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乳ワールド-異世界降誕ノ章-  作者: 茅原
女神降誕ノ章
25/61

女神の仮面。その4(りんご視点)

 慣れない環境で眠りが浅くなっていたのだろう。深夜、ふと目が覚めた。


 和室の木の天井を闇の中でぼんやり見上げ、小さく溜息を漏らしながら再び目を閉じたが、どうにも上手く寝つけない。


 枕元の携帯電話で時間を確認すると、もう少しで午前二時になるというところだった。明かりを消して布団に入ったのが一時頃で、目が覚めてから二十分くらいは経っているから、まだ三十分ほどしか眠っていないことになる。


そのはずなのに、どれだけ眠ろうとしても眠れない。むしろ身体の感覚が冴えてくるようにさえ感じられて、やがてその気怠い苛立ちに耐えかね、りんごはむくりと身体を起こした。


 ――トイレ……。


 にでも行くことにして、どれを押せばどこが点くのかも解らない明かりのスイッチに苦労しつつも用を足して戻ってくると、ふと、部屋へ入ってすぐの所にあるクローゼットに目が留まった。


『ちなみに、そこのクローゼットは開けないでほしいの。そこには、私のプライベートな物が入っていて……』


 という翠花の優しい声が、耳鳴りが聞こえるほど静まり返った闇の中で遠く響く。


『信用しているわよ。あなたのこと』


 翠花は自分にそう言ってくれた。しかも、その言葉だけではない。料理から風呂からテレビゲームから、ありえないほど自分を温かくもてなして、対等に扱ってくれた。


 だがそれでも、りんごの頭にどうしても思い浮かぶのは、これまでに巨乳派にされた数々の仕打ちなのだった。


 暴力や悪口。物を隠される、壊される。自分にそのようなことをしてきたのは、決して純だけではない。周りにいた巨乳派のほとんど全員が、直接的あるいは間接的にそれをしてきた。


 ――違う、翠花さんは違う。


 翠花は勇登が女神として選んだ人間なのだし、何より貧乳であった妹のことで辛い過去を持っている。そんな翠花が、他の巨乳派と同じわけがない。


 ――でも、もしかしたら……。


 自分の中の自分が、耳元でそう囁く。息が浅くなり、鼓動が早くなる。まるで闇が心の中へ忍び込んで来たように、胸は不安ではち切れそうになる。


 ――ほんの少しだけ……。


 違うなら、ただそれだけで構わない。この中に何があろうとも、違うのであれば自分は全てを忘れる。この中にある物が常識では信じられないものであろうと、翠花のパートナーとして生きていく。


 りんごは固く心にそう誓い、闇の中を一歩一歩ゆっくりと歩いてクローゼットの前に立つと、その扉に指をかけ、ゆっくりと手前へ開いた。


「……えっ?」


 不意に人と目が合って、りんごはギョッとした。だがこんな所に人がいるはずもない。よく見ると、少し大きめの写真が奥の壁に飾られているのだった。暗くてよく見えないが、どうやらそれは翠花の妹――和花の遺影らしかった。


ひょっとして、これは翠花が妹のために自分なりに用意した祭壇なのだろうか。そう気がついて、りんごは自分が翠花に少しでも疑いを持ってしまったことを後悔したが、その写真を取り囲むようにして、その左右や下にぎっしりと何かが積み置かれているのが目に入った。


DVDのケースらしきそれを手に取り、闇の中でそれに目を凝らす。と、


「どうして? どうして、そんな所にいるの……?」


突然、背後で冷たく細い声がした。


その声は静かで、だがその底には思わず総毛立つような怒りの感情がどろりと流れていた。りんごは思わず肩をすくめたその姿勢のまま動けなくなり、すぐ背後に立っているらしい翠花の気配に耳をそばだてる。


 が、まるでつい今耳にした声が勘違いだったかのように背後では物ひとつせず、先ほどまでの深夜の静寂が部屋には満ちている。


 気のせいだった? そう思いながら、おずおずとりんごが背後を見ると、


「ひっ!?」


人形のように大きな翠花の目が、闇よりも暗い色を湛えながら、すぐ背後でこちらを見下ろしていた。りんごは驚きのあまり腰から力が抜け、その場に尻餅をつきかけるが、どうにかクローゼットの棚に手をついてそれを堪える。


 幽霊のように真っ白なネグリジェを身に纏った翠花は、表情一つ動かさないままこちらを見下ろし、


「この美しく神聖な場所に入り込むなんて……許さない……!」

「ご、ご、ごめなんさい! でも、別に悪気があって見たわけじゃ――」

「絶対に許さない! その命をもって償いなさい!」

「っ!」


翠花が、何か鈍器らしき物を持った右手を闇の中で振り上げた。りんごは咄嗟に頭を抱えてしゃがみ込む。と、


 パンッ! 


 という綺麗な音が頭上で鳴り響き、


「……ふぅ」


 翠花が安心したように息をついたのだった。


 どういうわけか、なんの痛みも感じない。頭を抱え、破裂音に目をギュッと瞑っていたりんごは、その目を薄く開けて翠花を見上げる。すると、


「どうしたの、りんご?」


という翠花の声と共にパチリという音がして、痛いほどの光が目に差し込む。だが、それはどうやら単に部屋に明かりが点けられただけであった。


「全く……一体どこから入り込んだのかしら……?」


 翠花は手に持っていたスリッパの底を見て顔をしかめ、それからその目をこちらへ向け、キョトンと小首を傾げる。が、ハッと何かに気づいたように噴き出し、


「もしかして……りんご、そのクローゼットを見たから、私に叩かれるかもしれないと思ったの?」

「え? いや……」


 もごもごと口の中でしかものを言えないほど混乱するりんごに、翠花がクローゼットへと目を向けて言う。


「でも、あなたは見てしまったのね。私の秘密を……」


 え? とクローゼットの中を振り返ると、そこにはやはり翠花の妹の写真が飾られている。何かの集合写真から、その胸から上を切り取って拡大したようなその写真の中で、どこかギコチない恥ずかしげな微笑を彼女は浮かべている。


「これって……祭壇ですよね?」


 これが秘密? そう訝るりんごに、翠花はどこか気まずそうな笑みを浮かべながら目を伏せ、


「ええ。でも、別にそれが秘密なのではなくて、その周りにある物が……」

「周り?」


 と、写真の周りに置かれている物へと目をやると、それはDVDのケースではなく、テレビゲームのディスクを入れるケースであった。だが、ゲームを趣味にしていることくらい、もう自分は知っている。なのに、どうしてこれが秘密?


 りんごはさらに困惑しながら、先ほどから自分が手にしていたケースへと目を落として、ようやく気がついた。


「これって……」


手の中にあった物、そしてクローゼットの中にうずたかく積み上げられていた物は、いわゆる恋愛ゲームであった。

 

 それも、『妹』、『いもうと』、『シスター』、『SISTER』、そのどれかしらの言葉が必ずタイトルに入った、妹との恋愛を楽しむらしいゲームなのだった。


 その『妹』の洪水の前にりんごが呆然としていると、


「やっぱり、気持ち悪いわよね……?」


と、手からスリッパを落として翠花がその目を潤ませた。


 その涙に驚き、りんごはすぐにその言葉を否定しようとするが、スリッパの裏に張りついていたゴキブリの死骸を見て思わず、「うっ」と退く。すると、その反応で勘違いをしたのか、翠花の目からいよいよ涙が大粒となって溢れ出すのだった。


「そうよね。気持ち悪いわよね。もういなくなってしまった妹のことを想いながら、そんなゲームをしているなんて……! やっぱり、私なんてもう死んだほうが……」

「ち、違います。わたしは別に――」

「けれど、しょうがなかったのよ。気がついたら、こうなってしまっていたの。妹がいなくなって、私は色がなくなったような世界で毎日を生きていた。そんな時に、ふと街で彼女の笑顔を見つけたの……。大好きな妹と全く同じ笑顔が、画面の中にはあったのよ」

「翠花さん……」

「気がついたら、私はもう彼女たちなしには生きられなくなってしまっていた。貪るように、見境もなく『妹』に手を出して……あなたも気づいていたかもしれないけれど、私があなたを進んでこの家に招き入れたのも、それと似たような理由よ。あなたの中に、妹と同じ顔を見てしまったから……」

「…………」


 なるほど。と思う部分があった。


 亡き妹のため、妹と同じ運命を辿る少女をこれ以上生まないために戦うことを決めたのにしても、仲間になって間もない人間を自宅に引き入れて、ここまで何もかももてなすことができるだろうか? 普通はできないに決まっているのだ。自分が翠花に覚えていた違和感の一つは、これだったのだ。


 だが、翠花にそんな裏があって、自分をここへ招き入れていたのだとしても、はたまた妹とイチャイチャするゲームを大量に所有していたとしても、


「いえ、翠花さんは気持ち悪くなんてありません。翠花さんは、わたしには理解できないような悲しい思いをしてるんですし……わたしがどうこう言えることでもないと思います。

 っていうか、おかしいのはわたしのほうです。ごめんなさい、翠花さん。見るなって言われてたのに、翠花さんのプライベートな場所を勝手に見て……」

「りんご……」


 翠花は驚いたようにか細い声を漏らし、


「いいえ、いいのよ。りんご……」


と、りんごに頭を上げさせて、翠花は濡れた目を細めて微笑む。


「あなたがそう言ってくれると解っていれば、私は隠したりなんてしなかった……。私は実はこういう人間なんだって、誰かに知ってもらって、それで受け入れてもらいたいって、ずっとそう思っていたのだから……」


 そうこちらを見つめる翠花の笑みは、まさしく女神のように輝いていた。明るい色の涙がキラキラと宝石のように目元を輝かせ、もし自分が男だったら、この表情を見た瞬間にきっと恋に落ちていただろう。


 などということをりんごは思わず考えていたが、ふと気になって尋ねる。


「でも、翠花さん。なんでこんな時間に、急にここに来たんですか?」

「それは……これよ」


 と、翠花は急にどこか申し訳なさそうな顔になりながら、その足元、畳の上にいつの間にか置かれていた箱を見下ろす。


 それは、テレビゲームの本体を入れる箱だった。だがこの箱は、先ほど一緒にゲームをして遊んだ後、翠花がその本体やコントローラーを丁寧に箱へ入れ直し、それからテレビ台の後ろへとしまっていたはずである。


が、どうやら再びそれを持ち出してここへ運んできたらしい翠花は、顔を真っ赤にして身体をもじもじさせ、まるで内気な小学生のようになって言う。


「さっき、りんごとゲームをしたのがとても楽しかったから、なんだか目が冴えて眠れなくて……。りんごもまだ起きている物音がしたから、それで――」


 ぷっ。と、りんごは思わず噴き出してしまう。すると、翠花はハッとしたようにその目を上げて、しかしまたすぐに目を伏せる。


「そうよね。こんなことで眠れなくなるなんて、まるで子供みたいでおかしいわよね……」

「いえ、確かにおかしいかもしれませんけど、いいと思います。ただのテレビゲームが好きな女の子。いいじゃないですか。とても可愛いと思います」


 やはり翠花は自分と同じ、一人の人間なんだ。自分に自信がなく、等身大の自分を受け入れられることに慣れていない一人の女の子なんだ。


 ポカンとしたような顔でその場に立ち尽くしている、お姫様のような白いネグリジェに身を包んでいる翠花を見てりんごはそう思い、翠花へと向かって一歩を踏み出し、


「じゃあ、やりましょう。どうせ明日は休みなんだし、翠花さんの気が済むまで、とことんつき合ってあげようじゃないですか」


 置かれているゲーム機本体の箱を持ち上げ、一足先にリビングへと入っていった。


 ――案外、ホントにいい友達になれるかも。


 そんな、どこか懐かしい高揚感を覚えながら。

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