凱旋。
紛れもなく、それはパレードだった。
既に侵攻軍が撤退したという報せは街へ伝えられていたらしく、門外で馬から瀟洒な装飾が施された馬車に乗り換えて街へと入ると、瞬間、楽団の管楽器の音色が荘厳な響きで青空へと突き上がった。
またそれに負けじと群衆が喝采を上げ、満面の笑みを顔に咲かせ、あるいは滂沱の涙を流してこちらへと一所懸命に手を振る。
翠花がただ呆然としながら操り人形のように人々に手を振り返していると、馬車はやがてやや入り組んだ上り路地へと入っていき、それから一本のさほど長くはない橋を渡って――絵画で見たような巨大な城へと入っていった。
小さなビルくらいの高さはありそうな巨大な門を通り抜けると、鎧の上に礼装らしき白い布を一枚羽織った兵士たちが、広い路の左右にズラリと立ち並んでいる。その間を通り抜けて、やがて馬車は緩やかに停まった。
玄関と呼ぶにはあまりに大きな、城への入り口の前に横着けされたそれを降りると、その正面には眩い銀色の鎧を身につけた兵士二人を左右に従えた、白いダブレットとズボンを着た男性が立っていた。
長めの髪は黄金色で、やや疲れた様子ながらその瞳は宝石のように青く輝いている。年は三十半ばというように見えるが、顔がやつれているために実際より老けて見えるのかもしれず、何よりその頭の上で光り輝く装飾――黄金の王冠が、彼に年齢以上の風格を与えているのかもしれなかった。
王冠を頭に頂いたその男は、翠花の前で石畳に片膝をついた。
「私はこの国の王、ハイゼルベルト・カナンと申します。女神よ、まずは拝謁の栄誉を賜りましたこと、深くお礼を申し上げます。そして、そのご威光でもって敵国を敗走せしめ我が国に勝利を賜りましたこと、いかなる言葉を持ってしても我々の感謝の気持ちを表現することはできません」
「い、いえ、ですから、私は、その……」
「今宵、戦いの勝利を祝う催しが都を上げて行われます。女神よ、どうか我々と共に勝利の喜びを分かち合ってはくださらないでしょうか。天上の楽園には遠く及ばざるとも、贅をこらした我々のもてなし、必ずや満足していただけることでしょう」
『ダメですよ、翠花さん、さっさとハッキリ言わないと! 私はあなたたちの女神なんかじゃありません、って!』
りんごは簡単にそう言うが、今さらそんなことを言える空気ではない。翠花は押し流されるまま城内へと招かれ、雲のように柔らかい赤絨毯が敷かれた廊下と階段を王に先導されて歩き、
「このような部屋しかご用意できず、お恥ずかしい限りですが……どうぞ宴の時までこちらをお使いください」
と、どれだけ階段を上ったかも解らない先にあった、とある部屋へ案内された。
そこは、既に解りきっていたが、一体どこが『このような部屋』なのかと呆れるような豪華な一室だった。
ダンスホールか何かのように広々とした部屋である。向こう側の壁には大きな窓がずらりと並び、高い天井には今にも落ちてきそうなほど重たげなシャンデリアが二つも吊されている。
そしてその天井には、長く黒い髪をした、おそらくはこの世界の女神――ルーナ・レピドゥスの絵画が、色とりどりに描かれていた。
『はー……へー……』
思わずと言った様子で、りんごが感嘆の息を漏らす。
こちらのために用意してくれたのだろう、部屋の真ん中に置かれてある大きなテーブルのほうへと天上を見上げながら歩いていってしかし、
「では」
とハイゼルベルトの声が天井に反響した瞬間、翠花は気を取り直す。このままズルズル行ってはいけない。こういうことは、時間が経てば経つほど言いにくくなってしまうのだ。翠花は勇気をもって決意して、
――りんご、パイモニーを解くわよ。
『あ、はい、了解です!』
「ちょっと待ってください、王様。実は私は……いえ、私たちは――」
そう前置きしてから、翠花は気を集中させ、パイモニーを解除した。
ハイゼルベルトと、その背後に控えていた兵や侍従たちは突然の白い閃光に声を上げて驚き、そしてその光の中から翠花とりんご――二人の少女が姿を現したのを見ると、口をあんぐりと開けて沈黙した。
皆、ただ目を丸くしてこちらを見つめたが、兵の一人がその剣を抜き、勇ましくハイゼルベルトの前に進み出た。
「貴様、女神になりすました魔術師か!」
「す、すみません。でも、違うんです。私は別に……!」
「そうですよ、翠花さん。なんであたしたちが謝らなきゃいけないんですか。あっちが勝手に勘違いしたんですよ? 迷惑かけられたのはこっちなんだから、謝るのはこっちじゃなくて向こうですよ」
「なんだと? この、ふてぶてしい――」
「やめろ」
と、ハイゼルベルトが厳然と兵を制した。
「例え女神の偽物だとしても、我々が戦に勝利できたのがこの方々のおかげであることに変わりはないのだ。それに、このような美しい女性に対して、そのような荒い言葉を使うべきではない」
「は……」
兵は慌てた様子で構えていた剣を収め、こちらを睨みつつも大人しく退き下がる。
殺されるかと思った。咄嗟に握り締めていたりんごの手を放しながら翠花が胸を撫で下ろすと、一人の兵が敬礼をしてから部屋に駆け込んできた。ハイゼルベルトの傍に跪き、
「ご報告が」
「なんだ」
「貧民街で妙な動きが」
「妙な動き……?」
「はい。一人の男が怪しげな宗教を広めており、大勢の人間が熱心にそれを聞き入っております。なんでも、その……『おっぱい教』という宗教らしいのですが……」
「バカな。貴様はそのようなつまらぬことをわざわざ報告しに来たのか」
「し、しかし、既に無視できないほどの数の者が、その男のもとに代わる代わる集まっている様子でございます。グリーゼ宰相も、看過できぬことゆえ、急ぎ王にご報告せよと……」
「……そうか。ならば、その男を早急に捕らえ、その怪しげな宗教が広まらぬよう注意せよとシリウスに伝えよ」
「はっ」
兵は素早く退き、部屋を出て行く。
――おっぱい教……? もしかして……!
それを広めている男が彼であるという確証はない。だが、不意に目の前に現れたその可能性は、翠花にとって一筋の希望の光だった。
翠花は思わずハイゼルベルトへと詰め寄りながら、
「あの、私たちもそこへ行かせてはもらえないでしょうか?」
「『そこ』とは……?」
「その『おっぱい教』ってのを広めてるバカの所ですよ」
当然、りんごもこちらと同じことを感じたらしく、恥ずかしさのせいか顔を隠すように額を押さえながら言う。
「何を言うのです。お二人はそのような場所へ行ってはなりません。今日の夕刻には戦勝を祝う晩餐会が始まります。それまでに、お二人には――いえ、そちらの方にはお召し物の準備等、多くのことをやってもらわねばなりません」
ハイゼルベルトは取りつく島もなくそう言って、パンパン、と二度手を打つ。すると、待ち構えていたのか、廊下から大勢の女性がどっと流れ込んできた。りんごを冷淡な目で見やり、
「そちらの方のドレスは用意しなくてよい。代わりに、何か軽食でもお出ししておけ」
では、とハイゼルベルトは部屋を出て行き、それから瞬く間に翠花は服を脱がされ、全身隅々まで寸法を測られ……まるで嵐のような慌ただしさに呑み込まれた。
「ど、どうして私だけ? りんごは……?」
「あたしじゃなくて、翠花さんの姿で女神になってたからだと思いますけど、なんか釈然としないような……いや、それどころじゃないから別にいいんですけど……」
ポツンと取り残されているりんごが、どこか恨めしげな目でじとりとこちらを見つめる。
りんごの言う通りだ。『それどころじゃない』、今の自分たちの状況はそれに尽きるのに、周囲を駆け回る女性たちの慌ただしさと賑やかさ渦中で、早くも翠花は目を回してしまっていたのだった。




