やさしい怪獣
昔、昔、ある国の街の近くに一匹の怪獣がいました。
その怪獣はとても優しい心を持っていました。そしていつも、街の人たちと仲良くしたいと思っていました。
しかし怪獣が街に近づくと、人々は目を剥いて逃げ出してしまいます。
「大変だ、怪獣だ。みんな早く逃げるんだ」
「できるだけ頑丈な建物に隠れるんだ。暴れだすぞ」
「遠くに逃げるんだ。捕まったら食べられてしまうぞ」
そんなことを叫びながら、怪獣の姿を見ただけで逃げてしまうのです。
逃げ惑う街の人々を見て、怪獣は悲しい気持ちになりました。
街の人たちに迷惑をかける気なんて怪獣には少しもありません。まして人々を食べようなどと考えたこともありません。
「僕はみんなに迷惑なんてかけないよ。ただみんなと仲良くなりたいんだ」
怪獣は自分が仲良くしたいだけだと叫びました。
しかし怪獣の口から出るのは怪獣の言葉です。怪獣の言葉は人間には判りません。
街の人たちには怪獣がギャオギャオと恐ろし気に叫んでいるようにしか聞こえなかったのです。
「ああ恐ろしい。あんなに叫んで。いったい何を考えているんだか」
「まったく怪獣なんてどこかに行ってしまえばいいのに」
「近くにあんな怪獣がいるなんて。怖くてたまらないよ」
街の人々には怪獣の言葉は通じませんでした。
しかし怪獣は人々の言葉は判っていました。
怪獣は自分が街の人たちに嫌われていることを知っていました。
それでも怪獣は街の人と仲良くなりたかったのです。
しかし言葉が通じない怪獣にはどうすることも出来ません。
どうすることも出来ない怪獣は、一人とぼとぼと巣穴へと帰りました。
そして、独りぼっち寂しい思いから、巣穴の奥で泣いて過ごしました。
そんなある日のことです。
蒸し暑い夜、地面が突然に激しく揺れ始めました。
そして街の近くにある火山が突然に噴火したのです。
火口から激しい爆発が何度となく起こりました。
やがて、どくどくと灼熱の熔岩が流れだしてきたのです。
流れ出した熔岩が濁流となって街に迫っていきました。このままでは街は熔岩に飲み込まれてしまうでしょう。
「大変だ。このままでは街の皆が死んでしまう」
事態に気付いた怪獣は、大慌てで山の麓へと行きました。
そして、大急ぎで岩を並べ始めたのです。熔岩の流れを止める岩のダムを作ろうとしたのです。
それは怪獣でも大変な作業でした。ですが街の人たちの為に怪獣は一生懸命ダムを作ったのです。
すんでの所で岩のダムは完成し、街は壊滅の危機から救われました。
「ああ良かった。これで街の皆は助かったぞ」
街の人々が助かり、怪獣は心の底からほっとしました。
それに自分が人々の役に立てたのです。怪獣は満足感に満ちた気持ちで巣穴へと帰っていきました。
しかし街の人々は怪獣のおかげで自分たちが助かったとは夢にも思いませんでした。
なにしろ真夜中の出来事です。怪獣がダムを作っていることに誰も気づかなかったのです。
人々は偶然岩が崩れて熔岩の流れが変わったのだと思ったのです。
「やれやれ。偶然熔岩の流れが変わって助かったぞ」
「まったく運が良かった。あのまま熔岩が街に流れたら大変なことになったぞ」
怪獣の活躍に誰も気づきませんでした。それどころか……
「おい、あそこを見ろ。怪獣がいるぞ」
「なんでこんな時に怪獣が山の麓にいるんだ」
「そうか判ったぞ。怪獣が暴れたせいで火山は噴火したんだ」
「なんてやつだ。あいつのせいで俺たちは殺されるところだったんだ」
なんということでしょう。
それどころか、人々は怪獣のせいで火山は噴火したのだと思ったのです。
「もう嫌だ。怪獣が近くにいる街なんて嫌だ」
「なんとかあの怪獣を退治出来ないのか」
「よし。皆で王様に頼んで怪獣を退治してもらおう」
火山が噴火したは怪獣のせいだと勘違いをした人々は、怪獣を退治してほしいと王様に頼み込んだのです。
「そうか。あの怪獣が火山を噴火させたのか。しかたない。それでは退治するしかないようだな」
王様は怪獣ことを以前から知っていました。
ですが、怪獣はたまに街の人々を驚かせるだけで、特に悪いことをしていないことも知っていたのです。
それで今までは怪獣を退治しようとはしませんでした。
しかし怪獣が火山を噴火させたとなっては放置するわけにはいきません。
人々の頼みを聞いた王様はすぐに国中の鍛冶屋を集めました。
怪獣を倒すための特別な大砲を作らせる為です。
それから間もなく、大砲は完成しました。怪獣を退治するための特別な大砲です。
「この大砲は素晴らしいです。怪獣の分厚い皮膚を貫けるだけでなく、弾を連続で100発以上打てるのです」
誇らしげな顔をした鍛冶屋たちは王様に説明しました。
「なるほど素晴らしい大砲だ。これなら怪獣を倒せる。よし、私が指揮をして怪獣を倒そう」
そう言うと、王様は沢山の兵隊たちの中から特に優秀な50人を選び、怪獣との戦いの準備を始めました。
数日後、準備を終えた王様はついに怪獣討伐に乗り出しました。
「皆の者、今日こそは憎き怪獣を倒すぞ。この国の平和を守るのだ」
凛々しい王様と兵隊たちの姿に、見送る街の人たちは声援を送りました。
「王様、兵隊の皆さん、頑張ってください」
「どうか怪獣を倒してこの国を守ってください」
「お願いです。どうか怪獣などに負けないでください」
街の人たちの声援を受けた王様と兵隊たちは、気勢を上げて怪獣の巣穴へと向かっていきました。
一方、自分を倒さんと王様と兵隊たちが迫っていることを知った怪獣は巣穴の奥に逃げ込みました。
「うう、なんで皆、僕をいじめるんだ。僕は悪いことなんて何もしてないのに」
巣穴の奥で怪獣はガタガタ震えました。
そうしているうちに、怪獣の巣穴は王様と兵隊たちによって取り囲まれてしまいました。これでは逃げることも出来ません。
王様と兵隊たちが叫びました。
「出て来い怪獣。今日こそはお前を退治してやるぞ」
王様と兵隊の声は巣穴の奥まで届きました。
その恐ろし気な声に、怪獣はボロボロと涙を流しました。
「もう嫌だ。なんで誰も僕を助けてくれないんだ」
どうすればいいのかも判らず、怪獣はただ震えて泣き続けることしか出来ません。
と、その時です。
突然に怪獣の目の前が光り始めたのです。
輝きは徐々に強くなってゆき、巣穴の洞窟全体が光に包まれました。
そして、その光の中から背中に羽を生やした男が現れたのです。
「うわ、あなたは誰ですか。いったいどこから来たのです」
怪獣が男に声をかけると、男は少しも怖がることなく答えました。
「私は神です」
「え、貴方が神様なのですか」
「そうです。私は貴方に謝らなくてはならないことがあって参りました」
「神様が僕に謝ることがあるのですか、いったいなんのことですか」
「はい。本当に申し訳ありません。この事態の責任は全て私にあるのです」
そう言うと神は申し訳なさそうな表情を浮かべました。
「私は貴方が生を受けた時に間違えてしまったのです。本来入れるはずだった怪獣の心ではなく、人間の心を貴方に入れてしまったのです」
「ええ、それはどういうことですか」
「そのせいで貴方は怪獣ではなく、人間に対して好感を抱くようになってしまったのです。人間と怪獣は決して相いれない存在であるはずなのに。全て私のミスです」
神は心底申し訳なさそうな顔で説明しました。
しかし、そんなことを言われた所で怪獣にはどうすればいいのか判りません。
「そ、そんな。今になってそんなことを言われても」
「いいえ。今からでも遅くはありません。私は貴方に本来の怪獣の心を入れようと来たのです。そうすれば貴方は身も心も怪獣に戻ることができます」
「そ、そんな怪獣の心を入れるなんて……、もし本来の怪獣に戻ったら僕はどうなるのですか」
「そうですね。身も心も怪獣となった貴方はここから外に出て、人間たちと戦うことになるでしょう」
神の言葉に、怪獣は顔を青くしました。
人間と戦うなど、心優しい怪獣は想像すらしたこともなかったのです。
「そ、そんな、人間と戦うなんて僕は嫌です。僕は皆と仲良くしたいんです」
「いいえ。それこそが間違った考えなのです。怪獣と人間は仲良くなれないのです。怪獣と人間は敵同士なのです」
「嫌です。それに戦いになったら僕は死ぬかもしれない。それに外の人間を殺すことになるかもしれない」
怪獣の必死の言葉に、神は静かに頷きました。
「その通りです。ですがそこに罪はありません。怪獣と人間はそういった関係なのです。出会えば戦うのが定めなのです」
「嫌だ。絶対に嫌だ。僕は人間と戦うなんて絶対に嫌だ」
「ですからその考えこそが間違っているのです」
「僕はただ街の皆と仲良く暮らしたいだけだ。なのになんで殺し合いをしないといけないんだ」
「……困りましたね」
神は懸命に怪獣を説得しました。
ですが、いくら神が説得をしても、怪獣は本来の怪獣の心を受け入れようとはしません。
人間の心を持った怪獣には、神の考えは受け入れられないものだったのです。
いくら説得しても聞こうとしない怪獣に、ほとほと神は疲れ果ててしまいました。
「ふぅ~、それほどまでに本来の怪獣になるのは嫌ですか」
「嫌だ。僕は人間たちと仲良くしたいだけだ。街の人たちと友達になりたいだけだ」
「……そうですか、それほど嫌ですか……、判りました。それでは貴方の願いを叶えてあげましょう」
「ええ、本当ですか。本当に街の人たちと仲良く暮らせるようにしてくれるのですか」
「仕方ありません。元々は私のミスですから」
予想外の神の言葉に、怪獣はパッと顔を輝かせました。
あまりにも頑なな怪獣に、神はついに根負けしてしまったのです。
「貴方を怪獣から人間に生まれ変わらせます。人間になれば街の人々と仲良くなることも出来るでしょう。それで構わないですか」
「構いません。僕はもう怪獣なんて嫌だ。すぐに僕を人間にしてください」
「判りました。しかしこの奇跡は自然の摂理を捻じ曲げ、世界の不文律を歪めるものです。きっと歪んだ形で貴方の願いは叶うでしょう。もしかしたら貴方自身までも歪んでしまうかもしれません。それでもいいのですか」
「それでもいいです。僕は怪獣なんて本当に嫌です。怪獣なんて大嫌いだ。ですからお願いです、僕をすぐに人間にしてください」
「そこまでの覚悟があるのですね。いいでしょう。それでは貴方を人間にしましょう」
次の瞬間、強烈な光が怪獣を包み込みました。
強烈な光に包み込まれ、怪獣は意識を失いました。
それから間もなくです。
一人の青年が洞窟の中で目覚めました。怪獣は人間の男になっていたのです。
青年は自分の姿を見て、歓声を上げました。
「やった。やったぞ。僕は人間になったんだ」
生まれ変わった青年は大喜びで洞窟を飛び出しました。
しかしそこで青年はとんでもない光景を目にすることになったのです。
なんと、洞窟の周りには五十匹以上の怪獣がいたのです。
「うわ、怪獣だ。なんでこんな所に、僕以外の怪獣がいるなんて知らなかった」
青年には人間になる前の記憶がありました。この付近には自分以外の怪獣はいないはずです。
しかし実際に怪獣たちの群れが青年の目の前にいるのです。
あまりの状況に、青年は驚きの声を上げました。
その声につられてか、周囲の怪獣たちもギャオギャオと恐ろし気に叫び始めました。
「いったいなにが起きたんだ。お前たち、怪獣になっているぞ」
「王様、あなたも怪獣になっています」
「ど、どういうことだこれは」
そうです。怪獣たちの群れは、洞窟の周りにいた王様と兵隊たちだったのです。
神の行った奇跡は、自然の摂理と世界の不文律を歪めるものでした。
それは怪獣を人間にする代わりに、近くにいた王様と兵隊たちを怪獣にしてしまったのです。
「なんで私たちが怪獣になっているのだ」
「判りません。王様、我々はどうすればいいのでしょうか」
「とにかく街に帰ろう。どうにかして元に戻らなくては」
「そ、そうですね。街に帰れば元に戻る方法も判るかもしれません」
なにが起きたのかも判らない怪獣となった王様と兵隊たちは街の方向へと向き直りました。
街に帰れば誰かが何とかしてくれる。そう思えたのです。
一方、人間となった青年には怪獣たちの会話は判りません。
ギャオギャオと恐ろし気に叫んでいるようにしか聞こえないのです。
しかし怪獣たちが街の方へ向き直ったことには気付きました。
「いったいこの怪獣たちはなにを叫んでいるんだ。なんだか街の方向に向き直ったみたいだけど。もしかして街を襲う気なのか」
このままでは街が怪獣たちに襲われてしまう。そんなこと許さない。街を守らないと。
街を守る使命感にとらわれた青年は、近くにある大砲に気付きました。
「そうだ。あの大砲を使って怪獣たちを退治しよう」
さっそく青年は大砲の操作に取り掛かりました。
「よし、弾も入っているな。これならいける。街は僕が守るぞ」
そして青年は怪獣たちへの攻撃を始めたのです。
国中の鍛冶屋によって作られた特別な大砲の威力は凄まじいものでした。
生まれ変わったばかりで満足に動けない怪獣たちは次々と打ち殺されていきました。
「やめてくれ。私は王様だ。怪獣じゃない」
「痛い。痛い。死にたくない」
「なんで俺たちがこんな目にあうのだ」
「お願いだ。助けてくれ。俺の帰りを待っている家族がいるんだ」
「頼む。助けてくれ。死にたくない。殺さないでくれ」
怪獣たちは必死になって青年に命乞いをしました。
しかし怪獣の言葉は青年には届きません。怪獣の上げる怒声としか聞こえないのです。
「そんな声を上げて僕を威嚇しても負けないぞ。街は僕が守るんだ」
街を守るため青年は怪獣となった王様と兵隊たちを殺し続けました。
それから間もなく、怪獣となった王様と兵隊たちは青年によって全員殺されてしまいました。
「やったぞ。これで街は救われた。街の人たちを守ったぞ」
怪獣を皆殺しにした青年は、満足気に街へと向かいました。
青年が街に到着すると、人々は歓声を上げて青年を出迎えました。
「ありがとう。君のおかげで街は救われた」
「王様や兵隊たちは皆やられてしまったようだ。君がいなかったらどうなったろうか」
「君こそ本物の英雄だ」
人々は男に対して惜しみない喝采を送りました。
それは青年が怪獣だった頃から願い続けた光景でした。
しかし問題はまだ残っていました。
この戦いで国の王様が死んでしまったのです。その上、優秀な兵隊たちもいなくなってしまったのです。
王様には子供はいません。このままでは国は成り立たなくなってしまいます。
人々は会議を開いて今後の相談をしました。国を救った英雄として青年もその会議に出席することとなりました。
「だが王様がいなくなってしまったこの国はどうなるのだろう」
「確かにそうだ。それに優秀な兵隊たちも倒されてしまった」
「王様には子供がいないし、このままではこの国は滅んでしまう」
「……そうだ。君がいた」
「? 僕になにか?」
会議に出席していた一人の人物が青年の顔をじっと見つめました。
そして、おもむろに口を開きました。
「君が新しいこの国の王様になってくれないか。この国を救った君なら皆、納得するだろう」
「ええ? 僕が王様にですか?」
王様になってほしい。
突然の言葉に青年は驚きました。
しかし周囲の人々は一斉に頷きました。
「それは素晴らしい考えだ。君なら王様になる資格がある」
「うむ。君以外にこの国の王様にふさわしい人物はいない」
「怪獣を退治した君なら誰もが納得する。お願いだ。新しいこの国の王様になってくれ」
「そ、そんな僕が王様になるなんて……」
自分に王様が務まる自信は青年にはありませんでした。
しかし皆、自分が王様になることを望んでいます。
悩んだ末、青年は王様になる決意をしました。
皆を幸せにするため、一生懸命この国の為に頑張ろうと思ったのです。
「……判りました。僕がこの国の王様になります。皆さんの為に頑張ります」
「おお、君ならきっと素晴らしい王様になれる」
「大丈夫。君なら安心だ」
人々は笑顔を浮かべ、王様になる決意を決めた青年を称えました。
それから間もなく、青年はその国の新しい王様となりました。
青年は善政を行い国を大いに発展させました。
そして怪獣が国に近づけば即座に退治に赴きました。
たとえその怪獣が人々に危害を加えなくてもすぐに殺しました。
たとえその怪獣が年老いた怪獣でもすぐに殺しました。
たとえその怪獣が幼く力ない怪獣でもすぐに殺しました。
人々は治世と勇敢さを併せ持った新しい王様に喝采を送りました。
こうして王様となった青年は、国中の人々から愛され、幸せな一生を送ることとなったのです。
めでたし、めでたし。
一方、
地上よりも遥か彼方、天井の雲の上から青年の様子を伺う人物がいました。
神様です。
王様となった青年の様子を見ながら神様は呟きました。
「やはり歪んでしまったようですね。以前の貴方ならこのような形での幸せは望まなかったでしょう。ですが……」
ふっと神様は寂しそうな表情を浮かべました。
「ですが、これでいいのです。これが正しい形なのです。貴方は間違っていません。人間と怪獣は決して相いれない存在なのですから」
そう呟くと、神様は青年の様子を見るのをやめ、ブラブラと何処かへ行ってしまいました。