禁書棚の本について
図書館の一番奥。
まさに最奥部とも呼べるようなその場所にそれはあった。
禁書棚と呼ばれるそこは一般的に立ち入れる場所ではなく、何段階かに分けられた禁書……つまり、閲覧が禁止されているような本が並んでいる。
今、ボクたちが歩いているのはその中でも一番レベルが低いエリア……司書の許可さえあれば立ち入れるエリアだ。
ただ、レベルが一番低いとは言ってもむやみやたらに読んだり、手に取ると何かしらの問題が発生する可能性もあるそうだから、注意を怠ることはできない。だからこその禁書棚だ。
「それにしても全然様子が違うな……」
思わずそんな声が漏れる。
本棚の本を見てみると、“今日から始める魔導書”やら“完全解説 誰でも簡単に空を飛べるはずのほうきを使って空を飛ぶ方法”といった明らかに魔法に関するようなものから、ただ単に“修理記録 10”という非常にシンプルな題名がつけられている本まで様々だ。
中には手に取っても問題ないのではないかと思う本もあるが、勝手に手に取って問題が起きても面倒なので好奇心を必死に抑える。
「すごいでしょ。さっきの開書棚は日本にある図書館に近かったかもしれないけれど、この辺りにあるのはただの読みものじゃなくて、読むことで何かしらの技能を習得できる魔導書関連が多くなるの。もちろん、読むだけで魔法を使えるようになるような本はこの棚には少ないけれどね。それにそれらにはそれぞれの世界に応じたリスクというものも存在しているわけだし……」
「そうなんだ」
「えぇ。そうよ。私も詳しくはないんだけど、百の世界があればそれぞれの世界に適した百の法則があるそうよ。例えば、魔法を使うための魔力は薬で回復するっていう世界や魔力は自然回復するけれど、枯渇すると死んでしまう世界なんていうのもあるみたいね。まぁそんな風にいろいろとあるから魔法を習得しようなんて考えない方がいいわよ。私たちには私たちがいた世界のルールがあるわけだし」
彼女はそういいながら禁書棚から一冊の本を取り出して、ボクに差し出す。
「それ、貸してあげる。返却はカウンターじゃなくて、私に直接でいいから」
ボクは彼女に渡された本に視線を落としてみる。
“転生と世界と人間社会の関係”という非常に難しそうな題名がつけられたその本は辞書並みの厚さがあり、それを持っているとずっしりとした重みが両手を通じて伝わってくる。
それを抱えるような体勢で持つと、桜子はボクに背を向けて歩き出す。
「さて、そういうわけで禁書棚も見たし、大方大丈夫かな?」
どうやら、図書館ツアーはこれで終了のようだ。
確かに図書館の中は一通り見たような気がするし、これ以上に詳しい説明をされても覚えきれないのでちょうどいい頃合いなのかもしれない。
ボクは改めて禁書棚に視線を送ってから桜子の背中を追いかけ始める。
最後の最後までボクの興味は尽きなかったのだが、この図書館のすべての本を閲覧するというのは到底無理な願いだろう。
本の数が膨大でもその数が一定なら何とかなるかしれないが、この図書館は常に成長している。それが止まることはおそらくない。あるとすれば、ありとあらゆる世界線で書物がかかれなくなった時だ。
そこまで考えて、ボクは元いた世界におけるいわゆる電子書籍がこの図書館ではどうなっているのだろうかという疑問に思い至った。当然ながら、電子書籍は紙の本ではない。もっと言えば、ネット上……例えば無料小説投稿サイトに大量に存在している、ネット上だけにある小説等はここではどうなっているのだろうか?
見たところ電子端末はなさそうだし、もしかしたらそういったものは別の形で置いてあるのかもしれない。
「それにしても、この禁書棚もどうするんでしょうね。開書棚以上のペースで本が増えているみたいだし……」
前を歩く桜子がそんなことをつぶやく。
この図書館にどれだけ危険な本があるか知らないが、禁書棚が勢いよくその蔵書を増やしているのなら、危険な本がかなりあるということなのだろうか?
「ねぇこの図書館って、結局どういう仕組みなの? 概要はなんとなくわかったけれど、どうやって本を集めているだとか、蔵書の選定だとかいまいちわからないんだけど……」
「さぁ? 私も知らないわ。それにそれは利用者が気にする問題でもないでしょうしね」
彼女はそういうと、通常の開書棚の方向へと迷うことなく歩いていく。
ボクも彼女に置いて行かれないようにと必死にその背中を追いかけていった。
*
女神の家にある一室。
実質、ボクの部屋となっているそこでボクは早速桜子から渡された本を読み始めていた。
“転生と各世界の関係は非常に密接であり、各々の世界に住むすべての生物はありとあらゆる形で接続している”という書き出しで始まっている本は見たこともない言語で書かれていたのだが、神の力なのか、普通に読むことができる。
以前女神から聞いた転生の仕組みとその意味の説明から始まり、話は徐々に掘り下げられていく。
*
そもそも、転生というのは一つの魂が次から次へと違う体へと転移していく現象をさす。
魂はいくつもの世界線をまたぎながら様々な経験を蓄積していく。
基本的には新しい体に入り込むとそれ以前の記憶は失われることが大多数なのだが、蓄積された経験値というのはある程度引き継ぐことができる。
生まれつきの才能というのはそういったところから出てくるものなのだ。
そして、何回も転生を繰り返した魂はやがて寿命を迎えて魂の死を迎える。その一方で新しい魂が何かしらの形で生まれているのも確かなのだ。
その仕組みはいまだに解明されていない。魂の寿命はどれだけなのか、そして魂はどのようにして生まれるのだろうか? この疑問を解決すべく日々多くの研究がなされているが、我々は現状のところ各世界同士の魂の総数の調整ぐらいでそれ以上については干渉すら難しい。転生庁上層部は何かしらの情報をつかんでいるように見えるが、その中身は完全に不明である。
*
そこまで読んでボクはいったん顔をあげる。
どうやら、この本はどこかの世界の本ではなく、この神界で書かれた本のようだ。
本の裏表紙を見てみると、“楠凛という名前が刻まれている。
この楠凛という人物はいったい何者なのだろうか? あとがきなどを見ても、その立場は明かされていない。
ただ、興味がある内容だったのは事実なのでボクは再び本に視線を落とす。
夢中になって読んでいると、時間は屋のように過ぎていき、二十分の一ぐらいを読み終えたところで女神から声がかかった。
「レイちゃん。御飯ですよーせっかくのサンマが冷めちゃう前に来てください。七輪で焼いたんですから間違いなくおいしいですよ!」
女神のそんな声で現実に引き戻されたボクは反射的に窓の外に視線を送る。
窓の外に見える風景は山の向こうに沈みゆく太陽のせいで真っ赤に染まっていた。
「もうこんな時間だったのか……」
そんなことをつぶやいた後、ボクは急いで部屋を出て食卓へと向かう。
「レイちゃん!」
「今行くよ!」
いまだにボクの名前を呼ぶ女神に対して返事をしながら廊下を駆け抜ける。
それにしても、あの本のなにが自分をそんなに夢中にさせたのだろうか?
廊下を走りながらボクはそんなことを考える。
そもそも、立山玲という人間はあまり読書をしないで育ってきた人間だ。いわゆる現代っ子らしく外に積極的に出るわけでもなく、友達とゲームをして遊んでいた。
友達の家に遊びにいけば通信対戦をして遊んでいて、それは公園や自分の家に友達を読んだ時も変わらない。
漫画は読んでいたが、小説というものにはなかなか手が伸びなかった。ましてや、あんな難しそうな本などとてもじゃないが手が出ない。
だとしたらどうしてあんなに夢中で読めたのだろうか? 桜子から渡された本だったからなのか、はたまた何かあの本には仕掛けられているのだろうか……
そこまで考えて、ボクは歩みを止める。
そうだ。あの本には何かがあるかもしれない。そんな考えが頭の片隅に張り付くようにして徐々に侵食していく。
そもそも、あの禁書棚は多少なりとも危険をはらむ本が並んでいる。そんな中にあったのだから、あれがただの本だとは考えづらい。
今のところ体に何か変化が見られるわけではないので読んだら何か不都合が起きるとか、何かしらのの能力が得られるとかそういったことはないようだ。
本の内容もいたって単純で転生システムにかかわる考察や魂の行き着く先について諸説あるそれぞれの内容をかいつまむようにして開設しているだけで、これといって知ってはならない知識があるようには感じられない。というよりも、転生庁で転生にかかわる仕事をする以上は知っておいたほうが良い知識も豊富に含まれているように感じる。
なぜ、図書館の案内をしていた桜子があの本をボクに渡したのかはわからないが、彼女からすれば深い意味はないかもしれないし、題名を見てなんとなくボクに渡しただけかもしれない。
桜子の意図がどんなところにあるにせよ、あの本を女神に見せたうえで、いったんあの本をどうするべきかと相談してみた方がいいかもしれない。もしも、あの本に何かあるのだとしたら多少なりとも対処を考えなければならないし、女神がその本自体には何もなく、内容的な意味で禁書棚にあるだけではないかといえば、続きを読むだけの話だ。ボクはこの世界のことを知らなさすぎるので自分一人で勝手に判断するにはあまりにも危険が伴いすぎるような気がする。
「レイちゃん? まだですか?」
そんな風にして考え事をしていると、待ちくたびれたのか再び女神から声がかかる。どうやら、考え事に夢中になっている間にそれなりに時間が経ってしまったのかもしれない。
ボクは適当に返事をしながら再び廊下を食卓の方へ向けて進んでいく、あの本の事は後で女神に相談すればいいと自分の中で結論付けて、思考を切り替えたころになって、ようやく女神が待つ食卓へと到達することができた。




