怠惰の森 12
「……で、そのウェスタに穴から出してもらった……そういうわけなんだな」
イリアは先程ウェスタが渡してきたパンを頬張りながら、訝しげな顔で俺を見る。
「あ、あはは……まぁ、そう、だね」
俺が苦笑いしながらそれに返す。またしてもいきなりウェスタはいなくなった……一体アイツは何を考えているというのか。
「しかし、ウェスタ……女神の名前を名乗るなど、恥知らずも良いところだな」
「え……あ、あはは。そ、そうだね……」
「……そういえば、お前の名前、聞いてなかったな。なんて言うんだ?」
「え、ああ。えっと、ニト、って名前……あ」
そこまで言って俺はしまったと思った。
この世界では邪神の名前……しかも、それを対立する宗教の聖女に名乗る……
なんと間抜けな真似をするんだとさすがに俺は自分自身にあきれてしまった。
「……え、えっと、その……この名前は、実は……」
「いや、気にするな。よくあることだ」
しかし、イリアの反応は存外淡白だった。特に気にしていない様子でパンを頬張っている。
「え……いいのか? 俺の名前は、その……邪教の神の名前なんだぞ? お前はニト教が憎いんじゃないのか?」
すると、イリアはあまり興味がないという顔で俺の事を見る。
「別に気にしない。私自身、イリアというのは、ウェスタ教の殉教者である聖女の名前だ。神祇官様が私を拾った時に付けてくれた聖女としての名前であって……私自身の名前じゃない」
特に問題はないという感じでそう言うイリア。
私自身の名前じゃない……か。
その言葉を訊くと、俺としてもなんだか少し悲しい気分になってしまった。
「そ、そうか……」
「ああ。だから、熱心な信者ならば、ニトやウェスタという名前を付ける親がいてもおかしくはない。もっとも、良い名前ではないとは思うがな」
そういってパンを全部食べきったイリアは俺のことをジッと見る。緑色の瞳は輝きを取り戻し、ランタンの炎を受けて美しく輝いていた。
「……それに、ニト教が単に邪教ではないということも、この巡礼の旅でわかった」
「え……それって……」
そういってイリアは寂しげにランタンの炎を見つめる。
「……あの神父の言っていたことは確かに的を得ている。私は救うために何もしなかった……いや、できなかったのだ。そして、それを探そうともしなかった……聖女であることに慢心し、周りが見えていなかったのだな……」
そして、自嘲気味に笑うと、俺にも顔を向ける。
「……だが、あの暗闇の中で、自分は1人ではないことを自覚した。私自身の周りにはたくさんの人がいる……真の聖女になるには、その多くの人の苦しみや悲しみに耳を傾けなければいけないのだ、と」
そう言ってニッコリとイリアは俺に向かって微笑んだ。思わず俺はその笑顔に見入ってしまった。
「ん? どうした?」
「え……あ、いや、なんでもない……」
そういえば、こんな風に女の子と一緒に会話することなんて、それこそ、転生する前から含めても初めてである。
そう意識すると急になんだか俺は緊張してきてしまった。