仕事をするために
目を覚ますと、女神の家にある自室だった。
どうやら、銭湯から帰っている間に女神の背中でそのまま寝てしまったようだ。
体に合わせてそんなところまで子供じみてしまったのだろうかと考えると少し悲しくなってくる。
ゆっくりと体を起こすと、足元にある鏡にピンクの寝間着を着た黒髪の幼女が映る。
悲しいことに起き上がったら服装が違うということに慣れてしまっている自分がいることを自覚しながら布団の横に置いてある着替えに手を伸ばす。
「うわっ」
丁寧にかぶせてある布を取るのとほぼ同時に思わず声を上げてしまう。
そこには昨日購入したばかりの巫女服が丁寧に畳まれていて、その上に“今日から働いてもらうのでよろしくお願いします 女神”と書かれたメモが置いてあった。
メモをどかして、巫女服を手に取ってみる。
まず、これは仕事着だから着なければならないというのは仕方ないとしてもこれはこれで抵抗がある。
しかし、そんなことを言っていられないのも事実なのでメモの裏に書いてあった方法に従い、寝間着を脱いで巫女服に着替え始める。
少々時間をかけながら着替え終わると、なんとなく鏡の前に立ってみた。
当然であるが、鏡に映っているのは左手に寝間着を持った巫女服を着た黒髪幼女である。
この巫女服はちゃんと脇が隠れている方のモノなのだが、改めて見てみると心なしか神社などで見るちゃんとした巫女服と少し違う気がしてならない。
もっとも神社に行くのは初詣の時ぐらいであるし、行ったとしてもそんな熱心に巫女を観察したりはしないのでわからないが……
「まぁいっか。何を言ったところでこれが仕事着だってのは確定なんだろうし……」
それにしても、あの真っ白な空間の中で白いベールに金髪、青い瞳という容姿の女神の横に巫女服、黒い服と瞳といった自分が並ぶ絵を想像してみると何ともおかしく思えてしまう。
しかし、それはそれで絵になりそうだ。
鏡の前で一回転してみたり片手をあげてみたりといろいろポーズを決めていると、何の予告もなく障子が開かれた。
「おはようございます。どうやら、気に入ってもらっているようで何よりです」
「あらあら、私が想像していたのよりも随分とノリノリなんですね」
障子が開かれると同時に聞こえてきた二つの声にボクは金縛りにでもあったかのように体が動かなくなってしまった。
二つの声は、それぞれ前者は女神のモノで後者は椚のモノだ。
そう言えば、昨日の帰り椚が泊まるとか泊まらないだとかそう言う話をしていた気がする。
いや、そんなことはどうでもよくて問題なのは今、まさにこの状態だ。
鏡の前で何となくポーズを決めていた時に狙っていたかのように部屋に突撃してきた二人に対してこの状況をどう説明すればいいのだろうか?
間違ってもこの衣装が気に入っていたからとは言ってはいけないし、思わせてはいけない。実際、あんなふうにポーズをしていたことに対して深い意味はないし、この格好が気に入っているというわけではない。たぶん。
いや、この格好が気に入っているとかいないとかそういうのは今はどうでもいい。
今、重要なことは鏡の前でポーズを決めていたことに対する言い訳意を考えることだ。
「まぁレイちゃんが気に入ってくれたのならそれで良しとしましょう。そんなことよりも、さっさと行かないとバスに乗り遅れちゃいますよ」
「えっ! いや、だから気に入ったとかじゃ!」
「はいはい。そういうことにしておいてあげますから。遅刻しても知りませんよ」
「わかりましたよ。もう」
うまい言い訳を思いつかないうえにそれを考えさせてくれる時間もくれないらしい。
いずれにしてもバスに乗り遅れたから歩けなんて言われるのはごめんなので素直に従うことにした。
ボクは小さく深呼吸をすると、女神たちが立っている方を向く。
「それじゃ行きましょうか?」
「えぇそうですね……椚はどうします?」
「あぁ私ですか? 私は診療所のことがあるので帰らせていただこうかと思っています」
「そう。わかりました。それじゃ、一緒に町まで行きましょうか」
女神と椚の会話を聞きながらボクは廊下に出て玄関へと向かう。
それを待っていたのか、二人はボクの後についてくるようにして歩き出した。
「レイちゃん。それにしても似合ってますよ。うん。ゴスロリもいいけれど、巫女服も最高ですね! いや、ついに私に助手ができるんです! これまでの話が少し長い序章だといわせる程度に有能になってもらわなければなりませんよね!」
「そうですね。さすがは女神様! その服のセンス、志の高さ! そういうところにあこがれます!」
「あら、椚。そんな風におだてたところで何も出ませんよ」
「何をおっしゃいますか女神様。私は心の底からお慕い申し上げているのですよ」
少々早足で歩くボクのすぐ後ろで女神と椚が仲睦まじい会話をしている。というよりも、ようやく理解した。
椚はおそらく狂信的に女神を信仰している。言葉だけではなく、女神を見る目が完全にそういう目だと言えば分りやすいだろか?
そんな二人の間に混じりたいとは思わないが、二人が仲良くしているところで自分一人だけが黙っているというのもなんとなくさみしく感じてしまう。
だからといって二人の会話に混じったりということは決してない。というよりも混じったところでついていける自信がない。
今回は話をしながらも途中で立ち止まるようなことがなかったからか、三人で歩いているにも関わらずすぐに玄関にたどり着く。
そこに置いてあった靴を履いて玄関扉に手をかける。
「あぁ待ってください」
女神から声がかけられたのはそれとほぼ同時だった。
ボクが振り向くと、女神はどこか困ったような表情を浮かべながら立っていた。
「どうかしたの?」
「えぇちょっと……その……」
「何?」
「それについては私から説明します」
あちらこちら視線をそらしながら言いよどむ女神に変わり椚が前に出てくる。
彼女は落ち着き払った様子で咳払いをすると、女神の方にちらりと視線を向けた。女神は彼女の何かしらの意図を理解したようで小さくうなづく。
それを確認した椚は今一度小さくうなづいてボクの方を向き直った。
「それでは順を追って説明します。まず、女神様があなたに言おうとしたことはおそらく、転生庁についてからのことでしょう。これまで言及は避けてまいりましたが、あなたは本来なら現在、立山玲という“ただの人間”でなければならないはずなのです。そこをちょっとした“手違い”の発生により、あなたはここにいます。ここまで大丈夫ですか?」
ボクは返事をする代わりに、コクリと小さくうなづく。
「まぁここまでなら大した問題ではないんです。割とよくある問題なので」
よくある問題なのかよ。と声に出さずにツッコミをいれる。
もっとも、彼女はかなり軽い口調で告げるのでおそらく本当によくあることなのであろう。
「問題はここから……少し特殊だったとはいえ、あなたの死亡を隠していることにあります」
「そうなの?」
「そうなんです。転生庁には当然ながらあなたの死亡に関する履歴はありません。それに付け加えて、あなたが新しく女神様の助手として“誕生”したたという記録もないんです。まぁ要するにそれに今、女神様は気づいたというわけですね」
「えっそこ?」
あまりにも予想外な内容に思わず、そんな声を上げてしまった。
ばれたらまずいからとか何とか言っていたから、そこらへんの問題があったとしてもとっくの昔に何とかしていたと思ったのだが、大間違いだったようだ。
しかしだ。そこまで考えて、ボクの中で一つの疑問が浮上した。
「でも、それはいいとしてそれとこれから仕事に行くことと何か関係があるの?」
「はい。もっとも、普通に暮らすのだったら何ら問題はなかったのですが、転生庁の中に入るとなるとそれなりの手続きが必要になります。その過程の中で先ほどお伝えした情報……神としていつ“誕生”したのかということが必要になるわけです」
「あーなるほど……そういうことか……」
つまりは身分証明が必要だということなのだろう。そして、今のボクは身分の証明の使用がないといったところか。
「えっでもそうなると……」
「いえ、仕事ができないというわけではありません。ちょっと、あなたの協力さえあればいいんです」
「協力?」
「はい。要は偽造ですよ。記録の……そうですよね。女神様?」
「えぇ。そうね」
椚の問いに女神は小さな声で答えた。
女神は少し空を仰いだ後に靴を履いてボクのすぐ目の前まで歩いてくる。
「まぁそのあたりのことは転生庁に向かいながら話しましょう。最低でもバスの中でやることを全部決めておきたいところですね」
女神はボクの背後にある玄関扉を勢いよく開け放ち、視線で外に出るようにと促した。
それに従って家の外に出ると、ボクのあとに続いて女神、椚の順番で家から出てくる。
女神は玄関で浮かべていた深刻そうな表情などどこかへ行ってしまったかのように笑顔を浮かべていて、そのままバス停の方へと歩き始める。
彼女の行動にいまいち疑問を覚えざるを得ないが、一日一往復しかないバスだ。このまま玄関で話していては乗り遅れると判断したのだろう。
ボクはバスの時間を覚えていないし、はっきり言って現在時刻もよくわかっていないのでどの程度時間が切迫しているかわからないが、いずれにしても余裕はないのだろう。
「それでどうするんつもりですか? 女神様」
「どうするってなんですか?」
「偽造の具体的な方法ですよ。どうするおつもりで?」
「……椚は転生庁の中に入れましたっけ?」
「へっ?」
女神の問いに椚が妙な声を上げた。恐らく、彼女としてはあまりにも予想外な問いかけだったのだろう。
椚は少し驚いた様子を見せつつもそれをすぐに隠し、女神の質問に答えた。
「えっと……入れると思いますよ。確か前に女神様について中に入ったことがあったと思うので」
「そっか……だとすると、入れるけれどあまり権限はないってところでしょうか?」
「当然ですよ。そもそも、私は転生庁の人間じゃないんですから」
「そりゃそうよね」
相当ショックだったのか、椚の返答に女神はこれ以上にないほどに肩を落とす。
その後も女神はぶつぶつと様々な考えを持ち出しては、それは実現できないと椚が切り捨てるというのを繰り返している。
果たして、本当に女神の助手として仕事ができるのだろうか?
いや、仕事が出来ないならできないで問題はないんだけど……
ボクはそんなことを考えながら女神たちの背中を追って行った。