天罰。銀砂の星空。柔らかな温もり。その3(御山翠花視点)
「勇登くん? 重いなら、もう……」
「い、いいえ、問題……ありません。大丈夫です。必ず、あなたを……無事に家へ送りますから……!」
喘ぎ喘ぎそう言いつつ、乳パラダイスを南北に貫く大通りを進み、ほどなく門へと差しかかる。
すると、勇登の前に立っていた警備員がそこへと走って行き、外に立っていた警備員と頷き合うと、閉じられていた門を機敏に開いて脇へと退き、敬礼のポーズを取った。
「翠花さん。申し訳ありませんが、僕のカツラを取って、彼女たちに……」
という勇登の言葉に従って、翠花は慌てて勇登の頭からカツラを持ち上げ、手前にいた警備員の手にそれを手渡す。警備員はそれを受け取ると、まるで初めからこの指示を受けていたような足取りで、即座に門番詰め所へと姿を消す。
「すまない……」
勇登は門の外にいた警備員にそう礼を言いつつ、乳パラダイスを後にした。乳パラダイスよりもずっと暗い、夜の公園の路地へと入っていきながら、勇登は思い返したように尋ねてくる。
「御山さん、身体は大丈夫ですか? 傷が痛んだりは、しませんか……?」
「ええ、少しは痛むけど……大丈夫よ。ありがとう」
「そうですか。なら、よかった」
一旦立ち止まって、こちらの身体を背負い直してから、勇登はたどたどしい足取りで公園の出口へと向かっていく。
「勇登くん、大丈夫? 無理しなくていいのよ。私、たぶんもう歩けるから……」
「…………」
黙っていろと言うかのように、勇登は翠花の言葉に何も返さない。微かに震える手で翠花の両太ももを支えながら、意地になったように無言で歩き続ける。
ここであまりに下ろせと言い続けるのも、男性に対しては失礼なのかもしれない。ならば、今はとにかく甘えさせてもらおう。
抱きつくように密着している勇登の身体は、数枚の布越しでも解るほどに熱い。その温かさに身を委ねるように翠花は勇登の背中にもたれかかり、汗臭さの混じった冷たい夜気の中で目を瞑った。
が、ふと思い出して、
「そういえば、勇登くん。さっきの爆弾みたいなものって、一体……? あれは、まさか勇登くんのエアパイツじゃ……」
と尋ねるが、勇登はこれにも何も答えない。公園を出て、まだ車通りのいくらかある通りをマンションのほうへと向かっていく。
「勇登くん?」
勇登の沈黙に何か妙な雰囲気を感じて、翠花は再び声をかける。と、勇登はまるで夢から覚めたようにハッとその荒い息を止める。
「どうしました? 気分でも……悪いのですか?」
「え? い、いえ、私は大丈夫だけれど……」
「大丈夫です。絶対に、無事に家へ送り届けますから……安心してください。あなたがいなければ……計画は全て終わりなのですから」
先ほどと同じ言葉を繰り返すように、勇登はこちらの身体を背負い直しながら言う。
――『計画』……女神派計画。
やはり勇登は、そのために自分を助けに来たのだ。決して、自分を愛おしく思っていたから助けに来たわけではないのだ。
解りきっていたはずのそのことを、翠花は今ふと再認識した。沸騰して水が溢れかけていた鍋に差し水が加えられたように、翠花のぼんやりと夢見心地に漂っていた心は、不意に現実へと引き戻される。
だが、むしろこの瞬間に、翠花は自らの裡に勇登への愛が芽生えたのをはっきりと手に取るように感じたのだった。ひたすらやるべきことのために、自らの目的のために、身を捨てて戦っている勇登のことを、身を切られるように愛おしく思ったのだった。
私がこの人を支えてあげたい。この人のために、なんだってしてあげたい。翠花の胸にその思いが咲き開いて、身体は春の陽気のような柔らかな温もりに包まれる。
と、その身体の火照りと呼応するように、翠花の身体が薄く白く輝いた。
「え? これは……?」
純白の淡い光に包まれた自らの身体を見下ろして翠花は戸惑うが、その輝きに見覚えがあることに気がつく。
試さずにはいられない。あたりに人影がないことを確認してから、翠花はその右手を冴え渡る夜空へと掲げ、左手でそっと勇登の服の胸あたりを掴んだ。
すると、それはまるで流れ星のように姿を現した。掲げた手の中に微かな重量を与えながら、光り輝く氷で作られたかのように高貴な姿態を顕現させたのだった。
長さ一メートル七十二センチの細く長い柄部と、その先についた長さ六十センチちょうどの刃部からなる、全長二メートル三十二センチの薙刀、『天の雷』。
どこからともなく手に現れたその物体は、紛れもなく、翠花がその細部に至るまで知り尽くしている自らのエアパイツだった。が、誰かに見られては大ごとである。翠花は思わず見惚れたように眺めていたそれを慌てて消して、
「ゆ、勇登くん、見ましたか!? 私――」
「どうか、しましたか?」
「え? あの、今の……」
「大丈夫です。もうすぐ家へ、着きますから……安心してください。大丈夫、です……」
「勇登くん……?」
自分のエアパイツに夢中になっていた翠花は、勇登の呼吸が異常と言えるほど上がっていることにようやく気がついた。やけに荒く、短く、あるいは深く、不規則な呼吸を繰り返しながら、勇登はまるで足を引きずるようにして前へと進んでいる。
何か様子がおかしい。だが、それも当然だろう。体力に自信のある男性であろうと、子供ではない人間をそう長く背負っていられるものではないのだ。
「勇登くん、もう大丈夫よ。私は自分で歩けるから……!」
翠花は勇登の背中から身体を離しながらそう言うが、勇登は何も答えない。何度か繰り返し言ってみても、返ってくる言葉は決まって、
「大丈夫です。もうすぐ家に着きますから」
それだけなのだった。
その言葉を口にする度に翠花を背負い直しつつ、勇登は全身から湯気を立ち上らせながら、じりじりと小さく歩を進めた。
無理矢理降りようとしてみても、勇登はまるで暴れる子供を抑え込もうとするように決して放してくれない。降ろしてと強く訴えてみても、返ってくるのは大丈夫という言葉だけ。それでもどうにか降りようとしてみると、
「動くなっ!」
と、勇登は怒声を上げた。
その明らかに異常な勇登の様子に、翠花は気温のためではなく寒気を感じ始めた。勇登は今、執念で歩いている。だが、もう追っ手がないことも明らかなこの状況で、何が勇登を焦らせているのだろう?
背後を振り返らずにはいられない恐怖に駆られながら、翠花はただ勇登の背で揺られ続ける。
……勇登の手が太ももを強く擦り続けていて、肌がヒリヒリと痛い。膝から先の血が軽く止まっているのか、脛あたりの感覚は麻痺している。
歩き出して三十分ほど経ってだろうか、普通に歩けば十五分ほどで着く自宅のマンションへようやく着くと、勇登は自動ドアをくぐって玄関ホール手前のインターフォン前に立つ。
翠花はその無言の指示に慌てて従い、インターフォン横のテンキーを押し、部屋にいるのであろうりんごを呼び出す。がしかし、
「翠ちゃん!? ま、待って! 今開けるから!」
そこから聞こえてきたのは、りんごの声ではなかった。
だがその声の通りに、ホールへと入る自動ドアが開き、勇登は幽霊のように無言でそこへ入っていく。つい先ほどまで荒かったその呼吸が、今はやけに静かになっていた。肌もじとりと汗で濡れている割に、妙に冷たく、生気がない。
「ゆ、勇登くん? 本当に、ここまで来れば、一人で歩けるから……」
「…………」
無言が返ってくる。勇登はそのまま淡々とした様子でエレベーターへと乗り込み、部屋のある階へと向かう。いつもより長く感じられる時間を経てようやく扉が開くと、
「二人とも、大丈夫だった!?」
待ちかねたように、そこに立っていた人物――和が叫び、しかし次の瞬間には息を呑んだように沈黙する。
「か、和……さん? どうして、あなたがここに?」
翠花は和に尋ねるが、勇登は和を押し退けるようにして部屋のほうへと歩き出す。肌寒い外廊下に足を引きずる音を響かせて歩き、ノブを掴むのを二度失敗してからそれを捻り、部屋の中へと入る。
そして、靴を脱がず、土足のまま玄関を上がっていき始めた。
「勇登くん……!?」
と、流石にあまりにも異常である勇登の様子に翠花が声を上げた、その直後だった。ぷつんと糸が切られたように勇登の身体から力が抜け、その身体がぐらりと前へ倒れる。
翠花はそのまま一緒に倒れそうになったが、どうにか床に足をつき、勇登の両肩を掴んだ。が、その重みを支えきれず、結局は勇登と一緒に倒れ込んでしまう。
倒れながら壁に肩を打ったが、それどころではない。翠花は慌てて勇登の顔を覗き込み、それから慄然と息を呑んだ。
「勇登くん……?」
勇登は気を失っていた。その顔は明らかに青ざめて、しかしそんな肌の色とは対称的に鮮烈な赤が、白いシャツに広がっていた。ずっと唇を噛んでいたのだろうか、勇登の下唇から血が流れ出し、それが顎と首を伝ってシャツの襟元を真っ赤に染めているのだった。
「勇ちゃん! 大丈夫、勇ちゃん!?」
和が駆け寄ってきて勇登の肩を揺するが、勇登は力なく閉じた瞼を開かない。汗で髪の毛が張りついた頬をぴくりともさせず、半開きにさせた口から浅い呼吸を繰り返しているのみである。
「勇登……く……」
傷つき疲れ果てた勇登の顔を見て、翠花はゾッとしながらその傍へ這い寄ろうとしたが、まるで綿を押すように腕に力が入らず、壁に寄りかかるように崩れ落ちる。
自分はいつも、なんという役立たずなのだろう。昏倒した勇登の顔を目に焼きつくほど見つめながら、翠花は胸を燃やすような悔しさに歯噛みした。
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