
「…………はっ?」
と、広い部屋に響き渡ったのはりんごの声である。
ハイゼルベルトはメイドが用意をした紅茶らしき飲み物を静かに口へ運び、それから翠花を真っ直ぐに見つめ、
「あなたは、どうやら私たちが女神と崇める存在ではないようですが……この国の民と、そして隣国はそれを知りません。
ですから、もしあなたがこの国の女王となってくだされば、疲弊した民衆にとっては救済が、魔族と手を組んだという引け目がある隣国には恐怖がもたらされ……つまり、この国はようやく平和を手にすることができます」
「そ、そんなの知ったこっちゃないですよ! なんで翠花さんがそこまでしなくちゃいけないんですか! ほ、ほら、翠花さんも何か言ってくださいよ。結婚なんてできるわけない、この国のことなんてあたしたちの知ったことじゃないって」
「え、ええ、その……申し訳ありませんが、私にはもう、結婚すると決めた相手が……」
「そうです。翠花さんにはもう――えっ?」
と、りんごはまたも驚くが、ハイゼルベルトは疲れに澱んだような目で、
「そうですか。しかし、それなら尚更、あなたは私の申し出を断れないはずだ」
「……どういうことでしょう?」
「一つお訊きしますが……ひょっとして、きょう貧民街で捕らえた妙な男は、あなた方のお仲間なのでは?」
「あなた、まさか……!」
翠花がガタンとイスから立ち上がる。ハイゼルベルトはニヤリと微笑し、
「やはり、そうでしたか。まあ、昼間のお二人のご様子からして明らかなことではありましたが」
「な、名前は? その人の名前はなんていうんですか?」
「名前は……確か、報告では『ユート』、と言っていたような気がしますがね」
りんごの問いにハイゼルベルトは興味なさげに答え、翠花を見やる。
「どうです、スイカさん? そして、リンゴさんも。私の提案を受け入れてくださいますか? もし結婚を承諾してくださるのであれば……その謝礼として、あの男を絞首刑にするのを取り止めにしてさし上げてもよろしいですよ」
「なっ……! 何よ、この卑怯者! あんた、それでも王様なの!?」
「卑怯者ですか。ふっ……まあ、そう言われても仕方がないのかもしれませんね。しかし、これも全てこの国を守るためです」
微笑みながら、ハイゼルベルトは暗い瞳でねとりと翠花を見つめる。翠花は苦しげにしばし沈黙してから、絞り出すように苦しげな声で、言った。
「……少し、考えさせてください」
「ええ。もちろん、ここですぐにお返事を頂こうとは思っていません。あまり時間はありませんが……レザルも、よもや敗走した翌日に再び攻め入ってくるほど愚かではないでしょう」
「翠花さん……」
自分には何もできない。どう動くのが正解かも解らない。ただ困惑しきって翠花を見ると、翠花はギコチなくながらも優しく微笑んだ。
『私があなたを守る』
そう言うようにテーブルの下でりんごの手を握り、そして――強い眼差しを王へ顔を向け直す。
「一つ、お願いがあるのですが」
「なんでしょう」
「あなた方が捕らえたという、その人に会わせてはいただけないでしょうか?」
「それについては既に言ったはずです。あそこは、お二人のようにお美しい女性が足を踏み入れるべき場所ではありません」
「…………」
何も言わず、翠花は張り詰めた面持ちでハイゼルベルトと対峙する。
翠花とハイゼルベルト、二人の視線がぶつかり合い、ぴんと緊張した空気が部屋を満たす。が、それは長くは続かなかった。翠花がこう見えて頑固であることを早くも理解したらしいハイゼルベルトが表情を崩し、
「仕方がありません。『女神』の強いご要望とあらば、案内させましょう」
そう言って手を叩き、部屋の前の立哨を呼ぶと、翠花の着替えが終わった後、りんごと翠花の二人を牢へと案内するようにと命令をした。
――勇登……。
やはり、勇登もこの世界へ来ていた。
その事実は、思わず気が緩みそうになるほど、りんごにとって救いのように感じられた。こちらへ微笑みかけるその表情から、それはやはり翠花も同じらしい。
――勇登なら……。
勇登なら、どうにかしてくれる。また自分たちを助けてくれる。
肝心のその人は人質として牢に捕らえられているのだが、それでも縋らざるをえないほど、りんごと翠花は追い詰められていたのだった。
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