おっぱいがある限り。その1
「母さん、じゃあ行ってくる」
「夕食前には帰ってくるんだったわよね?」
ああ、と勇登は優子に返事をしつつリビングを出て、既に昼近くだというのに新聞を片手にパジャマ姿でトイレから出て来た宗良にも軽く挨拶をして、家を出た。
街へ出て行くのは久しぶりで、駅へ向かって自転車を漕ぐ足も自ずと軽くなる。ふんふんと鼻歌まで口ずさんでしまう。
泥と水溜まりしかない田んぼの上を吹き過いでくる冷たい春風に耳を痛くしながら駅へと着いて、やがてやってきた三両編成の鈍行列車に乗り込む。
それに揺られること一時間弱、そこから乗り換えを一度して、ようやく目的地である、少し前まで自分が通っていた高校のある街へと到着する。
だが、別に学校に顔を出すために、この休日にわざわざここまでやって来たのではない。
ここはこの地方の中枢を担う都市で人口も多いから、アニメや漫画、それに関連するグッズを扱う店もたくさんある。そこへ行くのが目的で、勇登は遙々電車旅をしてここまで出て来たのだった。
帽子をぐいっと目深に被りながら、久しぶりに人混みの中をすり抜けて目当ての店の中へと入る。休日のせいもあってか、客の多い店内をコソコソとぶらついていると、
「ねえ、あの人……」
「え? あ……」
女性の囁き合う声が聞こえ、ギクリとそのほうを見やると、こちらをトゲトゲしい眼差しで遠巻きに見つめながら、ヒソヒソ何か話し合っている。
マズい。勇登は歩を早めてそのフロアを後にし、一つ上のフロアのややひと気のない場所まで来てから振り返り、棚から顔を覗かせて尾行をされていないかチェックする。
どうにか後をつけられてはいないようだ。そう一安心して前を向くと、そこには思わず注意を引かれるポップが飾られているではないか。
『おっぱいマウスパッド祭り開催中』
「ほう……」
まるで自分のために用意されたようなその文句に、勇登の中でしばし眠りに就いていた何かが目覚めた。展示され、お触り可能にされている商品の一つの前に屈み込んで、その丸く膨らんだ乳房を人差し指でつつく。
「……まだまだ、だな」
解りきってはいたが、思わずガクリとする。
新商品とは言えど、やはりそのおっぱいの感触にさして進化はない。形も質感も何もかも、これはおっぱいと呼べる代物ではない。ただ盛り上がっていることだけがおっぱいであるなら、たんこぶだって枝豆だっておっぱいではないか。
だがしかし、あくまで美少女のおっぱいを想像するための足がかりとしてなら、そう悪いアイテムではないのかもしれない。
いつの日かさらなる進化を遂げ、リアルなおっぱいの感触を実現させてくれることを期待して、投資として自分も一つ買ってみようかどうしようかと、勇登が全神経をその指先に集中させながらその未熟なおっぱいをつついていた時だった。
「あのー、ちょっといいですか」
不意に背後から肩を叩かれた。それが女性の声であったことにも驚き、勇登は顔を隠しながら、すぐさまこの場を離れようとした。だが、
「あっ、ちょっと!」
と、背負っていたリュックをむんずと掴まれて引き止められる。驚いて、流石にその女性を振り向くと、
「え?」
そこにいた、猫のように大きな目をした少女とバチリと目が合う。少女はツーサイドアップにした長い栗色の髪を手で軽く払いながら、ふふんと笑って背後を見やる。
「やっぱり。ほらね、翠花さん。勇登だったでしょ?」
「え、ええ、本当に……」
と、翠花はその大きなふくらみを寄せるように手をもじもじと組み合わせながら、眉をハの字にした困り顔でちらちらとこちらを見る。
「な……!」
声を失うほど驚いた。
間違いなく、そこにいるのは新原りんごと御山翠花――二人の女神である。
黒い布地に白のボーダーが入ったブラウスとデニムスカートを身につけたりんごと、真っ白なニットセーターの上に水色のブラウスを羽織り、グレーのスカートを穿いた翠花が、呼んでもいないのにどこからともなく現れているのだった。




