巨乳の女神。その2
がしかし、それが姿を見せたのはほんの二秒ほどで、すぐにすぅっと空気へと溶け消えてしまう。
「あれ? 消えちゃった……?」
「お前自身でもさっき言っていたが、今は何かを守りたいなどという強い意志が薄いためだろう。その意志なしに、ヴァイスはエアパイツを形とはなりえない」
「でも、今のは確かにエアパイツ……。エアパイツは巨乳の人しか持てないはずなのに、どうして……?」
と、りんごの後ろで呆然と立ち尽くす御山を、勇登は毅然と見つめる。
「エアパイツ強化装置を身につけているからです。ちなみに、これを開発したのは貧乳派ではなく巨乳派です。ヴァイスを多く持たない者でもエアパイツを使えるようにするために、内密にこれの開発をさせたのです」
「なぜ? どうして、そんなものの開発を……?」
「乳安委員会は、余計なものを取り込みすぎたのです。乳などではない、ただの贅肉を胸に携えた人間たちに、委員会は既に掌握されていると言っても過言ではないのです」
「…………」
御山もまたそれについて思うところがあるのだろう。その伏し目がちな目がまた下を向き、薄い桜色の唇にわずかに力がこもる。
勇登はりんごの隣に立ちながら、御山と向き合う。
「僕たちで、いや、りんごとあなたで、この世の欺瞞に満ちた理を塗り替えるのです。一人でならば、確かに不可能です。しかし二人でならば、きっとやり遂げられる。二人の調和が織りなす、『ワンステージ上のエアパイツ』があれば」
「ワンステージ上のエアパイツ……?」
御山が訝しげに呟き、りんごもまた不思議そうにこちらを見る。
「何よ、それ? あたしも初めて聞いたんだけど……」
「すまない。しかし、これが可能であるかどうかは、御山さん、あなたの乳を確かめてみてからでなければ解りません。ですから、どうかお願いします。あなたの乳を僕に見せてください」
気がつけば伏せられてしまっている御山の澄んだ黒瞳を、勇登は掴んで放すまいと真正面から見つめる。御山は息を止めたように表情を強張らせながらこちらを見つめ、
「……解りました」
と、その瞼を静かに下ろした。
「――そう、言ってあげたいところなのですが、やはり協力はできません」
「な、なぜですか?」
御山ならば協力してくれると、ほぼ確信していた。思わぬ御山の返事に勇登が愕然とすると、御山は床へと向けたその目を潤ませて、
「すみません……。私は先ほど、あなた方に嘘をつきました」
「嘘?」
「はい。先ほど私は、『新原さんが戦えないのだから、私ひとりで戦うことになる。だから、あなた方には協力できない』のだと……そのようなことを言いました。しかし実はそう言った私こそ、エアパイツを持っていないのです……」
「そんな」
と、りんごが一歩踏み出る。
「あたし、聞いたことがあります。あなたは十六歳になる前からエアパイツを持っていた、高等乳民の中でもエリート中のエリートだって。確か、長さが二メートル以上もある薙刀のエアパイツ――『天の雷』って呼ばれるエアパイツを持ってるって」
「ええ。確かに私は、乳安のおっぱい検定を初めて受ける前からエアパイツを持っていました。……でも、あなたも知っているんでしょう? 私は二年前のある日、私の守るべき人を……妹を失ってしまったの。それ以来、私は……」
「エアパイツを、失ってしまった……?」
そう勇登が語を継ぐと、御山はこくと小さく頷いた。
「ごめんなさい……。やっぱり、そうですよね。私は本当に役立たずで、死んだほうが人のためになる人間なんです……」
「え? ええっ? い、いやいや、なんで急にそんな話になるんですか! っていうか、御山さんがそれなら、あたしなんて生まれる価値も……」
そうだ。御山さんはエアパイツを失ってしまっている。これは少し考えれば解る、当然の話だ――
うなだれる御山と慌てるりんごを呆然と見つめながら、勇登は全身から血の気が引いていくのを感じていた。
『彼女』の存在は、勇登にとってだけでなく、御山にとっても非情に大きな存在だったに違いないのだ。こんなことに、どうして気づけなかったのか。勇登は自らの浅はかさに、呆然と声を失う。
沼底まで沈みきったような沈鬱な雰囲気の中で、りんごが狼狽した様子で勇登の肩を掴む。
「勇登、どうするのよ? っていうか、あんた、御山さんのこともちゃんと調査してたんでしょ? なのに、こんな大事なことも知らなかったの?」
「ああ。おっぱい博士の異名を持つ俺も、まさかこんなことまでは調べられなかった。いや、というか、このことについて知っている人間など、乳ワールドに誰一人としていないのでは?」
「ええ……。決闘などしないのは当然として、そもそも普通に暮らしていて、エアパイツを使うことになる機会など滅多にないですし……」
御山は悄然と言い、膝のあたりまである長い紺色のスカートを揺らして、先ほどまで座っていた長椅子に再びとすんと腰を下ろす。
勇登はその場にじっと立ち尽くし、赤絨毯の敷かれた床の一点をじっと見つめ続ける。そんな勇登の横顔を、りんごは息を呑んだように見つめ、やがて何か言いたげに口を開いたが――それと同時、勇登はダッと駆け出し、御山の前に土下座をした。
え? と驚きの声を発する御山に、勇登は床に額を押し当てながら懇願する。
「お願いします、御山さん! どうか、りんごをあなたの新しい妹にしてやることはできませんでしょうか!」
は? とりんごがぽかんとしたような声を出すが、構わず続ける。
「あなたは大切な妹という、守るべき存在を失った。それでエアパイツを出せなくなってしまった。それなら、りんごを新たな妹、守るべき存在とすれば、エアパイツを再び出せるようになるかもしれません! ですから、どうかお願いします! りんごをあなたの妹にしてやってください!」
「ちょ、ちょっと! 何言ってんのよ、あんた!」
と、りんごが勇登の背中を強く掴む。
「焦るのは解るけど、冷静になりなさいよ! あんた、自分がどれだけバカなこと言ってるのか解ってるの? っていうか、あんたもそれでいいの?」
「人として間違ったことを言っているのは理解している。しかし、御山さんがいなければ、この計画は全ておしまいなんだ。何もかも、ここで終わってしまうんだ!」
「でも……」
「御山さんも少しは時間がかかるかもしれないが、お前であれば、遠からず妹のように思うことができるようになるかもしれない。本当の妹とはなれなくとも、お前を妹のように愛おしく感じてくださる可能性は充分にある!」
「そ、そんな無茶なこと――」
「新原さんが、私の妹に……」
と、御山がぽつりと呟く。
見ると、御山は目をパチクリさせてりんごを見つめている。その目には、わずかに喜びの火が灯っているようにも見えなくはない。
そう思っていると、こちらがまじまじと見つめ返していることに気づいたのか、ハッとした様子で居住まいを直し、どこかお澄まし顔を作りながらりんごに尋ねた。
「ならば、新原さん、あなたに一つ、訊いておきたいことがあります」
「え? は、はあ」
「正直に答えてください。あなたは、私のこの大きな胸を見て、どう思いますか?」
「む、胸を見て、ですか?」
りんごは戸惑ったように反芻し、それから助言を求めるように勇登を見る。が、それを許すまいとするように、
「正直な、あなたの気持ちが聞きたいのです」
と、御山が釘を刺す。
りんごはびくりと御山に向き直り、それから床についている小さな両膝をじっと見下ろした。




