怠惰の森 8
「……お前。どうしたんだ?」
イリアは唐突に、俺にそう訊ねて来た。
「え……な、何?」
「なんで……泣いているんだ?」
イリアに言われて俺はその時ようやく、自分の頬に一筋の涙が流れているのに気付いた。
「あ……ホントだ」
「……涙。私は泣いたことがない……」
「え……泣いたことがないって……」
「……これまで、私は聖女としての教育を受けてきた。聖女は人間ではない。神の使徒なのだ、と。だから、人間のように感情に支配されてはいけない、と何度も神祇官様に教育されてきた……それなのに、私はあの神父に何も言い返せなかった……感情のままに、あの場から逃げ出してしまった……」
顔を抑えて悔しそうな声でそう言うイリア。
その時、俺はようやく、イリアという少女が、本気で自分のことを聖女だと思っていて、且つ、聖女としての振舞いをしようとしていたことがわかった。
「聖女は、泣いちゃいけないのか?」
「……ああ。泣くなんて許されない。聖女は……人とは違うんだ」
「そんな……それは、神の教えなのか?」
「いや、教えではない。だが、そうでなければならない、決まりなんだ」
イリアはそう言って悲しそうに目を伏せた。そして、自嘲気味に笑ってみせる。
「……もっとも、お前に言ったところでわからないだろうが」
イリアに言う通り、俺は何もわからなかった。
この世界の創造主であるにも拘らず、目の前の少女の1人のことさえも俺は理解できていなかった。
彼女が何を悩んで、何から逃げようとしていたのか……
「……イリアは、どうしたいんだ?」
俺が訊くと、すぐには返事はなかった。しかし、しばらくしてから、イリアは再び俺の方に顔を向ける。
「……私は、聖女だ。聖女であること以外に、私の価値はない。だから……改宗の旅を続けるべきだと思う」
「だったら、外に出るべきなんじゃないか?」
「……今は、無理だ。出たくない……何もしたくないんだ」
「……そうか」
それきり、またしても会話は終わってしまった。イリアは何も言わずまた腕の中に顔を埋めている。
だったら……待つしか無いのだ。
待って信じるしか無い。イリアが転生前の俺とは違うということを。