VS須芹純。その2(りんご視点)
「りんご、気をつけて!」
翠花の声が、ざわめきの混じり始めた静寂に響き渡る。
そう、戦いはここからだ。純の頬を赤く腫らしてやったくらいでは、なんにもならないのだ。りんごは再び慎重に距離を取り、固く身構える。
と、純はなぜか、まるで勝利を確信したようにその目を細める。
「そうね。あんたの判断は正しいわ。エアパイツに対して真価を発揮する私のエアパイツに勝つには、安易にエアパイツを出さないことが大切よ。でもね」
「え?」
目を離してなどいない。一瞬たりとも集中を切らしてさえいなかった。にも拘わらず、突然、りんごの視界から純の姿が消えた。まるでその背後の夜闇へ一瞬にして吸い込まれたかのように、その影すらもステージ上から忽然と消えた。が、直後、
「りんご、後ろよっ!」
翠花が叫び、りんごはハッと背後を振り向こう――とするが、何かに強く掴まれたように肩が、腰が、足が動かない。耳元で純の声が囁く。
「ふふっ。驚いたでしょう?『プリンセス・プリンセス』はね、別に何かを掴むことしか脳がないんじゃないのよ。隠したり、包み込んだり、色々と使いようがあるのよ」
「くっ……!」
動こうとしても、まるで全身を磔にされたかのように動くことができない。だがそれでも、慌ててエアパイツを出すことだけはしてはいけない。
――っていうか、このままじゃ『乳拝み』もできないし……!
エアパイツを出さないのではなく、出せないのだ。気づけばそこまで追い込まれていることにりんごはゾッとし、思わず翠花を見やる。翠花は何かを叫びながらこちらへ向かおうとしているが、どうやら警備員――和に制止されているようである。
「ねえ、りんご、知ってる?」
絡みつくような熱い吐息が耳にかかる。
「エアパイツって、別に自分自身でしか出せないものじゃないのよ? 人が無理矢理出させることだってできるのよ」
「やめっ――」
なぜその危険を全く見落としていたのか。初めて翠花に会った時、翠花の手でエアパイツを出してもらったことを今になってりんごは思い出したが、最早何もかも遅かった。
脇の下から純の手が現れ、それに自らの胸を寄せ上げられ、強制的に『乳拝み』をされた瞬間、りんごの両腕には竜の腕にも似た銀色の装甲が現れていた。
外灯の光を反射して鋭く光る『エルガー』を、りんごは息を呑みながら見下ろしたが、その姿が目に入ったのは数瞬のことである。
背後から次々と飛び出してくる黒い手が『エルガー』を掴みながら液体のように一体化し、気づくとりんごの両手は、まるで黒いギプスを嵌めたようになっている。
「りんご、エアパイツを消すのよ!」
翠花が叫ぶが、従いたくてもそれに従えない。見えないが、感覚で解る。『エルガー』を消し去ろうとしても、確かにそれは出現し続けている。否、引き出され続けている。
「やっぱり私の勝ちよ、りんご」
「痛いっ……!」
純はまるで爪を立てるようにりんごの胸へと指を食い込ませながら、耳元で囁く。
「ふふっ。こんな小さいおっぱいのクセに、生意気なのよ。いい気分だわ、りんご。顔がいいからって、ずっと昔から私のこと見下してきたあんたより、今は私のほうがずっと上なのよ。あんたはもう、私のことなんて見下せないのよ……!」
「純、あんたっ……!」
上とか下とか、一体なんなんだ。そんなにも自分は純を見下していたのか、無意識に純を傷つけていたのか。それならばハッキリとそう言って、話し合おうとしてくれればよかったのに。
だが、今そうやって純を諭す余裕など自分にはなく、そもそも今の純には、どんな言葉もその怒りをいっそう燃えがらせる油となるに違いないのだった。
背後にあるその顔は見えないが、間違いなく純は今笑っていた。その声には迷いなど一つもない、澄み切った恨みの響きがこもっていた。
「終わりよ、りんご。決闘で相手を殺してしまっても罪には問われないから、今なら私はあんたを殺してやれるの。だから……じゃあね、りんご。ここで惨めに死になさい」
「りんごっ!」
と、ステージに翠花の声がこだました。わずかに動く顔をそのほうへ向けると、翠花がこちらへ突き進んできている。
「はああああああああああああああああっ!」
長い黒髪をたなびかせ、裂帛の声を上げながら跳躍し、しかし掲げたその右手には何も握られていない。が、その手をりんごの背後――純のほうへと突き出すのと同時、その手に純白の薙刀、『天の雷』がその艶めかしい姿態を現す。
「ふん。ワンパターンなのよ」
ふてぶてしいほど悠然と純は呟く。どうやら翠花は、りんごと同じくエアパイツを『掴まれて』しまったらしい。翠花は『天の雷』を純へと突き出したまま、まるで翠花のほうが突き刺されたかのように宙で動きを止める。
「まあ、いいわ。あんたのことは今は殺せないけど、決闘を妨害しようとしたんだから、その罰として死なない程度にヴァイスを吸ってあげる。そうだわ。あんたを物言えぬ身体にして、私専用のヴァイス補給機にするのも悪くないわね」
「翠花さん、逃げっ――」
このままでは、翠花も無事では済まない。いやひょっとすると、自分よりも恐ろしい目に遭うのかもしれない。りんごがそう慄然とした、その瞬間だった。
「ん?」
不意に純が妙な声を出して、それから、カン、カンという硬質な音が足元で響き、視界の下で何かがキラリと輝いた。
「りんご、目を瞑って!」
唐突、翠花が叫んだ。何やらわけの解らぬまま、りんごはそれに従う。すると直後、全身を貫くような衝撃音が身体を貫き、気づくと身体が宙を舞っていた。
まるでスローモーションの景色を見るように、ステージを囲む柵を越え、そのさらに外を囲んでいる観客の中へと真っ逆さまに落ちていく光景を、りんごはただぼんやりと眺めた。
だが、不意に誰かの腕が腰を抱き、その誰かが翠花であるのを見た瞬間、時はその進み方を思い出したようにスローモーションから解き放たれる。
翠花は柵を蹴って観客たちの頭を跳び越え、乳パラダイスを年中彩る青芝の上に着地する。
「翠花さん……?」
と、りんごはぼんやりと翠花の顔を見上げるが、翠花はこちらを見もせずにこちらの身体を手放し、
「勇登くん!」
門の方角へと駆け出す。りんごはポカンとしながらそのほうを見て、
「え?」
目を疑う。
門から真っ直ぐにこちらへと伸びる大きな通り、そこを壁のように遮る観客の後ろに、詰め襟の制服を身につけた男が立っていた。勇登が立っていた。




