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乳ワールド-異世界降誕ノ章-  作者: 茅原
女神降誕ノ章
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女神覚醒。その2(りんご視点)

「怖いでしょう、りんご? 私には敵わないでしょう……?」

 

 目を冷たく血走らせながら口元に笑みを広げ、純はこちらを見つめる。

 

 りんごはその目を見つめ返しながら立ち上がり、勇登を抱いたまま呆然と座り込んでいる勇登の母を背に立つ。そして、静かに首を横へ振る。

 

 と、純が断末魔の叫びじみた声を上げながら、その無数の腕をこちらへ降り注がせた。しかし、やはりそれはりんごへ届かない。白い光の中で脆く砂のように崩れ、形を失う。

 

 滝のように降り注ぐ漆黒の雨がやがて勢いを失うと、目の前には呆然と抜け殻のように立ち尽くした純だけが残る。


 もうやめよう。こんなことをしても、意味がない――

 

 そう言おうと、りんごは口を開きかけたが、


「うるせえ! 黙れって言ってんだろうがっ!」

 

 純はこちらの言葉を予感したように叫んだ。ふへ、と空虚な笑みをその顔に浮かべ、


「ま、まだ、まだ私には手がある。こんなゴミ共のヴァイスじゃない、もっと気高い、もっと溢れるようなヴァイスが……!」

「待って、純!」

 

 嫌な予感が頭をよぎり、りんごはその腕を純へ伸ばす。だが、再び純の背後から生え出た『プリンセス・プリンセス』が、その後方――乳技場を見守るようにして立っている聖像へと伸びた。

 

 それはまさに空を飛ぶように、長い距離をものともせず聖像へと辿り着く。と、純は呻き声とも喘ぎ声ともつかない声を漏らしながら顎を上げ、背を仰け反らせながら夜空を見上げた。

 

 と思うと、まるで自らのエアパイツに串刺しにされたかのようにその身体が浮き上がり、さらに新たな黒い腕を背中から放出しながら、聖像の上空へと向けて滑らかに空宙を運ばれていく。


『いけない。このままだと、彼女は……!』

 

 頭に翠花の緊迫した声が響く。りんごは地を蹴り、両翼を羽ばたかせて純を追うが――間に合わなかった。

 

 聖像の直上でその動きを止めた純の身体を、その自らのエアパイツである無数の黒い腕があたかも繭を作るように覆い尽くした。それは程なく聖像と純とを一つに繋ぎ合わせ、まるで大樹のようにそこに根を下ろす。

 

 だが、その黒い脈動はそれだけで収まらない。やがてその大樹から巨大な突起が左右へと伸び出し、巨人の腕のような形態を作る。それが終わるか、次は上へと細長い大きな球体が伸び、そこに頭らしきものを作り上げる。

 

 否、『らしき』ではない。それらは確かに腕と頭であった。聖像の上に、まるで巨城のように化け物じみた大きさをした人間の上半身が、突如として出現したのだった。


「な……!? じゅ、純、あなた……!?」


 りんごは思わず愕然と声を失う。

 

 と、純が――もはや純の顔かたちも留めていない、その胸部の大きなふくらみから、かろうじて女性と解るその漆黒の巨人が、まるで背伸びをするようにゆっくりと、そのたくましい右腕を掲げた。

 

 その動きは鈍く、暢気そうでさえある。が、腕が起こした分厚い風で髪とスカートがぶわりと上へ吹き上げられた瞬間、りんごは咄嗟にその羽を羽ばたき、純の真正面で身構える。

 

 そして、両手に『エルガー』、左手に『天の雷』を出現させ、


「ぐっ……!」

 

 純が振り下ろした、その大木のような右腕を受け止めた。

 

 まるで倒れたビルでも受け止めたような衝撃が全身を襲う。が、りんごはかろうじて空中でその一撃を受け切った。

 

 すぐ真下には、純にヴァイスを吸われ倒れ伏している多くの人がいる。もし一瞬でも反応が遅れていたら……。そう考えてりんごが慄然としていると、純が受け止められた右腕を自らのほうへ緩やかに引き始める。また、同じ一撃が来る。


『りんご、もっと空高くへ! 純さんの狙いは、きっと私たちだから!』

「はい、翠花さん!」


 りんごは羽を撃ち、旋風と化した勢いで上空へ飛翔する。と、やはり、純はその黒一面の顔面をぐぐとこちらへと向ける。目などどこにもないのに、こちらの居場所は手に取るように解るらしい。


「純……!」

 

 見る影もなくなってしまったその姿を見下ろして、りんごの胸はきつく締めつけられる。


 この化け物は一体なんだ。これは本当に純なのか。純をこんな醜悪な姿にさせたのは自分なのか。自分が何もかも悪いのか。


『しっかりして。戦うのよ、りんご……!』

 

 恐れと罪悪感とが二重に胸を締めつけ、今にも逃げ出したいような気持ちに駆られていたりんごに、翠花が強く語りかけてくる。


「でも、わたしは……!」


 目のない顔にじっと見つめられ、思わず息が浅くなる。様々な恐怖で、胸の底から吐き気が湧き起こってくる。

 

 すると、純が力を込めるようにその右腕を引き、上半身全体をしならせながら、ハンマーのように大振りの一撃をこちらめがけて放った。

 

 まるで地鳴りのように低い風切り音を立てながら、それは斜め下方から襲い来る。りんごはすぐさまひと羽ばたきして後方へと下がる。

 

 これで問題なくやり過ごせる。翠花もそう思っていたに違いない。だが、その予測は甘かった。純の右腕はこちらを通過する直前、ゴムのようにその長さを急激に伸ばした。


「っ!」

 

 襲い来る右腕の手首あたりが直撃し、りんごは叫び声を上げることもできずに吹き飛んだ。景色が渦を巻くように回転し、直後、身体の右側面を燃えるような熱さが貫く。


「くっ……!」

 

 何かが爆発するような音を聞いたような気がしながら、ここがどこかも解らず地面に手をついて身体を起こしてみると、目の前には崩れた瓦礫と、その向こうで不格好に噴き上がる噴水があった。

 

 どうやら自分は吹き飛ばされて噴水に直撃し、それを貫いてようやく止まることができたらしい。そんな大変な目に遭ってもまだ生きている我が身のしぶとさにも驚いていると、噴水の上に広がる夜の曇天に、何か大きな物がぬっと動いているのが見えた。


『りんご!』

 

 翠花の声を聞くまでもなく、りんごは空へと飛翔する。直後、下方で石の砕け飛ぶ音もかすむようなドンという低い大音響が空気を震わせ、遅れて上空から突風が叩きつける。

 

 見ると、純はその上半身を地面に這いつくばるようにさせながら、異様に伸ばしたその右腕をこちらへ叩きつけていた。


 叩きつけた右腕を、まるで引いていく潮のようにズルズルと自らのほうへ戻していくその姿を呆然と見つめていると、翠花が囁く。


『私たちがやらねばならないのよ、りんご。そうしなければ、この戦いは終わらない』

「で、でも、あれは純で……! もし……」 


 攻撃をして、それで彼女を殺してしまったらどうするんだ。りんごはそう躊躇うが、


『見て、りんご。私には、純さんは今、とても苦しんでいるように見えるわ……』

 

 翠花は、怯えるりんごをまるで背中から抱き締めるように柔らかく言う。


『彼女を止めてあげましょう。いえ、止めなければならない。なぜなら、私たちにはそれができるのだから』

「純……」

 

 純は今、苦しんでいる。恐怖というベールで見えていなかった純の姿が、翠花の言葉によって目の前に鮮明に現れた。

 

 濡れた前髪から、一粒の雫が落ちる。そんなものまで、今の今まで見えていなかった。


 りんごは翠花の言葉に息を呑みながら、さながら大蛇のように地面に伏し、うねり、もがいている純を見下ろす。『エルガー』を纏ったその右手を、衣が濡れて淡い桃色の乳首が透けている大きな乳房の前で握り締め、


「……やります」


 りんごは噛み締めるように言った。


「大丈夫です。わたし、やれます、翠花さん」

『ええ、どうか私のことを感じて、勇気を持って。私は、あなたと共にいる……』

 

 自分に何ができるのか、それは既に解っている。りんごは、その背の強靱でありながら優雅な両翼を羽ばたかせ、さらに夜空高くへと舞い上がる。


 自らが腰を据えている聖像の上へと身体を引き戻していく純を見つめながら、左手にある『天の雷』を目の前に立て、その柄の中央あたりを『エルガー』を纏う右手の人差し指と親指で摘み、右手のみを手前へと引き寄せる。


 すると、『天の雷』から白く輝く弦が現れる。それを『エルガー』を使わねば出せないような強い力で引き続けると、薙刀がギギギと金属の軋む音を立てながら弓の形にしなり始める。

 

 鉄でできたように固いその弦をどうにか耳元まで引き寄せると、人差し指と親指の辿った軌道に銀の光が残り、それが一本の矢となっている。

 

 その矢を放つ先は、黒く巨大な純の肉体――その中にある聖像である。純を侵しているその悪の根源一点に、狙いを定める。

 

 躊躇いはない。闇をその身に溜め込んだ怪物となり果ててしまった純を見下ろし、りんごは寂しく微笑む。


「純……。わたしたち、また親友に戻れるのかな? 解らないけど……でも、わたしはまだ諦めてないからね。これが終わったら、まずは二人だけでゆっくり話し合おうね。だから……今は少しだけ我慢してね」

 

 一人なら、矢を放つことができなかったに違いない。涙が溢れて、何も見えなくなってしまっていたに違いない。


 だが今は、自分には翠花が一緒にいてくれている。静かに、強く背を支えてくれている。この目を開き続けようとしてくれている。

 

 ――ありがとうございます、翠花さん。それに……勇登。

 

 胸の裡で二人にそう感謝を伝えながら、りんごはその双眸を強く見開き、力の限りに弦を引き絞ると――自らの想いを一本の矢に託して、それを打ち放った。

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