巨乳の女神。その1
三階の東廊下、その最も奥にある扉を、勇登は静かにノックする。と、
「……はい」
中から、風鈴の音のように繊細で弱々しい声が返ってくる。
失礼します。そう挨拶しながら部屋へ入ると、そこには膝の上に本を載せながら長椅子に腰かけている一人の女性の姿があった。
そして、その居住まいを目にした瞬間に、勇登の心はその人に掌握されてしまった。
座った椅子につくほどに長い、日本人女性特有の美しさである青々とした黒髪。肩はまるで子供のように細く華奢で、しかしその華奢な身体では支えきれないのではないかというほど、胸の膨らみは濃紺色のセーラー服を突き上げている。
だが、そんな大きな胸とは対称的に、顔の作りは芸術品のように繊細で細やかで、その顔の大きさは乳房よりも一回りは小さい。
――そう、この人だ。この人こそがもう一人の女神だ。
匂い立つような美しさ。その言葉は、きっとこの人のためにあるのだ。
小筆ですっと線を引いたような細い眉をハの字にさせて、深い知性と慈愛の心を感じさせる目に涙を浮かべている女性――御山翠花を前にして、勇登はゴクリと生唾を飲んだ。
すると、そう声を失ってい勇登に、御山が今にも泣き出しそうな目をしながら、その透き通るような声をさらに細くして尋ねてきた。
「あの……何か、ご用でしょうか?」
その声で、勇登だけでなくりんごもようやく気を取り直したらしい、慌てたように勇登の腕を小突き、勇登も思わずわたわたとしてしまいながら口を開く。
「突然、訪問して驚かせてしまい、申し訳ありません。僕は富士岡勇登と申します。今日は、あなたにお願いがあって、ここへ来させていただきました」
帽子を脱ぎ、続けてカツラも脱いで、深々と頭を下げる。
「見ての通り、僕は男です。男でありながらここへ立ち入ったことを、どうかお許しください」
「だ、男性……? 男性が、どうやってこんな場所まで……?」
「驚かせてすみません」
と、りんごが場を取り繕おうとするように一歩踏み出る。
「でも、大丈夫です。あたしたちは、別にあなたに何かをしようと思って来たわけじゃないですから。ただ、ちょっとお願いがあって来ただけで……」
「お願い……?」
怯える幼女のように眉を顰めながら、御山は膝の上に載せていたハードカバーの本をその巨大とも言える胸にぎゅっと抱き寄せる。
真っ赤な布が張られた一対の長椅子と、その間に置かれた木目のテーブル。部屋の奥に壁を背にして執務机があるが、ただの電話置き場のように、その上には黒電話以外の何も置かれてない。格子窓の外は既に完全な夜が広がっているが、毒々しいほど赤いカーテンはまだその脇で巻かれたままである。
長椅子の脇に置かれた学生鞄以外、生活感を感じさせるものがない部屋の景色を今更ながらちらりと見回し、盗聴器はともかく監視カメラらしきものがないことだけは確認しつつ、勇登は数歩進み出て床に片膝をついた。
不必要な不安を早く解くためにも、勇登は従順な騎士のごとく御山に頭を垂れる。
「僕たちは、この世の理に異を唱える者、乳ワールドに革命をもたらさんとする者です」
「革命……?」
「はい。ただ乳の大きさのみを絶対的な正義とし、その力でもって暴政を振るう。そんな巨乳派のやり方に対して、あなたもまた辟易しているはずです。
誰よりも美しく、誰よりも大きな乳、そしてそれだけでなく誰よりも美しい精神を持っているあなたにとっては、今の世は我慢ならないものであるはずです。
しかし、自分にはどうしようもない……。あなたは、そう諦めているのではありませんか?」
「私が……? わ、私は……」
と、御山は長い睫毛を伏せながら目を泳がす。が、その目がりんごを捉えた一瞬、何かに気がついたように驚きの色を宿したのを勇登は見逃さなかった。
「そうです。曇りなき目を持っているあなたには解るはずだ。この少女の――新原りんごという少女の存在自体が、巨乳派の敷いた価値観を破壊するものであることが。つまり、りんごが一つの時代を変えうるほどの美しさの持った、圧倒的な美の塊だということが」
勇登はそう言うと、後ろで顔を赤くして狼狽えていたりんごを見やる。
「りんご、頼む。御山さんに見せてやってくれ」
「へ? 見せるって、何をよ」
「お前の乳をに決まっているだろう」
「はぁ? バ、バカじゃないの? ふざけんじゃないわよ」
「大丈夫だ。彼女はお前を醜いなどとは思っていない」
勇登はそう確信するが、りんごは勇登の突然の言葉に動転した様子で、まるで怯えるような表情をしながら皆を見回し、御山に比べて断然に平らかな胸を隠す。
「そ、それだけは絶対イヤっ! こんな身体、見せたくない!」
「見せて……もらえますか?」
りんごの怒鳴り声を、御山の柔らかな声が受け止めた。
え? と、りんごがキョトンとした顔で御山を見ると、御山はあたかも目上の人間に懇願するように、憂いに閉ざされたようなその目で上目遣いにりんごを見つめる。
「もし構わないなら、あなたのおっぱいを見せてほしいのですが……」
「ど、どうしてですか? あたしのおっぱいなんて、別に見たって……」
「自らの目で確かめることは、何よりも大切ということだ。頼む、りんご。これは必要なことなんだ」
勇登が立ち上がりつつ静かにそう言うと、りんごは躊躇した様子で沈黙した。しかし、やがて決意したようにその大きな目を力強く見開き、
「解りました」
硬い表情で小さく首肯する。御山のすぐ傍まで歩み寄り、勇登へは背を向ける形で立つと、どこか恐る恐るとその上着を胸の上までたくし上げた。すると、
「これは……!」
梅雨の空のように湿り続けていた御山の表情に、爽やかな風が吹き抜けたような輝きが宿った。その透き通るように白い手を、思わずといった様子でりんごの胸へと伸ばす。
「雪のように白い肌。ほんのりと桃色をした、つんと上を向いた綺麗な乳首。細くくびれた腰、細いヘソ……」
「っ……あ、あの……」
御山の繊細な愛撫に堪えかねたように、りんごがやけに艶のある声を出す。それでもなお、目を奪われたようにりんごの身体を凝視し愛撫し続ける御山に、勇登は言う。
「『女神派計画』です」
「え?」
「それが、僕の計画の名前です。あなたと、今あなたの目の前にいるりんご、そのたった二人の頂点――二人の女神による乳ワールドの支配。それによって実現される、女性たちが皆ほぼ完全に平等である世界……。それを実現させたいと、僕は考えています」
しかし、と勇登はつけ加える。
「その前に、あなたに一つお願いがあります」
「お願い……?」
「ちょ、ちょっと、まさか……」
御山からようやく解放されたりんごが、その上着を着直しながら何か察したように慌て出す。おそらくその勘は当たっているが、これはやらねばならないことである。
「はい。御山さん、どうか、あなたの乳を僕に見せていただけませんか」
「え? わ、私のおっぱいを、ですか……?」
「そうです。しかし、勘違いはしないでください。僕は、単にあなたの乳の美しさ、肉体の美しさを確かめたいだけなのです。あなたが世界の女神になりうるかどうかという最後のチェックを、僕は自らの直接的な感覚で確かめたいのです」
「…………」
御山は、不安に高鳴る胸を押さえるように、セーラー服の真っ赤なスカーフへ手を触れ、その目を弱々しく落とした。しかし、ふと何か思い出したようにこちらを見上げる。
「あなたは、富士岡さん……というのですよね? ということはつまり、あなたは富士岡副委員長の……」
「はい、そうです」
隠すことでもない。勇登は決然と頷く。すると、
「え……ええええっ!? あんた、副委員長の息子なの!?」
りんごがその顔全体に驚きの色を広げながら大声を上げる。が、自分たちは今敵の本陣に潜入しているところなのである。静かにしろ、と勇登が注意すると、りんごは慌てたように口を押さえる。
「なるほど、そうですか……」
と、御山は再びその目をあえかに伏せ、
「特に話をしたことはありませんが、あなたのお母様もまた色々と苦労なさっていると聞きます。しかし、あなたは男性です。男性であるあなたが、なぜ戦うのですか? 不遇を受けるお母様の恨みを晴らすため……?」
「いいえ、違います。僕はむしろ母を……いえ、今はそのようなことはどうでもいいですね。ともかく、僕は僕のため、そして、あなたの妹のために戦っているのです」
「妹の……? まさか――」
御山の伏せがちな目が、ハッと驚きに見開かれる。勇登が無言で頷いて見せると、訝しげに二人の顔を見比べていたりんごが、鋭く察して言う。
「え? 何?『御山さんの妹のため』って、なんであんたがそんなこと……え? もしかして御山さんって、あんたが昔好きだった女の子のお姉さん……?」
答えるまでもなく、その通りだ。勇登は沈黙をもってそう答え、御山はその目に深く陰を浮かべながらこちらを見る。
「……私と共に世界に復讐を。そういうことですか?」
「復讐でないと言えば、嘘になります。しかし、目的はそこのみにありません。たかが乳の大きでその命の価値までを決められ、涙を流す女性が大勢存在する世界。こんな馬鹿げた世界を変えるためにも、僕は戦いたいと思っています。この感情もまた本当です」
「無理よ、そんなこと……」
と、御山はその細腕を膝の上へ力なく下ろす。
「新原さんは、確かに思わず目を見張るほど美しい……。けれど、戦うことはできないのでしょう? 戦うことができないのに、どうやって……」
「やはり、あなたはご存じないようですね」
りんごの乳を見て、りんごはエアパイツを持っていないと確信したのだろう。その予測はある意味、間違っていない。しかし、今は話が違う。怪訝そうにこちらを見た御山に勇登は微笑み、
「御山さん、あなたは先ほど、りんごが妙な下着をつけているのを見ませんでしたか?」
「え? ええ、そういえば、やけに、その……大胆なモノをつけているとは……」
「それは、エアパイツ強化装置と呼ばれるものです。りんごはそれを身につけることで、既にエアパイツが出せるようになっています。――りんご、その証拠を御山さんに」
「しょ、証拠? 急にそんなこと言われても、ちゃんと出るかな……?」
と、りんごは不安そうに呟きながら、自らのささやかな胸を左右からギュッと中央へ押して寄せる。が、
「あ、あれ……?」
エアパイツは出現しない。それを何度繰り返してみても、結果に変わりはない。
「やっぱり無理よ。今は別に、何かのために戦うとか、そんな気分でもないし……」
「違う、そうじゃないわ。乳拝みは、こうやってするの」
不意に御山が腰を上げ、向かい側の椅子の脇に立っていたりんごの背後に立つ。そうして、自分よりも頭一つ背の低いりんごを後ろから抱き締めるように、その白百合のような手でそっとりんごの乳を寄せる。と、
「っ、あぁっ……!?」
りんごが突然の快感に驚いたような声を上げ、それと同時、その両腕を白銀の装甲、『エルガー』が覆った。




