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乳ワールド-異世界降誕ノ章-  作者: 茅原
女神降誕ノ章
16/61

聖域への潜入。その2

 門から真っ直ぐに奥へと伸びる石畳の路地を挟んで、左右には幾何学模様を描きながら対称的に生け垣が植えられ、それぞれの中央あたりには大きな噴水が見える。


 上からここを見たなら、きっと女性の乳房を描いたような庭園になっているのだろう。


 そう思いつつ、ぽつぽつと置かれた白いベンチに腰かけて談笑している女性たち――その大きな乳を半ば放り出すようにして見せている西洋風ドレスに着飾った『高等乳民』の前を、勇登とりんごはやや俯きながら歩いて行く。

 

 どうやら彼女たちにとって警備員とは、その傍らに控えさせている貧乳の女性――自らに仕えさせているメイドと同じく、注意を向ける価値のない存在らしい。


 りんごにもそう感じられてきたのか、りんごは勇登の脇を肘で小突いて言った。


「ねえ、あんた、巨乳は嫌いなんじゃなかったの?」

「そうだが、どうした?」

「巨乳が嫌いなのに、そんなのくっつけていいわけ?」


 と、りんごは勇登の大きく膨らんだ胸を見る。


 何を言うかと思えば。りんごの視線を追って、女装グッズを身につけ巨乳と化した自分の胸を見下ろしてから、声を潜めて言う。


「だから、言っただろう。俺は巨乳派が嫌いなのであって、巨乳が嫌いなわけではない。それに、巨乳の警備員も一緒にいたほうが警戒されないだろう」

「そうかもしれないけど……あんたが巨乳なの、なんか腹立つわ」


 そんなことを言われても、どうしようもない。通路正面、やや小高い位置に見える一軒家よりも一回り大きな建物へ目をやりつつ肩をすくませると、りんごは緊張のために黙っていられない様子で再び尋ねてくる。


「ねえ、ところで、さっきの門番の人は誰なの? 信用できるの?」

「俺の古い友人だ。もちろん信用できる」


勇登はそう答え、それからつけ加える。


「おい、りんご。お喋りはいいから、今は胸を張って堂々と歩け。ここで捕まれば、全ておしまいなんだからな」

「わ、解ってるわよ、それくらい……」


 と、りんごは帽子の短いツバの陰に目を隠しながら、やや前屈みにしていた背を伸ばす。


 そうしてしばし、この庭園の大通りとなる通路を真っ直ぐに進むと、やがてその路はロ状になるようにして一旦二手に分かれる。


 そのロ状になった通路の中には、牧場を囲うような柵がぐるりと設けられ、さらにその中には石造りの正方形のステージがある。


 広さは学校の教室よりも二回りほど広いくらいだろうか、そのステージこそが、乳民と乳民が互いの意地を懸けてエアパイツをぶつけ合う『乳技場』なのだった。


 勇登は始めて目にする何もかもに、思わず感嘆の声を漏らす。


「これが乳技場、そして『乳聖石の聖像』か……」


 ロ状になった通路の、門とは反対側の位置には、真っ白な石――母乳の結晶から作られた高さ三メートルほどの像が建っている。


 それは椅子にゆったりと腰かけた乳の豊かな女性の像で、その腕の中には男の乳児が柔らかく抱きかかえられている。


 乳児がその小さな手を伸ばす母親の右の乳からはちょろちょろと噴水が噴き出し、像の周りはその垂れ落ちた水を溜める小さな池になっている。


 外灯にほの暗く照らされたその池の周囲を迂回するように設けられている石畳の通路をさらに奥へと進みつつ、りんごは強張った顔で頷き、


「そうよ。そして、これが――(にゆう)キャッスル」


 と、通路の行き止まりから十段ほど階段を上った位置に優雅に建っている、これもまた左右対称の構造をした建物を見上げる。


 レンガではなく、砂岩を切り出してそれをそのまま使ったような石で作られたその三階建ての建物は、まるで一国の城のように堅牢な佇まいである。


コ状に構えているその両翼を左右へ伸ばしたなら、その幅五十メートルはあろうかという巨大な建物の全ての窓には明々と橙色の明かりが灯り、まるでクリスマスの夜を祝う貴族屋敷のような絢爛さを周囲の闇へと打ち放っている。


 その眩さから目を守ろうとするように俯きながら、りんごはそこへと続く石階段をゆっくりと上っていく。


「全国の乳パラダイスの総本山、そう呼ばれてる場所。

 乳ワールドを経営するための色んな事務を行う部屋とか会議室とかだけじゃなくて、特に身分の高い乳民に与えられる部屋とか、あとはパーティを開くダンスホールとか……そういうのがある場所よ」

「ダンスホール……か。度の過ぎた貴族ごっこだな」

 

 勇登はそう吐き捨て、階段を上りきった先に見える乳キャッスルの玄関へと突き進んでいく。


「だが、驕れる者は久しからず、巨乳派の時代も間もなく終わりだ。行くぞ、りんご。男は正面突破あるのみだ」

「いや、あたし女なんだけど……」


 勢いを折るようなりんごの一言を聞きつつ、勇登は両開きの厚い木の扉をそっと押し開けた。


 中へと入ると、廊下には煌々と明かりが点されているにも拘わらず、ほとんど人の気配はない。


 真っ白な壁に反響してどこからともなく話し声のようなものは聞こえてくるが、床に敷かれた分厚い赤絨毯のためか、耳を澄ましても足音は一切聞こえない。


 左右へと分かれ、その少し進んだところで建物の正面側へと折れている廊下を注意深く見渡し、それぞれに一つずつ見える木の扉に動きがないことを確認すると、勇登は正面に見えている階段へと足を踏み出す。


同じく赤絨毯の敷き詰められた、中間に踊り場があってそこから折り返して二階へと続く階段を上っていると、りんごが尋ねてくる。


「あんた、御山さんの部屋がどこにあるのか解ってるのよね? あたしは全然知らないんだけど……」

「心配するな。それくらいはちゃんと調査済みだし、案外簡単な造りだから迷うこともなさそうだ」

「そう。それなら――」


 二階へと着いて、ちょうどその瞬間だった。あ、とりんごが小さな声を漏らし、さっと顔を伏せる。


 どうやら二人の足音が三階から下りてきている気配は、勇登は既に察していた。しかし、まさかそれが見知った顔――委員長と、その娘である純だとは思わなかった。


 レディーススーツ姿の委員長と、セーラー服姿の純、二人の姿を見て勇登は思わずギョッとしたが、逃げ場はない。ただバレないことを祈りつつ脇へとよけて、二人が前を過ぎ去っていくのを顔を伏せて待つ。


 何かよほど嬉しいことがあったのか、委員長の先を歩く純は小さく鼻歌を歌っている。それに反して、委員長がやけにぐったりとした足取りで歩いているのが不思議だったが、どうにか運良く二人は何も言わず階下へと向かっていってくれた。


 と、思ったのだが、


「あんた、りんごじゃない?」


 階段の中ほどで足を止めて、純がこちらを振り返った。


 マズい。と息を呑むが逃げようもなく、勇登は階上へと足を踏み出すようにして純から顔を隠す。


 と、純はその大根足で階段を踏みしめて二階の廊下へと戻ってきて、りんごの前に立ち、嘲笑の混じった声で言う。


「やっぱりそうじゃない。あんた、どうしたの、その格好? 警備のバイト?」

「う、うん、まあ……」

「へえ、そうなの。でもまあ、そんなことはどうでもいいわ。それよりあんた、一週間後の決闘、逃げるんじゃないわよ。絶対に観客の目の前で、あんたを正真正銘の敗者にしてやるんだから。解ったわね」


 純はやはり上機嫌にそうまくし立てると、それで満足したように委員長と共に階段を下りていく。


「ああ、ビックリした……! でも、あんたまでバレなくて助かったわね」


 全くそのとおりであることを言いながら、りんごは勇登の隣へ並ぶ。思わず頬に浮かんだ冷や汗を手で拭いながら、勇登は御山の部屋がある三階へと続く階段を上り始めるが、あ、とりんごが再び驚きの声を漏らし、


「ちょ、ちょっとあんた! おっぱいが……!」


 と、勇登の腹あたりを指差す。


「な、何っ!?」


 その指し示す先を見て、勇登は慄然とする。


 腹が異常に膨らんでいる。だが、それは腹自体が膨らんでいるためではない。胸にヌーブラのように付着させていた疑似乳房が汗で滑り、ベルトの上までずり落ちてしまっていたためである。


 しかし、この凄まじく垂れてしまったおっぱいを直している暇はない。


 なぜなら、それに気がついた直後、三階の廊下からまたも人の気配が近づいてきたからである。どうやら二人連れであるその女性たちは、既にこちらへむかって階段を下りてき始めている。


 どこにも逃げ場はない。ならば、と勇登はりんごの肩を掴み、りんごを壁へ叩きつけるようにしながら、その小さな顔へ自らの顔を近づけた。


「い、今は我慢してくれ……!」


 瞳孔が開いたりんごの鳶色の瞳を間近から見つめながら、勇登は囁く。


 りんごの吐息が熱く感じられるほど顔を寄せて、使っているシャンプーの香りだろうか、いつもより濃くなったその花のような匂いの中で身を強張らせていると、やがて階段を下りてきた女性たちの声がピタリと止んだ。どうやらこちらに気づいたらしい。


 ――頼む。さっさと行ってくれ……!


と、りんごの肩を掴む手に思わず力がこもったその直後、不意に勇登の唇が熱さに包まれた。


 りんごの伏せられた長い睫毛が、あやうくこちらの目に刺さりそうなほどに迫っている。その両手は勇登を引き寄せるように背中へと回され、その指の感触がこそばゆい。


「……!?」


 なぜか、自分はりんごとキスをしていた。


 一瞬、思わず息を噴き出してしまってからそう気づき、勇登は慌てて呼吸を止めて硬直した。りんごも同じように、勇登の唇へ唇を合わせたきり、呼吸の一つもせずに人形のように固まっている。


 するとほどなく、背後を足音が小走りするように駆け抜けていった。そうしてその二人の足音が遠くなると、小さく歓声を上げるような笑い声がそのほうから聞こえてくる。それでようやくりんごは勇登から唇を離し、


「あんた、ナメてんじゃないわよっ」


 と、勇登の胸倉を掴んで目をつり上げる。


「あたしが覚悟決めたんだから、あんたもしっかり覚悟決めなさいよ。いざという時に手を抜くなんて、男らしくない。腑抜けてんじゃないわよ」


 ふ、腑抜けて……? と、勇登はその凄みさえ感じる剣幕に思わず戸惑ったが、遅れてその言葉を理解すると、ぴしりと背筋を伸ばした。


「あ、ああ、すまない……。確かに、俺が間違っていた。悪かった」

「うん。じゃあ、行くわよ」


 唇を手の甲で拭いながら、りんごは三階へと足を向け、勇登はずり落ちた疑似乳房を手早くつけ直してから、栗色の長い髪をマントのようにひらめかせるりんごの背中に続いたのだった。

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