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乳ワールド-異世界降誕ノ章-  作者: 茅原
女神降誕ノ章
32/61

天罰。銀砂の星空。柔らかな温もり。その1(御山翠花視点)

  ○  ○  ○


 ――寒い……。


 頭の中に立ちこめていた分厚い壁のような霧がうっすらと開け始めて、最初に思い浮かんだのはその言葉だった。

 

 打ちっ放しのコンクリートの壁や床はまるで氷のように冷たく、吐く息が白いほどに空気も冷たい。その冷気が絶えず流れてくる前方に壁はなく、あるのはただ鉄格子のみである。三十メートルほど離れた所に青い扉があるが、そこまでの長い廊下の壁もまた全て鉄格子らしい。

 

 その景色を眺めて、翠花はようやく自分が牢の中にいるのだと気づいた。

 

 ほとんど人が入らない場所のためか掃除がされている様子はほとんどない。どことなく下水じみた臭いが鼻に纏わりつき、虫の死骸が張りついているのか、天井の薄暗い蛍光灯はカビが生えたように黒ずんでいる。鼠の鳴き声というものを、今日生まれて初めて実際に耳にした。


 自分はどうして、こんな場所にいるのだろう? 翠花はまだ鉛のように重い頭をどうにか働かせてそれを思い起こそうとした。

 

 暗く狭い階段。窓のない部屋。奇妙な蒸し暑さ。ガタガタとした小刻みな震動……。断片的に蘇る記憶を辿るうちに、ふとある光景に突き当たる。


『今日は学校の用事でここに来ていたのですが、あなたに言づてを頼まれました。なんでも、この学校を市の広報誌で紹介してもらうにあたって、あなたの写真を撮らせてほしいのだとか。市の広報課の方々が、既に待っています。私についてきてください』

 

 帰りのホームルームが終わり、勇登に言われた通り、すぐに家へ帰ろうとした時だった。なぜか他の学校の教員である鈴谷が自分の所へ来てそう言ったのを、うっすらと憶えている。

 

 だが、その先のことはよく解らない。おそらく自分のことだから、怪しいとは思いつつも、学校のような人の多い場所であれば問題ないかと判断して、のこのことついていってしまったに違いない。その証拠が、今の状況である。

 

 天井高くの壁に打ち込まれた鎖が、手首に嵌められた腕輪に繋がっている。


 その腕輪は分厚い鉄で作られていて見るからに重たそうだが、腕をつり下げる形で自分を拘束しているので、その重さは全く感じない。むしろ少しでも腕を下ろそうとすると、自分自身の腕の重みのために、その腕輪が親指や手の甲に食い込んで鋭い痛みが走る。

 

 三十分だろうか、一時間だろうか。時間の感覚は上手く掴めないが、鈴谷にこうして拘束されてから短くない時間が経っていると思われた。

 

 壁にもたれるとコンクリートが冷たいから軽く背を浮かし、素足を床に寝かせると凍傷になりかねないので三角座りをする。

 

 気絶をさせるために何か薬品を投与されたのか、身体はいつまでも怠くてしょうがない。ただ動かずにじっと座っているだけであっても、泣きたいほどに辛くてしょうがなかった。

 

 だから、遠く前方の扉が開き、そこから黒いスーツ姿の女性――どうやら鈴谷らしき人間が姿を見せた時、翠花はやや嬉しくさえ思った。例え敵であっても会話ができるなら、今のどうしようもない気分が少しは晴らせるのではと感じたから。


「気がつきましたか、御山さん?」

 

 鍵はかけていなかったらしい鉄格子の扉をギギギと軋ませながら横へ開けて、六畳ほどと思われる薄暗い牢の中へ鈴谷は入ってくる。

 

 頭に重りをつり下げられたように重い首をもたげて、こちらを見下ろす鈴谷の顔を見上げると、鈴谷はメガネのブリッジを中指で押さえながら眉間にシワを刻んだ。


「悪く……思わないでください。私だって、本当はこのようなことなどしたくないのです。でも、自分の命が懸かっていれば、誰だってこうするしかないでしょう……」

 

 ――……脅されたのね。

 

 翠花はどうにか声を絞り出して尋ねる。


「ここは……乳キャッスルの地下、なのでしょうか?」

「そうですよ。もう間もなく……委員長がここへお出でになるでしょう」


 鈴谷は冷たいコンクリートに染み入るような寂しげな声で言い、翠花はそうですかと一言、それに返した。すると、その声を掻き消すようにして、重い鉄扉が開けられる音が地下牢内に反響した。


「ご苦労様、鈴谷。あなたはもう下がっていなさい」

 

 コツコツと鳴り響く足音に、純の高圧的な声が重なる。鈴谷は叱られた子供のようにビクリとしながら駆け足で牢の外へと出て、代わりに純が中へと入る際には恭しく頭を下げ、それから逃げるように地下牢から去っていく。

 

 鈴谷が扉を閉めるのを見届けてから純はこちらを振り向いて、その顔にむふぅと嘲笑を浮かべる。


「ごきげんよう、御山さん。ご気分はいかが?」

 

 この人は一体何を言っているんだろう? 

 

 冗談にしても、この場でそのようなことを口にする神経が信じられず、ものも言えない。呆れるというよりは驚いて、その顔を見返すことしかできずにいると、純はその丸い鼻を歪めるようにフンと鳴らし、


「生意気な奴ね。確かに、今の時点では私よりもあんたのほうがおっぱいは大きいかもしれないけれど、私は乳安の委員長なのよ? それにおっぱいだって、もうじきにあんたよりも大きくなるわ。そんな私に対して挨拶の一つも返せないなんて、あまりに無礼じゃない?」

「人をさらって、牢屋に閉じ込めさせて……。そんなあなたに、無礼などという言葉を口にする資格はありません……」

「へぇ。こんな状況でも、この私にそんな口が利けるなんて……やっぱり、あんたには少し教育が必要みたいね」

 

 言うと、純は右手を背後へ回し、そこから何か細長い棒のような物を取り出した。


 いや、棒ではなく鞭だ。太い乗馬鞭だ。まさかと思いながらも、翠花がそうはっきりと理解した時には、既に純は頭上へ振り上げたそれをこちらへ振り下ろしていた。


「っ!」

 

 バシン! 肌が破れたかと思うほどの鋭い痛みが左肩あたりに走り、翠花は思わず歯を食いしばる。

 

 ふふっ。と、純はこちらが苦しむ様を見て面白がるように笑みを漏らし、


「頭のいいあなたなら、これで充分に解ったでしょう? 今はもう私が上で、あなたが下なの。だから、余計なことは言わずに、ただ素直に私の質問に答えなさい。いいわね?」

 

 鞭の先を左手で掴んで軽くしならせながら、こちらを見下ろす。


「女神派計画とは、なんですか?」

「…………」

 

 なるほど。純は尋問をするために自分を拘束したのか。鞭の痛みのおかげもあって、頭の霧も充分に晴れてきた翠花はようやくそう気づく。


「あなたがその計画に加担していることはもう知っているのよ。私のこの力――『プリンセス・プリンセス』を使って、母からヴァイスとその意志を吸い取ったおかげでね」

 

 と、威嚇するように鞭を右肩に載せた純の背後に、夜の闇からできたような数本の細い腕がゆらりと立ち上る。


「…………」

 

 勝者の絶対的自信のためか、そのエアパイツの姿を見せ、わざわざ能力まで説明してくれる純の話に、翠花はじっと耳を傾ける。

 

 ――計画について尋ねてくるということは、知っているのはその名前だけで、内容は知らないということ……。私をこんな所にまで閉じ込めて聞き出そうとしているのは、それだけこちらの計画に不安を感じているということ……。

 

 こちらサイドの年長者であるというプライドのためか、絶対に口は割るまいという使命感のためか、不思議と恐怖はなかった。肩や太ももが自ら震え出してそれを止めることはできなかったが、どうにか頭だけは冷静を保つことができていた。


「教えなさい、御山。女神派計画とはなんなの?『女神』とは、あなたのことなの?」


 ただじっと見つめ返されることに苛立ちを感じ始めたのか、鞭を握り締める右手に力がこもり始めている。しかし、こちらが返す言葉は決まっている。


「知りません」

「あんたっ……!」

 

 ねじ切らんばかりに握り締めていた鞭を壁へと投げつけ、純はその両手で翠花の制服、その襟元を乱雑に掴む。そして、牛のように熱い鼻息を噴き出しながら、それを襟から縦へ真っ二つに引き裂いた。さらに、それだけで収まらず、


「まだ解らないの!? あんたも私をバカにしてんじゃないでしょうね!?」


 目を血走らせ、口角泡を飛ばしながら、翠花の乳房を掻きむしるようにして両手でブラジャーを掴み、そのフロントホックごと左右へと引きちぎった。


 息を激しく荒げながら、純は鬼気迫る目で翠花を睨みつけてくる。

 

 地下牢の寒々しい静寂に、純の荒い呼吸の音だけが流れる。が、やがて純は自らの錯乱に気がついたようにその荒い呼吸をピタリと止め、ふぅと一つ深呼吸してから表情を豹変させる。穏やかに微笑みながら、


「確かに、あなたは本当に美しいわ……。あなたのおっぱいも、思わず触るのを躊躇ってしまうほどに美しい」

 

 言いつつ、純はそのまん丸とした手を翠花の乳へと押しつける。痛いほどに指を食い込ませながら乳房を下から持ち上げたかと思うと、その輪郭を指で優しくなぞる。


「形も、大きさも……何もかもが完璧。まさに芸術品よ。だから、そんなあなたのおっぱいに敬意を表して、あなたにはあまり乱暴なことをしたくないの。ねぇ、解るでしょう?大人しく教えなさいよ、あなたの知っている秘密を……。教えてくれれば、絶対に悪いようになんてしないから。ね?」

 

 まるで子供をあやす母のように微笑む純の、その暗い瞳を見ながら翠花は思う。

 

 ――私、ここで死ぬのかな……?

 

 やはり、不思議と怖さはなかった。だが、その原因が使命感などだけではなかったことに、翠花はようやく気がついた。

 

 自分は、この時を待っていたのだ。この乳で自らの妹を苦しめ、その精神を破壊するほど追い詰めた自分に天罰が下ることを、ずっと待ち望んでいたのだ。

 

 ――そう……。これでいいの。こんな最期こそ、私には相応しい……。

 

 思わず翠花が苦笑しながら俯くと、


「解ったわ。あんたは私の善意を無視するのね。なら、しょうがないわ」

 

 底冷えのした声で言いながら、純が立ち上がった。


「あんた、エアパイツを出しなさい」

「エアパイツを……?」

「あんたが何も喋らないつもりなら、もう私はあんたに用なんてないの。でも、あんたは素晴らしいエアパイツを持っているんでしょう? 

 それってつまり、あんたが物凄い量と質のヴァイスを持ってるってことで、それを貰っておかないなんてもったいないじゃない。あんたのヴァイスを貰えれば、私は今よりもっと強く、もっと美しくなれるの」

 

 先ほど激高した瞬間に消えていた数本の黒い細腕が、再び純の背後に現れる。だが、なぜこちらがエアパイツを出せねばならないのだろうか。よもや正々堂々と勝負をしよう、などと言い出すとも考えられない。

 

 ――じゃあ、ひょっとして……。

 

 純のエアパイツは、エアパイツを介してしか相手のヴァイスを奪うことができないのでは? という推測に翠花は行き着くが、それが正しいのかどうかに拘わらず、答えは決まっているのだった。


「申し訳ありませんが……私はエアパイツを出すことができません」

「出すことができない? どういうこと?」

「そのままの意味です。私は、とうの昔にエアパイツを失いました。妹という守るべき存在を失って、それ以来ずっと――」

「そんなくだらない嘘はやめて!」


 悲鳴に近い純の怒鳴り声が静寂を破る。


 暗がりでも解るほど顔を真っ赤にしながら、再び目を血走らせてこちらを睨み下ろし、それから壁のほうへとズンズン歩き出したと思うと、先ほど自ら投げ飛ばした乗馬鞭を掴み上げて翠花の前へと戻ってくる。


「ねえ、あんたってバカなの? もう忘れたの? 私はあんたに、知っていることを大人しく教えれば悪いようにはしないと言ったはずよ。なのに、そんな私をバカにするような嘘をついて……あんた、私に殺されたいの?」


 鞭の先端が細かく揺れるほどその柄を力強く握り締める純の背後で、『プリンセス・プリンセス』が、まるで炸裂するようにその腕の本数を増やし、その内の二本が翠花の首を掴んで軽く締め上げる。 

 

 が、そう脅されても、エアパイツを失ったことは事実なのだからどうしようもない。覆い被さるように自らの前に立っている純の異様さにも気圧されて、翠花が何も返せずにいると、ギッと音がするほど歯ぎしりしていた純の視線が、つと下を向く。


「そう、解ったわ……。そのおっぱいね、私よりも大きなおっぱいを持っているから、あなたはそうして私を見下せているのね」

 

 純は独り言のように言って、こちらの乳を見つめるその目を爛々と輝かせながら、その巨体で押し潰そうとするようにこちらへ屈み込んできた。と思うと、


「いっ……!」

 

 その左手で荒々しく翠花の乳房を掴んだ。まさしく皮膚のちぎれるような痛みに翠花が悲鳴を上げると、純は目をギラつかせながら口の端を歪める。


「ふ、ふふふ……。これがあるから、あんたは余裕でいられるんでしょ? なら、あんたのこの自慢のおっぱいをぶっ潰してあげるわ。死ぬよりも怖いことを、痛いことを、惨めなことを……あんたに味わわせてあげるっ!」

 

 と、純はその右手に持っていた乗馬鞭を顔の横まで振り上げ、その鞭の部分ではなく柄の部分を突き立てるようにして、左手に掴んでいる翠花の乳房へと振り下ろした。

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