銭湯で疲れをいやすために
一日中町を練り歩き、服を始めとした生活必需品は何とかそろった。
大量の紙袋を両手に抱え、ボクは女神の後ろをついていく。
「ねぇ次はどこに行くの?」
「そうですね……思ったよりも買い物に時間がかかってしまったので転生庁やら観光名所やらはまた後日にして、最終目的地へ向かいましょうか」
「最終目的地?」
「えぇ。私が休日になると必ず訪れる場所です。まぁ仕事帰りにも来るんですけれど」
両手に荷物を抱えているために最初していたように手をつなぐことはないが、その分彼女は最初よりかなりゆっくりと歩いていた。
そもそも、なんでボクが荷物を持っているのかという疑問を持たれるだろうが、この女神相手にそんなことを抗議したところで無駄であろう。
最初に荷物を持たされた時、彼女は“見た目女の子でも中身は男の子なので荷物持ちぐらいしてくれますよね?”と笑顔で言っていたので、今頃その考えを曲げるとは考えづらい。あの時は荷物の一つや二つぐらいならいいとおもっていたが、よくよく思い返してみると完全にしてやられたと思う。
彼女の中では、ボクの了承を免罪符に荷物を次々と持たせているのだ。
それでいて、女神はそれに関して何も気にすることなく、笑顔を浮かべたまま街を闊歩する。
町の人たちも特に気にする様子もないので、この世界では見た目が子供でも中身は子供とは限らないというのが割とあるのかもしれない。
実際に自分自身がそうであるからというのが根拠なのだが、あながち間違いではないだろう。
そんなことを考えている間にどうやら目的地に着いたらしく、考え事をしながら歩いていたボクは突然、立ち止まった女神の背中にぶつかってしまった。
「あっごめん」
「いえいえ。少々荷物を持たせすぎたでしょうか?」
しかし、女神はぶつかったことなど気にすることもなく、ニコニコと笑みを浮かべたままある建物を指差した。
ボクがゆっくりと女神が指差す方に視線を移していくと、そこには“湯”と書かれた巨大なのれんが入口にかかっている建物で天井から次でている煙突には“天晴湯”と書かれている。
「えっ? ここって……」
「銭湯よ。いつも、仕事のあとはここで汗を流してから帰るので……あぁ荷物のことなら心配しなくてもいいですよ。全部番台で預かってくれるので」
「えっいや! そうじゃなくて!」
「あぁ言わなくてもわかると思うけれど、一緒に女湯に入るからね」
言いながら女神はボクの手を引いて銭湯に入っていく。
「いや! ちょっと待って! 心の準備とかいろいろ足りないというか!」
「あら? 銭湯は初めてですか? だったら、中の施設から体の洗い方まで手取り足取り教えますよ」
「いや! そうじゃなくて!」
「まぁまぁお金ももちろん出してあげますから遠慮せずに入りましょ? ね?」
ボクは必死になって抵抗を試みるが、女神はボクの首根っこをつかんで銭湯の方へと引きづり込んでいく。
いっそのこと両手の荷物を放り出せば解放されるのではないかとまで思えてくるのだが、両手に持っているのは自分自身の生活必需品で放り出したところで女神にダメージはない。
おそらく、彼女は放り出された荷物をその場に放置して中に入っていくのだろう。
「あぁ女神様。こんにちわ」
そんなことを考えていたとき、女神に誰かが声をかけた。
その声がした方を向くと、前に会った時と同様に白衣に身を包んだ椚が立っていた。
「あぁ椚か。あなたも銭湯に来たの?」
「えぇ。今日の分の診療が終わりましたから……女神様もですか?」
「そうですよ。せっかくですから、レイちゃんも加えてみんなで入りましょうか」
「いいですね。せっかくですから、ご一緒させていただきましょうか」
椚はボクのところへと近づき、両手に持っていた荷物をひょいと取り上げる。
「えっちょっと」
「結構、重かったでしょ? 代わりに私が持ってあげます。なんなら家までついて行ってもよろしいでしょうか?」
「椚。レイちゃんは私の家に居候しているんだから、彼女よりも私に許可を取る方が先なんじゃないの?」
「これは失敬。女神様、本日おうちにお邪魔しても?」
「もちろんいいわよ。その前に一緒に銭湯ね」
「はい!」
二人がそんな会話をしている間もボクは首根っこをつかまれたまま引っ張られ続け、必死の抵抗などまるで意味もなさないで気が付けば三人そろって銭湯の建物の中に入っていた。
*
銭湯の中は風呂から湧き上がる湯気に満たされているのだが、それらが都合よく自分たちの体を隠してくれるなんて言うことはない。
背後の壁に大きく富士山の絵が描かれている銭湯の湯船で顔を半分湯に静めながら、目のやりどころに困っていた。
それは自分自身の体に対してでもあるし、顔を上げたときに視界に入ってくる光景に対してもだ。
少し目線を上げると、女神と椚が何やら戯れている。
シャワーで水を掛け合ったり、石鹸で泡を立ててそれを床中に広めたりといった具合にだ。
いったい、どんな教育を受けてきたらこうなるのだろうか?
銭湯で遊ぶんじゃありませんって習わなかったのだろうか? いや、普通ならったはずだ。今、女神と椚、ボクの三人しかいないいとはいえ、他の人が入ってきたらどうするつもりなのだろうか?
そんなことを考えていると、入り口のガラス戸が勢いよく開かれた。
「うるさい!」
その声とともに中に入ってきたのは赤茶色の髪を短く切りそろえた少女だ。
女神は彼女の顔を見るなり、これでもかというぐらい顔を真っ青にする。
赤茶の髪の少女はそんなことお構いなしだといわんばかりに大股で歩いてきて、女神と椚のすぐ目の前までやってくる。
「あっあの……これはですね……」
「正座」
「いえ、ですから……」
「正座」
「はい」
椚が必死の説得を試みるが、それは無駄だったらしく少女は“正座”の一言で二人を見事に黙らせる。
彼女の目の前で女神と椚が正座をすると、少女はボクの方にも視線を向けてきた。
彼女の射るような視線のせいで温かい湯船の中にいるのに寒気が走る。
「あなた」
「はっはい!」
「こいつらの知り合い?」
「えっえっと……」
どう答えるべきだろうか?
ここは、女神とは知り合いではないといって逃げた方がいいだろうか? それとも、素直に知り合いですと言った方がいいだろうか?
正座をしている女神は視線を使って“裏切るな”と言っている気がする。それに彼女がボクたちが一緒に銭湯に入るところを見ていた可能性を考えると、ここでウソをつくのは賢明ではない気がする。
「えっと……」
とりあえず、なんにしても答えなければ。
そう思って、口を開いたのだが、それとほぼ同じタイミングで少女は小さくため息をついた。
「まぁいいわ。いずれにしてもあなたは騒いでいなかったわけだし、あなたがあのバカ二人を止められるとも思わないしね」
「えっあぁはい……」
ボクと少女が会話をしていいる向こうで女神と椚が“この裏切り者目が”とでも言いたげな視線を送ってくるが、とりあえず気にしない。
少女はそのままクルリと踵を返して、女神たちの方を向き直る。
「そうだ」
それを見て、ホッとしたところで少女が口を開く。
「えっと……なんでしょうか?」
「人の話を聞くときに目をそらすのはよくないよ。まぁこの状況だということを考えれば、同性でも気恥ずかしいのは分からんでもないがな」
「えっあぁはい。そうですね」
ボクの返事を聞いて満足したのか、彼女は何も言わずに正座している女神と椚の方へと歩いていく。
ボクは少女の背中と正座する女神と椚の姿を交互に見た後、その場から離れるように湯船の端へと移動した。
その後、しばらく少女の説教する声を聞き流しながらボクはゆったりと湯船につかっていた……少女の説教が長すぎて出るタイミングを見失いのぼせてしまったのはまた別の話である。
*
銭湯を出た後、ボクは女神に背負われながら帰路についていた。
女神の横には大量の荷物を持つ椚の姿があって、時々走りながら必死に横についてくる。
「はぁ今日はとんだ目に合いましたねー女神様」
「えぇそうよね。椚……まさか、あんなところで会うなんて……」
二人はタイミングを見計らったかのように同時にため息をつく。
「いやいや、そもそも銭湯であんなふうに遊んでいる二人が悪いのでは?」
「わかってないですねぇあなたは……」
女神は小さく首を横に振る。
「仮にあそこで何もやっていなくても説教タイムは確定ですよ。それが彼女の趣味なんだから……」
「趣味?」
「えぇ。あの方はかの有名な閻魔様ですよ。ただ単に罪人を裁くだけでは飽き足らずにたまの休日に町中で説教をするんですよ。あれにつかまったら最後、何かしら理由を付けられて説教される未来が見え見えです」
「そうなの?」
「そうなんです」
「ふーん」
見た目ただの幼い幼女……もとい少女だったが、彼女が閻魔だったのか。
閻魔? この神様、閻魔って言った?
「閻魔!?」
驚いてそんな声が出てしまった。
その声に女神はキョトンとした顔を浮かべて、立ち止まった。
「そうですよ。さっきから言っているでしょう? 彼女が閻魔よ。まぁ何人かいる内の一人にすぎないんだけど……いやーあなたを見られたときはこの転生のことがばれるんじゃないかってひやひやしましたよ」
そう言って、女神は小さくため息を漏らす。
「確かにこんな事がばれたら説教どころじゃなくて折檻されてもおかしくないレベルですし」
「いや、あれはもう拷問って言ってもいいんじゃないですか? 血の池地獄で水泳大会をしてみたり、この間だって針山地獄のてっぺんでピクニックしろだの……」
「あー血の池地獄の水泳大会ですか……懐かしいですね。なぜか、私も巻き込まれて……」
「まっまぁいいじゃないですか」
二人のとんでもない思い出話を聞きながら、ボクは女神の背中に体を預ける。
「あぁもう! せっかく、銭湯に行ったのにまったくゆっくりできなかったー!」
女神の悲痛な叫び声が夕焼けの町中にこだましていった。